アルスカとケランの出会いは今から16年前になる。
2人はこの国の大学で知り合った。彼らは同じ留学生の身分であったが、その性質はずいぶん異なっていた。
アルスカは言語を学ぶ奨学留学生であった。奨学留学生とは成績優秀者のことである。彼らは学費の支払いを免除され、また生活費としていくばくかの金が支給される。彼らの多くが貧しい国の出身で、立身出世を目指してがむしゃらに机にかじりついていた。
一方、ケランは裕福なガラ国の金貸しの家の次男で、留学にかかる費用はすべて彼の親が支払っていた。彼は経済学を専攻していたが、勉学はそこそこにして、親の監視がない異国の地で酒を飲み、賭博場に出入りをして、ときには憲兵の世話になることもあった。
このような対照的な2人であったが、あるとき講義で隣に座ったことから友人になった。同性愛は、この宗教が強く国民を支配しているメルカ国では禁止されている。しかし、東方とケランの出身地であるガラ国では認められていた。そして、男を求めている空気というのは、お互いにわかる。
留学生の寮には男しかいない。禁欲的な寮内で同性愛というのはそれほど珍しくもなかった。
彼らは惹かれ合い、ついに愛し合うにいたった。
言語を学ぶにはまず恋人作りから、という先人の言葉は正しい。
アルスカは大学で4年掛けてメルカの言葉を話せるようになった。それに対して、ケランの母語であるガラ語を理解するのには半年で十分であった。
アルスカは三か国語を身に着けたことで、自分が立派な外交官になれると信じた。
しかし、皮肉にもそれはアルスカの恋ゆえに叶わなかった。
卒業と同時に、ケランはアルスカに母国に来るように誘った。ケランの家は金貸しをしていて、ケランも国に戻ればその仕事をする。収入は一般的な商人や農民よりはるかに高水準だ。彼はそのうち自分の店を持つつもりだと言った。
「これから、東方もメルカも豊かになって、取り引きが増える。アルスカは俺の店で通訳として働けばいいじゃないか」
この言葉にアルスカは頷いた。外交官の夢を捨てても、ケランと共にいたかった。若い彼らは恋に燃え上がり、そのまま手と手をとってメルカ国を出でガラ国へ向かった。
――その恋が鎮火した後のことなど考えもしなかった。
*****
アルスカはスープの匂いで目を覚ました。このおだやかな起床はいつぶりだろうか。彼は簡単に身支度をすると、1階へ下りた。
そこで見た光景に、アルスカは心底驚いた。
「料理ができるとは、意外だ」
炊事場ではフェクスが軽快に野菜を切っていた。
「凝ったものは作れないぞ」
彼は肩をすくめてみせた。
その昔、学生だった頃のフェクスは料理などできなかったはずだ。過ぎ去った時の流れを想い、アルスカは苦笑を一つ落として腕まくりをした。
「手伝おう」
アルスカもまた、流れた時の中で料理ができるようになっていた。
2人の不精な学生は、それなりの生活力を身に着けた大人になっていた。
彼らは手際よく朝食を作った。
その日、食卓に並んだのは、パンとチーズ、野菜スープと肉と卵を焼いた簡単な料理だった。
質素な味付けだが、あたたかい料理はアルスカの心にしみた。
「昨日はよく寝れたか?」
尋ねられて、アルスカは頷いた。
「ありがとう。悪いね、家に泊めてもらって」
「いい。どうせ部屋は余ってる。好きなだけいればいいさ」
アルスカは家から持ち出した金で家を借りるつもりだったのだが、フェクスによると、この街は異邦人に対して家を貸さないようになったのだという。そこで、フェクスの家の2階の空き部屋を借りることになったのだ。
アルスカは頭を下げた。
「ここまでしてくれるだなんて、なんと礼を言えばいいか……」
フェクスからは、予想外の言葉が返ってきた。
「礼はいい。……昔、お前が好きだった。……学生ってのは男所帯だから、一時の気の迷いだったかもしれんがな」
それを聞いて、アルスカは苦笑した。その言葉はアルスカにとって痛烈だ。アルスカはその一時の気の迷いで14年もガラ国で生活したのだ。そしてこの上ないほど苦しめられた。
「……気の迷いで済んでよかったな」
彼はこう返すので精一杯であった。
*
朝食のあと、フェクスはアルスカを連れて家を出た。アルスカは東方の言葉と、メルカ国の言葉、そしてガラ国の言葉を話すことができる。フェクスの考えでは、アルスカにできる仕事はたくさんあるはずであった。
ここ5年ほど、メルカは南方の国と戦争をしている。この国は東方のアルスカの故郷を焼き、さらに領土拡大を目指して進軍を続けていた。メルカ国はいま兵士が足りない。そこで、東方の難民を兵士に徴兵しようという動きが広がっている。軍では、難民を教育するための通訳を常に募集している。
また、北のガラは裕福な国であり、そちらとは交易が盛んだ。商会に行けば、通訳は食うに困らないはずである。
フェクスはいくつかの案を考えたあと、まずは彼の現在の職場である軍に顔を出すことを決めた。