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6-3 だって、お前、俺のこと好きだろ?

 目の前の二人を微笑ましそうに見ていた綾乃は、次に来るだろう質問も予測がついていたのだろう。サリーが再び「少将ちゃん」と呼ぶと、彼に小さく頷いた。


「慎士のことは、なんて伝えて……」

「全てを話してはいませんが、彼女は、むしろ謝りたいと言ってました」

「謝りたい? いい様に使われたってのに、おめでたいな」

「モーリス! 清良ちゃんは優しい子なのよ!」


 呆れるモーリスをサリーが睨みつけると、綾乃は同意をするよう、優しい笑みを浮かべた。

 サリーの濡れた頬を、白い指がそっと撫でる。


「サリー。織戸さんが、あなたにも謝りたいと言っていました」

「あたしに?」

「はい。自分の弱さであなたを傷つけ、巻き込んでしまったと言ってました」

「そんな……巻き込まれたのは清良ちゃんなのに!」

「私も、そうお伝えしたのですけどね」


 清良が申し訳なさそうに笑っていたことを伝え、綾乃は自分の手をちらりと見た。その指先が触れる頬は、煤と涙で黒ずんだいる。


「染野慎士の件、彼女には辛い記憶となるでしょうが……どんな形であれ、掴んだ手を離さないで欲しいものですね。私たち軍人は、その手があることで、戦えるのですから」

「……少将ちゃん」

「きっと、ケイが離さないですよ」


 立ち上がったモーリスはサリーを引っ張り、腕の中に引き込む。そうして、汚れたピンクブロンドの髪に指を差し込み、優しく頭を抱き寄せた。


「幼馴染の腐れ縁ってのは、恋愛以上に強いもんなんですよ。少将ちゃん」


 サリーの顔が真っ赤になる。それを見て、綾乃は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。


「ふふっ、あなた達を見ていると、そう信じたくなるから不思議ですね。きっと、織戸さんも──」

「ちょっと、少将ちゃんの前でべたべたしないで!」

「少将ちゃんがいなければ良いんだな。よし分かった」

「そういう事じゃないわよ!」

「照れるなよ」


 ぐんっとサリーの足がしなり、それを受け止めたモーリスはにやりと笑う。

 言葉を奪われた形になった綾乃は、そんな二人のを、どこか羨ましそうに眺めて微笑んだ。


「照れてないわよ!」


 顔を真っ赤にしたサリーは、最後の足掻きとなる声を廊下に響き渡らせた。


  ***


 綾乃と別れて宿舎に戻り、部屋のドアの前で立ち止まったサリーは横をちらりと見た。


「ねぇ、モーリス……」


 隣の部屋のドアノブに手をかけていたモーリスが、きょとんとして振り返る。

 二人の視線が一瞬、合わさった。しかし、森で交わした口約束をほぼ同時によぎらせた二人は、若干の気恥ずかしさを感じたのだろう。どちらともなく視線を外した。


 何か言い出しにくそうな顔をしたサリーを盗み見て、お互いに離れがたく思っているのを感じたモーリスは、この場にとどまる理由を探した。


「そうだ。明日、ケイの見舞いに行かないか? 織戸清良のことも気になるだろ?」

「……しばらく入院するって言ってたものね」

「念のための検査や聴取もあるからだろうからな」


 ドアノブから手を放したモーリスは、ゆっくりとサリーに歩み寄り、味気のないスチール製のドアに腕をつくと、その顔を覗き込んだ。

 視線がついっと逸らされた。

 何かを言おうとしたのだろうか。少しばかり開いた赤い唇が、すぐさま閉ざされた。


「部屋に入らないの?」

「入るわよ。って言うか、あんたがドアを押さえてるんでしょ」

「そう?」


 ほらどうぞと言わんばかりに、ドアから腕を放したモーリスは、きまり悪そうに唇を尖らせたサリーに「寂しい?」と問いかけた。


「……そんなんじゃないわよ」

「そう?」

「ただ……色々考えたら、眠れそうにない、かな」


 モーリスの反応をうかがうように、とび色の瞳が彼を見上げた。


「それじゃぁ、一緒に珈琲、飲むか?」

「こんな夜中に?」

「夜中が嫌なら、モーニング珈琲でも良いけど?」


 青灰色せいかいしょくの瞳が細められ、煤けたサリーの頬に指が寄せられた。そのまま静かに寄せられた唇は、まるで割れ物を扱うように、優しく赤い唇に口付ける。


 一度目は触れるだけの稚拙ちせつな口付け。数拍おいて離れた唇は、すぐさま重なる。その二度目の口付けは、甘い果実をむように、ねっとりと時をかけて続いた。

 初めこそ、どこか遠慮がちだったサリーも、いつしかモーリスの首に両手を回していた。


 小さなリップ音を立てて唇が離れるまで、ほんの十数秒だったのかもしれない。それでいて、途方もなく長い時間のようでもあった。

 腕の中で、どこか不満そうな表情のサリーを見下ろしたモーリスは、耳元に唇を寄せた。


「俺にしとけよ」


 何年、言い続けてきただろう。いつもと変わらない口説き文句を口にして、モーリスは自信たっぷりに笑った。


「……まだ、慎士のことが好きって言ったら、どうする?」

「それ以上に、俺に惚れさせりゃ良いだけだから、問題ない」

「その自信、どこから来るのよ……」

「だって、お前、俺のこと好きだろ?」


 あっけらかんと言うモーリスを見て、サリーは呆れたと言いたそうな顔を一瞬見せたが、直ぐ様、満足そうに口角を上げる。


「シャワーくらい、待ってくれるでしょ?」

「当然。何なら一緒に──」


 浴びないかと言い終わる前に、唇が押し付けられた。

 強請ねだるように熱い舌先が唇に触れ、歯列を割る。それに応えたモーリスは、やっと腕の中に納まった愛しい彼の肩を抱きすくめた。

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