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6-7 「最後の弾丸を抱いて眠れ」

 朝日が差し込み始めた部屋に白い肌が晒される。

 いたる所に花びらのような情欲の痕が散らされていた。それを見て、モーリスは堪らず口元を緩めながらカップを差し出した。


「何、にやけてるのよ」

「いやぁ、絶景だなと思ってさ」


 カップを受け取ったサリーは首を傾げる。意味が分からないと言う顔で珈琲を啜っていると、モーリスの指が胸元をついっと掠めた。


「ちょっと……朝から変な触り方しないで!」

「──これ、俺がつけたんだよな?」

「何、当たり前なこと聞いてるのよ」

「目に毒だな」

「あ、こらっ! 舐めるな!」


 赤く残る痕を確かめるよう、舌先でつつくモーリスに慌て、零しそうになったカップを両手で持ったサリーは羞恥で身を震わせた。

 珈琲をベッドの上でひっくり返すわけにもいかないし、どうしたものか。そんなことを考えているのだろう。耐える姿も可愛いと思いながら、モーリスは楽しそうな笑みを浮かべている。


「抵抗しないと、本気マジで、襲うぞ?」

「珈琲、ぶっかけて良い?」

「さすがにそれは面倒そうだな」


 モーリスの手がカップを取り上げた。

 カップが、ベッド横の小さな台に置かれる。


 サリーが不満そうに「何よ」と言いかけたが、それは覆いかぶさって唇を重ねたモーリスに飲み込まれた。

 口腔に拡がる珈琲の香りも苦みも、全て飲み込もうとするような、熱い口づけ。


 角度を変え、何度もしつこく唇を味わっていると、耐えかねたサリーの拳がモーリスの背を叩いた。だが、そんなことは気にもしない。

 熱さはなお増すばかりだ。


 一度、二度、三度と繰り返し叩く。

 それでも離れようとしないモーリスに、苛立ちを感じたのだろう。サリーの白い拳がきつく握りしめられ、振り上げられた。


 殺気を感じたモーリスは咄嗟とっさに体を放すと、後方に飛び退いた。直後、ぼふっと拳がマットレスに叩きつけられ、ベッドがミシッと音を立てた。そこは、つい今しがたモーリスがいたところだ。

 容赦のない拳を見て、モーリスは顔をひきつらせる。


「今、本気で振り下ろしただろう?」

「あんたがいつまでも、がっつくからでしょ!」

「そりゃぁ、そんな美味しそうな姿見せられたら、たぎるに決まって──」


 やに下がる顔に枕が叩きつけられ、モーリスの言葉は途切れた。


「シャワー、使うから!」


 脱ぎ散らかした下着と服を拾い上げたサリーは、さっさとドアの向こうに消えてしまった。

 床に落ちた枕を拾い上げ、ベッドに腰を下ろしたモーリスは満足そうな顔で珈琲カップに手を伸ばした。そのすぐ傍には愛用の回転式拳銃リボルバーがある。


(昨日は磨かなかったな)


 日課でもある就寝前の銃の手入れを忘れていたことに気づく。

 カップの中身を飲み干し、長い息を吐いたモーリスは愛銃を手に取ると、弾薬を抜いた。そして、台の下にある手入れ用の道具が入る籠の中からを抜き、その銃身を磨き始めた。


 窓からは差し込む朝日が眩しくなってゆく。それに思わず口元に笑みを浮かべた。


 いつもなら夜の電灯で手元を照らしながら行うことを、眩しい光に目を細めているのが、どうも可笑しく思えた。

 しばらく無言で磨いていると、ふと懐かしい言葉が脳裏に浮かんだ。


「──不完全な六に命を預けるな」


 空っぽのシリンダーを回転させ、モーリスはその言葉を、噛み締めるように呟く。


「五つの愛を知り、四つの孤独を抱いたものは──」


 弾薬を丁寧にひとつずつ込めていきながら、思い出すのは、懐かしい教官の声だ。

 命を預ける銃に愛情を注げと言い、候補生を守り死んでいたロマンチストの教官。彼の教訓は良くも悪くも、モーリスの心に根付いている。

 残り三つの穴を埋めるべく弾薬を手に取ったモーリスは、手元が僅かに暗くなったことに気づき、顔を上げた。


 使い慣れたシャンプーの香りに包まれたサリーが、かたわらに立っていた。


「希望を抱いた完全な三となる……だったかしら?」


 それに頷き、次の弾薬を手にしたモーリスは、さらに言葉を続ける。


「二つの祈りを月に捧げ」


 横に腰を下ろしたサリーは飲みかけのカップを手に取り、モーリスの手元をじっと見ると、ゆっくりと口を開いた。


「最後の弾丸を抱いて眠れ」


 二人の声が重なり、祈りの言葉とともに装填が完了した。

 手の中の回転式拳銃リボルバーをじっと見つめたモーリスは、懐かしさに目を細める。


「懐かしいわね。ロマンチストな教官の言葉よね」

「あぁ。は自分の為に使えって常々言ってたな」

「当の本人が、弾切らして魔物に食べられてたら、世話ないわ」

「そう言ってやるなよ。必死だったんだろう。俺等を逃がすことで」


 愛銃を台に下ろし、モーリスは小さく息を吐く。


「──まぁ、同じことするだろうな、俺も」

「ほら、やっぱりに似てきた! やめてよね。簡単にあたしを残していなくなったら、許さないんだから」


 声を荒げたサリーにきょとんとしたモーリスは、小さく噴き出して笑う。

 それに、何よと不満そうに唇を少し突き出したサリーは、真っすぐに向けられた真剣な眼差しに言葉を詰まらせた。


「勘違いすんな。お前がやられそうになったらって話だ」

「……バッ、バカじゃないの!?」


 シャワーを浴びてほのかに染まっていた頬がさらに赤くなる。


「あたしは、そう簡単にやられたりしないわよ!」

「知ってるさ。だけど、絶対なんてない」


 今は前線から遠ざかっている。しかし、二人とも、いつ最前線に送られるか分からない立場であることに変わらない。


「それに、もしもお前を守り切れなかった時は──」


 敵を八つ裂きにして、最後の弾丸は自分に使うだろう。そう本音を言葉にすることははばかられ、モーリスは言葉を飲み込んだ。


(きっと、愛翔はそんなことを望まない。それでも、俺は──)


 黙り込んだモーリスを見て、サリーはため息をつく。


「守って欲しいなんて、いつ言ったかしら?」


 すっかり冷めた珈琲を飲み干し、カップを台に戻したサリーは、モーリスの肩に手を添えると、とんっと軽く押した。

 容易たやすくベッドに押し倒されたモーリスは、不愉快な顔で見下ろしてきたサリーを見つめる。

 潤んだ鳶色の瞳は、泣いているというよりも怒っているようだった。


「あたしも軍人なんだけど?」

「知ってる」

「あんたが守られる方かもしれないわよ?」

「それは……考えていなかったな」

「ほんっと、バカね。それに、銃の腕はあたしの方が上よ」


 呆然としているモーリスに覆いかぶさり、サリーはしっとりと濡れた唇を寄せた。

 優しく触れるだけの口付けに、モーリスは心の内で敵わないなとひとちる。だがそれは決して不快なものではなく、むしろ居心地がよく──


「あたしがいれば、あんたの弾丸は、いつまでも最後の一発にはならないわ」


 再びモーリスを見下ろすサリーは、口角を上げて不敵に笑った。

 朝日を浴び、しとどに濡れたピンクブロンドの髪が煌めき、神々しさすら湛えている。


嗚呼ああ、そうだよな──)


 空から舞い降りた勇ましくも美しい姿を思い出し、モーリスは苦笑する。


「すげぇ自信だな」

「あんたほどじゃないわよ」


 ふわりと笑ったサリーは頬に伸びてきた指に、自らすり寄った。


「お前は最高の相棒バディだ」

「もう! そこは伴侶パートナーじゃないの?」

「そこ、拘るとこか?」

「拘るとこでしょ」


 唇を突き出して不満顔になるサリーを愛しく思い、モーリスは彼を腕の中に引き入れると強く抱きしめた。


「言葉なんてどうでもいいさ。一生、俺の背中を預けるのは、愛翔、お前だけだ」

「……そうね、あたしをその名前で呼べるのは、あんただけよ。モーリス」


 愛しいだけでは言葉が足りない。そんな思いで、何度目か分からない口付けを交わした二人は顔を見合わせると、ほんの少しの照れくささを滲ませて笑い合った。

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