朝日が差し込み始めた部屋に白い肌が晒される。
いたる所に花びらのような情欲の痕が散らされていた。それを見て、モーリスは堪らず口元を緩めながらカップを差し出した。
「何、にやけてるのよ」
「いやぁ、絶景だなと思ってさ」
カップを受け取ったサリーは首を傾げる。意味が分からないと言う顔で珈琲を啜っていると、モーリスの指が胸元をついっと掠めた。
「ちょっと……朝から変な触り方しないで!」
「──これ、俺がつけたんだよな?」
「何、当たり前なこと聞いてるのよ」
「目に毒だな」
「あ、こらっ! 舐めるな!」
赤く残る痕を確かめるよう、舌先でつつくモーリスに慌て、零しそうになったカップを両手で持ったサリーは羞恥で身を震わせた。
珈琲をベッドの上でひっくり返すわけにもいかないし、どうしたものか。そんなことを考えているのだろう。耐える姿も可愛いと思いながら、モーリスは楽しそうな笑みを浮かべている。
「抵抗しないと、
「珈琲、ぶっかけて良い?」
「さすがにそれは面倒そうだな」
モーリスの手がカップを取り上げた。
カップが、ベッド横の小さな台に置かれる。
サリーが不満そうに「何よ」と言いかけたが、それは覆いかぶさって唇を重ねたモーリスに飲み込まれた。
口腔に拡がる珈琲の香りも苦みも、全て飲み込もうとするような、熱い口づけ。
角度を変え、何度もしつこく唇を味わっていると、耐えかねたサリーの拳がモーリスの背を叩いた。だが、そんなことは気にもしない。
熱さはなお増すばかりだ。
一度、二度、三度と繰り返し叩く。
それでも離れようとしないモーリスに、苛立ちを感じたのだろう。サリーの白い拳がきつく握りしめられ、振り上げられた。
殺気を感じたモーリスは
容赦のない拳を見て、モーリスは顔をひきつらせる。
「今、本気で振り下ろしただろう?」
「あんたがいつまでも、がっつくからでしょ!」
「そりゃぁ、そんな美味しそうな姿見せられたら、
やに下がる顔に枕が叩きつけられ、モーリスの言葉は途切れた。
「シャワー、使うから!」
脱ぎ散らかした下着と服を拾い上げたサリーは、さっさとドアの向こうに消えてしまった。
床に落ちた枕を拾い上げ、ベッドに腰を下ろしたモーリスは満足そうな顔で珈琲カップに手を伸ばした。そのすぐ傍には愛用の
(昨日は磨かなかったな)
日課でもある就寝前の銃の手入れを忘れていたことに気づく。
カップの中身を飲み干し、長い息を吐いたモーリスは愛銃を手に取ると、弾薬を抜いた。そして、台の下にある手入れ用の道具が入る籠の中から
窓からは差し込む朝日が眩しくなってゆく。それに思わず口元に笑みを浮かべた。
いつもなら夜の電灯で手元を照らしながら行うことを、眩しい光に目を細めているのが、どうも可笑しく思えた。
しばらく無言で磨いていると、ふと懐かしい言葉が脳裏に浮かんだ。
「──不完全な六に命を預けるな」
空っぽのシリンダーを回転させ、モーリスはその言葉を、噛み締めるように呟く。
「五つの愛を知り、四つの孤独を抱いたものは──」
弾薬を丁寧にひとつずつ込めていきながら、思い出すのは、懐かしい教官の声だ。
命を預ける銃に愛情を注げと言い、候補生を守り死んでいたロマンチストの教官。彼の教訓は良くも悪くも、モーリスの心に根付いている。
残り三つの穴を埋めるべく弾薬を手に取ったモーリスは、手元が僅かに暗くなったことに気づき、顔を上げた。
使い慣れたシャンプーの香りに包まれたサリーが、
「希望を抱いた完全な三となる……だったかしら?」
それに頷き、次の弾薬を手にしたモーリスは、さらに言葉を続ける。
「二つの祈りを月に捧げ」
横に腰を下ろしたサリーは飲みかけのカップを手に取り、モーリスの手元をじっと見ると、ゆっくりと口を開いた。
「最後の弾丸を抱いて眠れ」
二人の声が重なり、祈りの言葉とともに装填が完了した。
手の中の
「懐かしいわね。ロマンチストな教官の言葉よね」
「あぁ。
「当の本人が、弾切らして魔物に食べられてたら、世話ないわ」
「そう言ってやるなよ。必死だったんだろう。俺等を逃がすことで」
愛銃を台に下ろし、モーリスは小さく息を吐く。
「──まぁ、同じことするだろうな、俺も」
「ほら、やっぱり
声を荒げたサリーにきょとんとしたモーリスは、小さく噴き出して笑う。
それに、何よと不満そうに唇を少し突き出したサリーは、真っすぐに向けられた真剣な眼差しに言葉を詰まらせた。
「勘違いすんな。お前がやられそうになったらって話だ」
「……バッ、バカじゃないの!?」
シャワーを浴びて
「あたしは、そう簡単にやられたりしないわよ!」
「知ってるさ。だけど、絶対なんてない」
今は前線から遠ざかっている。しかし、二人とも、いつ最前線に送られるか分からない立場であることに変わらない。
「それに、もしもお前を守り切れなかった時は──」
敵を八つ裂きにして、最後の弾丸は自分に使うだろう。そう本音を言葉にすることは
(きっと、愛翔はそんなことを望まない。それでも、俺は──)
黙り込んだモーリスを見て、サリーはため息をつく。
「守って欲しいなんて、いつ言ったかしら?」
すっかり冷めた珈琲を飲み干し、カップを台に戻したサリーは、モーリスの肩に手を添えると、とんっと軽く押した。
潤んだ鳶色の瞳は、泣いているというよりも怒っているようだった。
「あたしも軍人なんだけど?」
「知ってる」
「あんたが守られる方かもしれないわよ?」
「それは……考えていなかったな」
「ほんっと、バカね。それに、銃の腕はあたしの方が上よ」
呆然としているモーリスに覆いかぶさり、サリーはしっとりと濡れた唇を寄せた。
優しく触れるだけの口付けに、モーリスは心の内で敵わないなと
「あたしがいれば、あんたの弾丸は、いつまでも最後の一発にはならないわ」
再びモーリスを見下ろすサリーは、口角を上げて不敵に笑った。
朝日を浴び、しとどに濡れたピンクブロンドの髪が煌めき、神々しさすら湛えている。
(
空から舞い降りた勇ましくも美しい姿を思い出し、モーリスは苦笑する。
「すげぇ自信だな」
「あんたほどじゃないわよ」
ふわりと笑ったサリーは頬に伸びてきた指に、自らすり寄った。
「お前は最高の
「もう! そこは
「そこ、拘るとこか?」
「拘るとこでしょ」
唇を突き出して不満顔になるサリーを愛しく思い、モーリスは彼を腕の中に引き入れると強く抱きしめた。
「言葉なんてどうでもいいさ。一生、俺の背中を預けるのは、愛翔、お前だけだ」
「……そうね、あたしをその名前で呼べるのは、あんただけよ。モーリス」
愛しいだけでは言葉が足りない。そんな思いで、何度目か分からない口付けを交わした二人は顔を見合わせると、ほんの少しの照れくささを滲ませて笑い合った。