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第12話

律さんに厳しい目を向けられた二人が、肩を揺らす。


先に動いたのは太晴だった。


「は、早川社長お久しぶりです……!

スタートストライクの荒井です。

展示会の際など何度かご一緒させていただいたのですが……」


取り繕うような笑みを浮かべ、律さんの反応を伺い見る。


「あ、彼女は私の後輩です!

今日は勉強のために連れてきていて……」


そう言って紹介される倉谷さんは、いまだ押し黙っている。


「……荒井さん。ああ、覚えているよ。

ところでどうして私の婚約者が泣いていたのかと聞いている」


律さんは依然厳しい口調のままだ。


「あ、あのお……宮内さんは、元はうちの派遣社員で……。

本当に彼女が早川社長の婚約者なんですか?」


「ああそうだ」


律さんがはっきり肯定しても尚、太晴は信じられないといった様子だった。


「だってまさか……そんな素振りなかっただろ」


ぶつぶつ呟く太晴では埒が明かないと思ったのか、律さんが私を見る。


「この二人と何かあったのか?」


律さんは私と太晴は元恋人同士であったことを知らないはずだ。

この二人にされたことを言いつけたって、せっかくのパーティーを台無しにしてしまうだけ。


とにかくもう関わりたくない。

その一心で、首を横に振った。


「……大丈夫です。

ちょっと目にゴミが入っただけなので」


律さんはどこか納得いかないような顔でこちらを見ていたが、私がそれ以上何を言わないままでいれば「……そうか」と

引き下がってくれた。


太晴も余計なことを言われたらまずいとでも思っているのか、口をつぐんでいる。

そんな中、倉谷さんが口を開いた。


「……宮内さんの指のやつって、婚約指輪ですよね?」


倉谷さんは私の左手にある婚約指輪をじっと見つめている。


「ダイヤがおっきくてとっても綺麗」


「さ、さすが早川社長ですね……」

おべっかを使う太晴の目線も、指輪に釘付けだった。


「……よく似合っているだろう?」


律さんが、私の左手をそっと持ち上げる。


「愛する女性のことは、とことん大事にしたい性質なものでな」


これはただの契約結婚。

分かっているはずなのに、そう甘やかに微笑まれたら胸が高鳴ってしまう。


きっと、牽制の意味もあるだろう。

私と太晴たちの間に何かしらの確執があるのを察したのかもしれない。

事実太晴は、何も言えず固まっているだけだから。


「すごく愛されてるんですね。

……羨ましいなぁ〜」


明るく取り繕おうとするレナも、笑顔が引き攣っていた。


「では私たちはここで失礼する」


そうして律さんに手を引かれ、私は太晴たちの元を離れるのであった。



太晴たちから離れ、ふうと息を吐く。

急に疲れがやってきたようで、少しだけ体がふらついた。


「……顔色が悪いな」


律さんは私の様子にすぐに気づき、近くの椅子に座らせてくれた。


「律さん、先ほどはありがとうございました」


私は太晴たちの件について、改めてお礼を伝える。


「いや、大したことはしていない。

……無理に話せとは言わないが、彼らとは関係があまり良くないように見えた」


やはり気づいていたんだ。

私は「はい」とそれを認めて頷く。


「あの二人とは退職前にちょっとトラブルがあって……」


あの二人を前にしたとき、私はあまりにも無力だった。

だけど。私は顔を上げて、律さんを見つめる。


「律さんが来てくれて嬉しかった。

……ありがとうございます」


まるで世界でたった一人の味方を見つけたような、あの時の安堵と喜びを私はずっと忘れないだろう。

律さんがポン、と私の頭に手を置いた。


「またあの二人と何かあった時はすぐに言ってくれ」


思いもよらず始まったこの関係。

けれど今は、この人の隣にいれることが嬉しいと素直に思った。



あの後は、律さんが気を利かせてくれて早めに帰宅することができた。

もったいない気がするけれど化粧を落としてシャワーを済ませれば、ようやく肩の荷が降りるようだった。


「……今日は疲れたな……」


早めに寝ようと決めたところで、派手な音を鳴らすお腹。

そういえばパーティーでは結局、ほとんど何も食べていなかった。


「こんな時は……あれ作ろう」


私の中でのお夜食の定番といえば、トロトロに煮込んだ卵おじやだ。

お出しと水で煮た後は、ちょっと味噌を入れるのがポイント。

こういう時のために冷凍ご飯をストックしておいて良かった。


キッチンに立ち、ご飯を軽く温めている間に薬味のネギを刻む。

そんな時にガチャリと開くドアの音。


「あ、すみません。

こんな時間にキッチンお借りしてます……」


「いや、それは構わないが……」


そう言いながら、冷蔵庫から500ミリのミネラルウォーターを取り出す律さん。


「何を作っているんだ?」


ペットボトル片手に、興味深そうに私の手元を覗いている。

そういえばこの人も、私と同じくパーティーでは食事をとっていなかったはず。


そこで律さんのお腹が控えめに音を鳴らした。

思わずくすっと笑いが漏れる。


「夜食のたまごおじやです。

……よかったら一緒にどうですか?」



二人分の卵おじやを並べ、私たちは揃って手を合わせた。


「いただきます」


律さんは結構な空腹だったようで、手を休めることなく食べ進めている。


それを見ながら、私もまだ熱いそれをスプーンの上で冷ましながら頬張る。

良くも悪くも普通の家庭料理で、今日のパーティーで出た料理とは比べ物にならない。


「……祖母の前でも言ったことになるが、君の作るものは本当に全部上手いな。

何度でも食べたくなる、ほっとする味だ」


律さんは、そう言って目を細めた。


「ありがとうございます。

おかわりもあるので良かったら食べてください」


律さんのおかげで、最近は料理を作ることがより好きになった。

美味しいって喜んでくれるかな、最近はそんな風に料理中も律さんのことばかり考えている気がする。


「それと改めてだが、祖母の件のお礼を言わせてくれ」


「お礼?」


思わず首を傾げる。


「ああ。

祖母は音のことが気に入ったようで、また会いたいと言っていたよ」


「それは……良かったです。

私もまたお会いしたいです」


そう言ってもらえるのはやはり嬉しい。

最後バタバタと病室を飛び出してしまったから、そのお詫びもかねてまたお伺いしたいな。


「契約結婚の相手が、音でよかった。

ありがとう」


その言葉に、私は性懲りもなく心臓を騒がせる。


ああだめだ。

私この人のこと―――好きになってしまうかもしれない。



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