「……はあ」
ボクはトイレの個室で、三回目になるため息をついていた。
現在、お昼休みの時間。ボクは以前のようにトイレに籠り、もそもそとパンを齧っていた。
あの中休みの時間以来、白坂くんとは一言も喋れなくなってしまった。
金森さんのことを悪く言ってしまった罪悪感が、ボクの口を固く閉ざしてしまった。
(ううう、せっかくまた、隣の席になれたのに……。こ、これで嫌われちゃったら、どうしよう……)
今まで仲良くしてきた時間を帳消しにしてしまうくらいに、さっきのボクの言葉は最悪だった。
もしも時間を巻き戻せるなら、全部戻したい。何も言わないようにしたい……。
『ボクさ、金森さんって頭悪いと思うんだよね』
『人が嫌がってることに気がつくような、察する力がないんだと思う。もしかしたら、本当は金森さん、嫌われてるんじゃないかな』
(ああ……!もう完全にブーメランだよ……!ボクが一番、白坂くんの嫌なことしちゃってるじゃないか!)
こういうセルフ反省会を、今までの人生で何回やって来たことだろう。自分の不器用さにイライラして、どうしようもなくなる。
ああ、白坂くんにだけは嫌われたくないのに。マイナス点をつけられたくないのに。
(もう!もうもうもう!なんで!なんで!)
ボクは今にも泣きそうになりながら、頭をガリガリとかきむしった。
「………………」
何か挽回する方法はないかと、あれこれ考えを巡らせてみたけど、結局何も思いつかなかった。
パンもまともに喉を通らず、半分だけ齧って、残りはゴミ箱に捨ててしまった。
お昼休みも終わりが近づいていたため、ボクは重い腰を上げてトイレの個室から出て、教室へと向かって行った。
「……はあ」
四回目のため息が、静かな廊下に響いていた。
(……“リセット”、するしかないのかな)
ボクの脳裏に浮かんでいたのは、まさしく最終手段だった。
白坂くんとの縁を、ばっさり切る。今までの全部を何もなかったことにしてしまう。
そうしたら、白坂くんから嫌われても、傷つかない。
いよいよとなったら、もう……そうするしかないのかな?最低最悪な方法だと頭では分かっているけど、ボクは白坂くんから嫌われるのを恐れるあまりに、そんなことを思ってしまう。
「………………」
とぼとぼと、亀のように遅いボクの足元を、ぼんやりと霞んだ眼差しで見つめていた。
「あっ!やっほーさっぽん!」
その時、あろうことか一番会いたくない人と出会ってしまった。
彼女は……金森さんは、ボクの右肩をポンポンと叩いてきた。
右側の方へ顔を向けると、金森さんは「おっすおっす!」と、満面の笑みをボクへ向けてきた。
その笑顔に腹が立ちながら、ボクは「どうも……」と短く返した。
「……?」
金森さんは何やら怪訝な顔をして、じーっとボクの顔を覗き込んだ。
「な、なんですか?金森さん」
「なーんか、さっぽんちょっと、元気なくなーい?」
「………………」
「どーかしたの?ヤなことでもあった?」
「……べ、別に、なんでもないです」
「えー?ほんと?」
「はい」
ボクの言葉を聞いても、金森さんはあまり納得がいかない様子だった。「むーん」と唸りながら、下唇をきゅっと尖らせて、腕を組んでいた。
「……まあ、いっか!そんな時もあるよねー!」
でも、その顔も一瞬だった。すぐに彼女はいつもの明るい笑顔に変わり、能天気な言葉を口にしていた。
「なんかあったら、あーし話聞くから、いつでも言ってね!」
「……どうして」
「え?」
「どうして、“私”なんかに、優しくするんですか?」
「???え?え?どーゆー意味?」
金森さんはきょとんとした顔で、首を傾げていた。ボクは相変わらず、視線を足元に向けたまま、ぼそぼそと彼女へこう告げた。
「だって、金森さんと“私”は、全然、違う世界に住む人ですから」
「………………」
「金森さんは陽キャで、“私”は陰キャ。金森さんにはたくさん友だちがいて、わざわざ……“私”のことを、気にかける必要なんて、全然、ないのに」
「……違う世界に、住む?」
「そうです」
「えー?どういうこと?さっぽん、なんか難しーこと言ってるー」
「………………」
「だってさー、さっぽん。あーしもさっぽんもさ、おんなじ女の子で、おんなじ日本人で、おんなじ学校に通ってるよー?住んでる世界、一緒じゃないのー?」
「………………」
「ていうか、シンプルにさー、あーしはさっぽんが優ぴだから、あーしもさっぽんに優ぴしよーって思ってるだけだよー?」
「……優、ぴ?」
「うん!」
ボクは顔を上げて、金森さんの方へ眼を向けた。彼女はなんだか自信満々に、口角をニッと上げた状態で、こう言った。
「だってさっぽん、いつもあーしの話、聞いてくれるじゃん!」
「………………」
「あーしが好き勝手話してもさー、さっぽんずっと『うんうん』ってしてくれるでしょー?あれ、あーし嬉しいんだよねー!」
「………………」
「他の友だちにはさー、『あんたの話長くてうるさい』って言われちゃって、しゅんってしてたからさー。だから、さっぽんは優ぴだなーって思って!」
「………………」
「だからね、あーしもさっぽんの話、聞いてあげたいの!いつもあーし聞いてもらっちゃってるから、そのお返ししたいなーって!」
……ボクはまた、足元に目を向けた。
あんまにも眩しく笑う金森さんの顔を、観ることができなかったから。
ズキズキと痛む胸を、右手で上から押さえつけていた。
「……大丈夫、です」
「うん?」
「本当に、大丈夫ですから。気にしないで、ください……」
「……うん、分かった!さっぽんがそーゆーなら、全然おっけー!」
「………………」
「あっ!やばー!もうこんな時間!さっぽんごめーん!そろそろあーし、自分のクラス帰るね!」
そうして金森さんは、「またねー!」と叫びながら、パタパタと廊下を走って行った。
しーんと静かになった廊下を、ボクはまた、とぼとぼと歩き始めた。
「………………」
……別に、金森さんなんかに、心配されなくていいし。
ボクは、なんとも思ってないし。
むしろ、余計なお節介にしかならない。なに?良い人アピールでもしたいの?
独りぼっちで寂しそうにしてるボクに声をかけたら、周りに優しい人だって評価されるから、そうしてるだけなんでしょ?ふん、そんなの、ボクにはお見通しなんだから。そういう扱いをされたことだって、何回もあるんだから。
嫌いだ、金森さんなんて。
押し付けがましくて、お節介で。
……優しくて。
「………………」
ボクは、歯をぐっと食い縛って、目をぎゅっと瞑った。身体の奥底から沸き上がる感情を、必死に止めようとした。
でも、それは結局、間に合わなかった。
「う、ううう、うぐっ……」
涙が、床にぽたりと落ちた。
ボクはそれを踏んづけて、身体を震わせながら歩く。
違う、違う、違う。
本当は、金森さんのこと、嫌いなんかじゃない。
ボクなんかにも気軽に話しかけてくれて、お金を貸してくれたり、ああしてボクのことを心配してくれたりする……優しい人だって分かってる。
でも、どうしてもそれを認めたくなかった。
白坂くんと仲のいい女の子なんて、嫌な奴でいて欲しいと、ボクが勝手にそう湾曲したんだ。
自分の憎悪を、正当化したかっただけなんだ。
「うう、う、ぐううっ!」
自分の身を焦がす勢いで、嫉妬の炎が胸の中に広がっている。
金森さんは、明るくて気が利く人で、他人と喋る時も物怖じしない。ボクには持っていないものを、この人はたくさん持っている。
誰がどう考えても、ボクなんかより金森さんと一緒にいる方がいい。醜い嫉妬をする陰キャのボクなんかより、明るくて、元気で、ボクのことさえも……『優ぴ』と言ってくれる金森さんの方が……。
きっと、きっと、白坂くんだってそう思う。
「ぐうううう!!ううううううっ!」
ああ、もう!
なんて情けない!!
ボク、本当に、いいところ全然ない!!
自分も話すの上手くない癖に、金森さんを責める時は棚に上げて!!自分には甘く採点してて!!あまりにも器が小さすぎる!!
こんな人間から好かれても、白坂くんは絶対嬉しくない!!
バカ!!バカバカバカ!!
死ね!
ボクなんて、死んじゃえ!!
死んじゃえ!!
死んじゃえ!!
死んじゃえーーーーーーーー!!