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第2話 チュンに捕まる

 衝撃の日から、丸二日。

 終業の手続きを終えて、服を着替え、職場を出る。


 今日も、なんとか一日が過ぎました。


 難しく考えることはない。

 淡々と目の前にあることを片付けて時間を過ごしていけば、いつかはこれが普通になって、何も感じなくなる。

 そういうもの。

 自分にそう言い聞かせて、空を見上げた。

 年末近い今は、暮れるのも早い。

 うっすらと陽光の名残がある空。

 駅に向かおうとしたら、目の前に人影が立ちはだかった。

 ででん、って感じにふんばって仁王立ちのつもりなんだろうけど、お前小柄なんだから、迫力ないよ。


「よう、ぶー」

「やあ、チュン。どうした?」

「すっげえ不愉快な噂を聞いたから、確認しにきた」

「ああ、そうなんだ」


 奴は雀部弘樹ささべ ひろきという。

 高校時代の寮のルームメイト。

 学部は違うけど進学した大学も一緒で、卒業後も何となくずっとつきあいが続いている。

 先日の増田の結婚式には、仕事で不参加だったけど、あの集団とも仲がいい。

 苗字に入る『雀』という字から、チュンと呼ばれる男は、それはもう前向きでパワフルだ。

 見た目は名前のとおり『雀』。

 小柄でチュンチュンとやかましい。

 だけどつきあってみると全く違って、義理と人情に厚い、オトコ。


「そろそろ来るかなって気はしてたんだよね」


 苦笑いでそう言ったら、チュンはますます機嫌の悪そうな顔になる。

 高校から数えてつきあいはほぼ十年にもなるわけで、チュンの行動、予想はできてたんだ。

 チュンはいい奴だから、噂を聞けば騒ぎ出すだろうなとは、思っていた。


「だったら速やかに報告しろよ」

「やー、口に出したくない事柄って、あるじゃないか」

「それでもだよ」


 で、あんまり気が進まないと態度で示したにもかかわらず、引きずられるように連れて行かれた先は、半個室でお手軽値段の居酒屋チェーン店。

 一応は向かい合わせだけどカップル席じゃね? っていうような二人席にぐいぐいと押し込まれて、居酒屋ならおれの説明にチュンが大声を出しても、それほど迷惑がかからないだろうと、言い切られた。

 大声出すのは、前提なのかよ。

 差し出されたメニューからいくつか注文をして、おれはため息をつく。


「ぶー?」


 おれがこいつをチュンと呼ぶように、こいつはおれを『ぶー』と呼ぶ。

『ぶー』というのは、高校時代に生方という苗字から付けられたあだ名。

 チュンは小柄でにぎやかだから、あまり違和感のないあだ名だけど、おれは違う。

 ぎりぎり一七〇に届くくらいの身長に、「小骨が刺さりそう」といわれる肉付き。

 初対面の人の前で、呼ばれたあだ名に返事をすると、ほぼ必ず確認するように二度見されるのだ。

 体型とあだ名の印象に、ギャップありまくりだからね、その反応もわかる。

 当時はお互いに嫌がっていたけど、そういうあだ名こそ定着するもの。

 雀部弘樹はチュンと呼ばれ、おれ、生方郁はぶーと呼ばれている。

 今では愛着すら感じてるから、いいんだけどさ。

 テーブルに置かれたつき出しに、箸をつけていたら、とりあえずのビールが届いた。


「おつかれ」


 仕方がねえな、というように笑って、チュンがジョッキを掲げる。

 無言でジョッキを手にして、こつんとぶつけた。


「なあ、俺の記憶が確かならさあ」

「チュン。聞きたいことはわかってんだけどさ、あんま楽しい話じゃないから、先に食わねえ?」

「あ、そう」


 この期に及んで、まだそう言うおれに、チュンはちょっと呆れた顔をしたけど、それ以上は言わずにぐいっとビールをあおる。

 だって、なあ。

 そういうもんだろ?

 とは言っても、そこはチュンだから。

 注文した料理がそろって、一通り味わったところで、口火を切ってきた。


「なあ。岡田直純は、ぶーの、恋人だったよな?」


 おれは昔から男に惚れる男だ。

 自分の性癖が少数派なのは知っているけど、隠してはいない。

 偏見を持たれることが多いから、おおっぴらにもしていないけどな。

 チュンは、知っているけど「だからどうした?」というスタンス。

 人の好みにとやかく言うのは、野暮なんだそうだ。

 ちなみにチュン自身は「好きになった相手がタイプで、今のところ全部相手は女」だって言っている。


「あー、そうな」


 ついに出された話題に、渋々答える。


「なんか、次は岡田氏が結婚らしいよ」

「らしいって、他人事じゃねえだろ」

「だって、本人からはなんも聞いてねえし」

「はあ?」


 目の前にあるサラダを箸でつつきながら、あの日のことをチュンに話す。

 高砂席に挨拶に行ったらば、新郎の口からいきなり「次は岡田だな」と聞いたこと。

 披露宴中にはそれ以上のことは、聞くに聞けないままだったこと。

 友人たちと一緒の帰り道に、三月に挙式だって、知ったこと。


「え、何それ? もうじきにクリスマスだよ、三月なんてもうすぐじゃん。それ、岡田が自分で言ったの?」

「そう。女子に追求されて、渋々、認めた。あれ、照れてたんじゃないかな?」

「野郎の照れはどうでもいいんだよ。つか、その結婚するって話、ぶーに直接言ったんじゃなくて?」

「女子トークの中で暴露されてたのを、聞いたきりだな」


 おれはジョッキに残ったビールをゴクゴクと飲む。


「まあ、あれから、連絡取ってないし」

「どういうことだ、それ?」


 むうっとチュンが眉をひそめた。


「迎えに来てたから、なんかもう、そういうことならいいかあって」

「迎え? 誰が?」

「彼女」

「いつ、どこに?」

「新幹線のホーム。結婚式の帰り、新幹線を降りたら彼女が来てて。ナオ、お持ち帰りされてたから……そっから連絡してない」


 かわいい子だったな、と思う。

 足元がすうっとなって、心臓がぎゅん、ってなったけど。

 息が苦しくて、でも、笑っていなくちゃいけないってことは知っていて。

 だから笑っていたと思う。

 皆と別れた後どうやって帰ったのか、しかと覚えてはいないけど、気がついたら自分の部屋にいた。


 一人暮らしの、真っ暗な部屋にいた。


 おれの話を聞きながら、チュンの眉間にますますしわが寄る。

 いやその顔やめれ、怖いから。


「なにそれ、友達といるって知ってて迎えにくるって、その女怖いよ?」

「え? かわいかったよ?」

「いやいや、見た目の話じゃなくて。その行動、計算入ってるだろ。大丈夫? 岡田、逃げられんの?」

「逃げないんじゃない? 逃げる必要ないじゃん。そのまま結婚すると思うよ」


 外堀埋められてそうだしねえ、と笑ったら、チュンがキレた。

 ガン。

 拳をテーブルに叩きつける。

 だから怖いって。

 大声出さなくても、その行動、怖いから!


「だったら、お前はどうなる? 岡田がつきあってるのは、お前じゃないのか?」

「そのはず、だったんだけどねえ……」

「ぶー!」

「怒るなよ。仕方ないことだからさあ」

「いや、お前は怒れよ!」


 怒るっていうより、やっぱりなあって、思ってしまったんだ。

 男同士だからっていうんじゃない。

 つきあっている相手がいるのに、別の相手と結婚するなんて話は、男とでも女とでもよく聞く話。

 だからそこじゃなくてさ。

 なんか、しょうがないよなあ……相手、おれだもんなあって。


「ナオは多分、おれじゃないって思ったんだよ」

「なにが」

「結婚相手」

「男だからか?」

「じゃなくて、おれだから……おれじゃ、ダメだって思ったんじゃないかなあ」


 誰が悪いわけでもないと思うよとそう付け加えたら、


「あのな、岡田のしてる行動は、二股っつーの! 二股かけてるのは、誰がどう見ても悪いんだよ!」


 って、ますますチュンが怒り狂った。

 面倒だけど、ありがたい。

 チュンはホントにいい奴だと思う。

 けど、賑やかなとこ選んだって言っても、やっぱ店で荒ぶるのは止めれ。

 面白くない話はそこで切り上げて、ほどほどに腹を満たして、店を出ることにした。


「ぶー、ちゃんと話せよ」


 店から駅に向かう道中、渋い顔のままでチュンが言う。


「ん? 何が?」

「お前に不誠実だった時点で、俺は、お前と岡田がつきあってんのは、賛成できない。でも、お前が納得してんだったらそこはもうしょうがないのかな……とも、思う。とりあえず、お前はちゃんと岡田と話をしろ」

「いやあ、でももう、連絡するのも、なんだか気が引けて」

「だったら尚更、ちゃんと話をしてきっぱり別れろ」

「既に、別れてるようなもんだと思うんだけどね」


 おれはコートのポケットに手を突っ込んで笑う。


「ぶー」

「ん?」

「暴走すんな。マジで、ちゃんと、岡田と話をしろよ」

「何それ」

「我慢してるウチはいいけど、お前、時々訳わからんことするから」

「訳わからんて」


 難しい顔をするチュンに、おれは笑う。


「いや、おれ、愛されてんなあ……」

「キモっ! ぶーのくせにデレてんなよ! 鳥肌立つわ!」

「ははは、ひでえなあ」


 チュンは時々うざいけどいい奴で、こういう時にアツくて、頼りになるんだ。

 それで、どうしようもないおれのことでも、大事なんだと思い知らせてくれる。

 いや、ホントに、義理と人情に厚い、いいオトコ。


 チュンなんだけどな。





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