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第14話 梅雨前、以前と違うこと

 当たり前のことなんだけど、おれがやらかしても世の中になにか差しさわりがあるわけじゃなくて、淡々と季節はゆっくり移ろっていく。

 梅雨が明けようという今、ここは田舎だと実感する。

 すごいよな。

 日中は確かに蒸し暑くて都会とあまり変わらない気がするんだけど、朝晩の冷え込み方は、全然違う。


「…ぶしょん」


 ここ数日のお約束でおれはくしゃみで目覚める。

 部屋の中は薄暗くて、扇風機が緩く動く音がした。

 またかよ。

 扇風機はタイマーで消したのに。

 ずずず、と鼻をすすりながら、手探りで手にしたスマホを見た。


「……まだ、五時前じゃん」


 目覚ましがなる時間には、程遠い。

 しかし、寒いからといってここで消したはずなのに稼働している扇風機を止めたら、きっと次は暑さで目覚める。

 と、いうか起こされる。

 おれは学習したのだ。

 布団の横に畳んでおいた、夏掛けを手繰り寄せて、丸まる。


「ん……」

「暑いなら、くっついてくんなよ、もー」


 扇風機をつけた犯人――シュンは、おれの横にへばりついて安らかに眠っている。

 お前、子どもの体温で温いけどさあ、朝に扇風機ついてるとおれは寒いんだよ。

 なんでだかシュンは、おれの布団で寝るのが気に入ったらしい。

 四月におれが寝込んでから、シュンは気がついたらおれの布団に入り込んで寝るようになった。

 最近なんかは、ご丁寧に消したはずの扇風機をつけてまで、おれの布団に入るのだ。

 子どもの行動だから、とやかくは言わんけどさ。

 謎。

 おれもどっちかというと人肌恋しい方だから、ちょっと布団は狭くなるけど、いいことにしてる。

 ただ、シュンを抱き枕にするのは、寒い時期に限るんじゃないかっていうのは、つくづく感じた。

 おれにとっては肌寒いなって時、シュンがそこにいてちょうどいいとこっちからくっつくと、寝ぼけるのか暑いのか、ゴロゴロ寝返りをうちまくって、寝られないのだ。

 だから暑い時期、シュンからくっついてくるのはいいけど、こっちからは放置。

 夏掛けに包まって、子どもの体温を背中にくっつけて、二度寝を決め込む。


 まあ、アレだ。

 これはこれで、いいわけだ。




 起床時間に目覚ましが鳴る。

 止めるだけ止めて、行き倒れていたらテルさんの声が聞こえてくる。


「おーい、時間だぞー」

「んー……いっくん、あさー……」

「んぅー」


 シュンと二人でうだうだしてると、テルさん襲来。

 布団をはがされて、追われるように朝食の席に着く。

 初めての日、憧れの朝の風景だと感心した、あれが今のおれの日常。


「ほら、もう時間ないだろ。早く食べな」

「……ぅあい」


 男所帯とは思えない、絵にかいたような朝飯はホントに素晴らしくて、今朝も食卓に見惚れる。

 今朝は白飯と味噌汁に、ジャコの乗った豆腐と叩きキュウリ。

 ありがたく手を合わせて箸をとる。


「いっくん、ホントに朝弱いねえ」

「そうでもない、よ?」


 多分。

 一応は起き上がって朝飯を口に入れているから、弱いってほど弱くもないと思う。

 育ち盛りのシュンは、今朝も気持ちよく飯をかっ食らってる。


「シュン、人のことはいいから。急ぐのはお前もだよ。今日の予定は?」

「ふつー。テルちゃんは?」

「いつも通り。いっくんは?」


 テルさんが準備する大きな水筒には、冷やした麦茶が入っている。

 身長はぐっと伸びて、することも大人びてきたのに、朝の準備にランドセルと水筒が並んでいるのを見ると、改めてシュンが小学生なんだなって、思い出す。

 テルさんの質問におれが答えるより早く、シュンが言い切った。


「オレ、帰りに迎えに行く!」


 いや、おれ一人で帰れるからね?

 っていうか、ホントに不思議なことなんだけど、実はおれの滞在先、寺の方だったはずなんだよなあ。

 いつの間にかこっちになってるし、毎日のようにシュンの送り迎えがある。

 解せん。

 理由はわかってるけど、解せん。


「いっくん、前科持ちだからね。自業自得」


 くすくす笑いながら、テルさんがおれの頭を撫でた。

 なんというか、ものすごく甘やかされてしまって、そわあって腹の底が落ち着かなくなるんだ。

 嬉しいけど。




 寺での仕事は、地味に地道に、でも確実に進んでる。

 そして寝込んだ後に変わったことのもうひとつが、三時のおやつ。


「郁や、そろそろ休み入れたらどうだ?」

「はーい……キリついたら……」


 住職が寺にいるときには、必ず、三時に声をかけてくれるようになったんだ。

 この爺孫はあれですか、世話焼きの一族ですか。


「そういって、お前すぐ根詰めるだろう。ほれ、こっちに来なさい」

「え、ちょ、住職、待って、せめて印を付けさせてください」

「そのまま置いときゃいいだろう」


 住職に本堂の縁側に連れて行かれながら、オレは思う。

 絶対、世話焼き一族だ。

 縁側に並んでるのは、麦茶と梨。

 梨は冷やして皮をむいてって、食べやすくしてくれたんだろうけど、盛りっと器に積み上がっていて何人分ですか、って状態。

 ちょっとばかり不格好なとこが、住職の仕事だなって感じ。


「梨、すごい量ですね」

「頂き物だ。食っちまわんと、痛むからな」

「それにしちゃ、多くないですか?」

「シュンが来たら、食い尽くすだろうさ」


 はっはっはと豪快に住職は笑う。

 まあ、確かにそうか。

 いつもこっちが驚くくらいに、気持ちよく食卓の上を片づけていくシュンは、最近、ますます食欲旺盛だ。

 差し出されたおしぼりで手を拭いて、梨をつまむ。

 歯を立てたらしゃくっとみずみずしい音がした。


 この住職にしてあの孫二人あり、だな。

 そう思う。

 テルさん曰く住職は、「面倒見はいいけど、雑」らしい。

 春先に、おれがうっかり失敗して熱を出したとき、気がついたのはシュン。

 住職は昼飯もすっ飛ばして熱中していたおれのこと、熱心だなと思って、そっとしてくれていたらしい。

 熱でヘロヘロになっているおれを家に連れて帰り、ちゃんと動けるようになるまで、至れり尽くせりで面倒を見てくれたのは、テルさんとシュン。

 そのあと家に部屋を用意してくれて、帰りは必ず迎えにくるようになった。

 テルさんは「だからじいさんは雑だっていうんだ」って文句言ってるけど、おれは住職が深く立ち入らず見守ってくれてるとこ、割と好きだ。

 のんびりとお茶をしていると、ザシザシと砂利を踏む音をさせて、シュンが帰ってきた。

 ランドセルが窮屈そうなのが、かわいい。


「おー、シュン、おかえり」

「おかえり、シュン」

「ただいま。ねえおやつ? 何?」


 縁側に近寄ってきたシュンは、器をのぞき込む。

 まず食欲とは、なんて健やか。

 そんなシュンに向かって、にこやかなまま住職が言った。


「シュンや、今日、お前こっち泊れ」


 シュンは顔すら上げず、バサッと断る。


「えー、やだ」


 そして、縁側にランドセルを下ろすと、そのまま本堂に上がって、奥の部屋に走っていってしまった。

 見送った背中には、くっきり汗のあと。

 住職が追うように奥に向かった。


「やだって。こっちに泊ったら、母ちゃんくるもん。会いたくない!」


 遠くでシュンの声がした。

 住職はやっぱり家族だから、何とか仲を取り持ちたいようだけど、シュンは頑なに母親に会うのを嫌がる。

 おれに『シュン』と呼ばせるのだって、住職やテルさんがそう呼んでいて、母親が『ハルちゃん』と呼ぶからだ。

 所詮かりそめに世話になってるから、詳しいいきさつはわからない。

 けれど、シュンは母親に捨てられたと思っているし、母親を毛嫌いしている。


 そこに気がついたところで、おれには何もしてやれないんだけどさ。




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