目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第18話 受験のススメ

 三日ほど前、急に空気が冷たくなって、いつものように熱が出た。

 おれにとってはいつものことでも、やっぱり迷惑と心配をかけてしまって、申し訳なくなる。

 こっちに来てからは、熱を出すのは二回め。

 解熱剤を飲めば動けないほどではないから大丈夫だと言ったけど、テルさんとシュンによって布団の住人にさせられている。


「ケフン」


 空咳が出て、喉の奥、喉仏のあたりを意識する。

 上手くイガイガを逃がさないと、そのまま連続で咳が出てしまうから。


「ぅぁー……」


 季節の変わり目は、苦手だ。


「いっくん、起きてる?」


 学校から帰ったらしいシュンが、障子からひょこんと顔を出す。

 そろそろ顔出してくれないかなと思っていたんだ。

 退屈していたわけでもないけど、ちょっとだけ人恋しかったから、ありがたい。


「……ぉかえり」

「ただいま。熱、下がった?」

「んー……あとちょっとかな」

「まだ、声枯れてるね」

「咳、出てるから」


 一緒に暮らしていてもおれは部外者だから、かわいいテルさんを見た夜から、関家の中でどういう話があったのかは知らない。

 この家で見るテルさんはやっぱりしっかり者で、シュンは変わらずちゃんと学校に通っている。

 最近、シュンは気を遣ってかおれの布団に入ってこない。


「宿題、ここでやっていい?」

「いいよ」


 そういうとシュンは準備していたプリントを出して、問題を解き始める。

 静かな時間。

 熱があって寝ているときは、なんとなくすうすうと寂しくなるんだけど、今は違う。

 窓ガラス越しに、青空が見えた。

 今日はいい天気だったらしい。

 しばらく手を動かしていたシュンは、ポイっと鉛筆を置いて、固まった。


「いっくん」

「ん?」

「前にさあ、テルちゃんはオレのこと好きって言ってたじゃん」

「うん」

「今でも、そうかな」

「そう思うけど……なんで、急に?」


 枕に頭を置いたままのおれの横で、ゴロンと横になって、シュンは天井を眺める。


「母ちゃんがさあ、来いって言うんだ」

「どこに?」

「家。父ちゃんと母ちゃんのとこ。そんで、受験していい学校に行けってさ」


 テルさんに教わった。

 ご両親は健在だけど、テルさんの時は育てられる環境になくて、シュンの時は仕事が忙しくて。

 どちらの時もそれなりの理由があって、寺の方に預けられたそうだ。

 テルさんが独り立ちするころに、おばあさん――住職の奥さんがご病気になって、それをきっかけにこの家でふたりで暮らすようになったって。


「ふうん。シュンはどう思ってるの?」

「行きたくない。中学はさ、どこでもいいんだ。受験してもしなくても、特にこだわりないから。でも、あっちに行くのはやだ」

「何で?」

「なんか、今更って思うし……母ちゃん、テルちゃんのこと悪く言うからやだ。テルちゃんがいいっていうなら、こっちにいたい」


 悪く?

 首を傾げていたら、シュンがまっすぐの目でおれを見ていた。


「オレ、いっくんが好き」


 はい?

 何だ急にと思ったけど、ありがたいことだから、お礼を言う。


「うん。ありがと。おれも、シュンが好きだよ」

「じーちゃんもテルちゃんも好きだけど、そうじゃなくて。いっくんは特別の好き。ずっと一緒にいて欲しい好きなんだ」


 ……――え?

 は?


「シュン?」

「テルちゃんとひーちゃんみたいに、仲良しになりたいって好き。って、母ちゃんに言ったら、テルちゃんがオレに悪影響を与えてるって言うんだ。だから、オレは母ちゃんのとこに行かなきゃいけないんだって。どう思う?」

「なんの冗談だって思う」


 今、すごい情報がどかどかっと来たよ?

 え、待って、今ちょっと頭の中ぼーっとしてて、受け止めきれない。

 好き?

 誰が、誰を?

 どんな好き?

 それを誰に言ったって?


「冗談てなにが?」

「色々……」

「ふうん。でも、オレ、冗談言ってないから」


 掛け布団を挟んで、おれの隣に転がって、シュンがオレを見る。


「テルちゃんの影響じゃなくて、オレの気持ちでいっくんが好き」

「そりゃあ、また……」


 揺らぎのない、まっすぐの視線がおれに向く。


「いっくんが一人で泣くのは嫌だって、思った。オレが居て、安心してくれるのは嬉しいと思った」

「はい?」

「前に、いっくん熱出したじゃん。あのとき『シュン、手を貸して』って言った」


 あー。

 高校時代に寝込んだ時、何度かチュンに手を握ってもらったことがある。

 どうしても寝付けなくて、手を握らせてもらってやっと寝付いたんだ。

 春先に熱が出た時、おれはかなりグラグラで記憶はあいまいなんだけど、熱に浮かされてそう言ったんだろう。

 『チュン、手を貸して』って。


「『ここにいて』『少しの間でいいから、手を握って』って、オレに言ってくれた。オレ……いっくんにしてあげられることがあるの、すごく嬉しかったんだ。いっくんがしんどいなら、いつでも手を握ってあげたい」


 でも、シュン。

 それは人違いだし、勘違いだよ。

 お前は優しい子で、自分がそこにいていいと言って欲しい子で、だから、おれに惑わされてるんだよ。

 そう言いたいのに、おれはバカで。

 まっすぐのシュンの視線を嬉しいと思ってしまった。


「だから、オレはここにいたい」


 ああ。

 だけどさ、そのまっすぐな目に、改めて思い知らされる。

 どうやったってお前は小学生だし、おれは大人なんだよなあ。


「だったらおれは、受験して来いって言うよ」

「いっくん?」

「だってお前まだ子どもなんだよ? まだまだこれから、育たなきゃ。いっぱいいろんな経験して、何がいいのかって言われたらちょっと困るけど……いい学校行って、たくさん勉強した方がいいよ」

「いっくん……」

「おれはお前のことかわいい子にしか思えないしさ……もし、お前がホントにおれのこと好きなら、いい学校に行っていい経験していい男になって、おれを惚れさせてみろって、言う」


 お前はいい子だから、おれになんて引っかかってちゃ、ダメだよ。

 だから、何かをするのにもしないのにも、おれが理由でなんてダメだ。


「行っといでよ、シュン」


 ごめん、テルさん。

 おれ、シュンを突き放すのにこう言うしか、思いつかなかった。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?