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第40話 愛されているという証明

 その場にいる猫の獣人たちの視線を一身に集めながら、シアンは努めて冷静である風を装ってはいたが、内心では滝のような冷や汗をダラダラと流していた。


(さて、みんなにどう説明したものか……)


 平和の使者として嫁いで行ったはずが、まさか自分の存在が戦争の火種の一つとなる結果になろうとは。


(僕のせいでアルベルト殿下が一度死にかけた上、僕が嫁ぎ先の国の牢屋から脱獄して逃げ帰って来ただなんて知ったら、みんなどう思うだろう?)


 父と兄は自分のことを軽蔑するだろうか? 妹たちはショックを受けるだろうか? 母親は息子と国の未来を思って悲しむだろうか?


(でも僕の口からちゃんと説明しなければ。それが獣人の未来を背負って嫁いだ僕の責任だし、そもそもアルベルト殿下の命に関わる話だ。ちゃんとみんなにも分かってもらって配慮してもらわなくては)


 シアンが意を決して口を開きかけた時、アルベルトがさっと手を挙げて皆の注目をシアンから自分の方へ移るよう誘導した。


「その事なのですが、私の体質に深く関わる内容であります故、説明は私の方からさせて頂いてもよろしいでしょうか?」


 戸惑ったように猫の獣人たちが二人に交互に視線を移す中、シアンは背筋を真っ直ぐ伸ばしてシアンの両親と真剣な表情で向き合っているアルベルトをポカンとした表情で見つめていた。


(あ、殿下。僕が言いにくいだろうと気を遣って……)


「もちろん、差し支えがないようでしたら、殿下からご説明いただいても我々としては構いませんが……」


 ギルバートの許可を受けて、アルベルトは驚いた表情で自分を眺めているシアンに一度頷いて見せてから、もう一度猫の国王陛下に向き直って口を開いた。


「実はつい先日判明したことなのですが、私は猫に対してアレルギーを持っております」


 今度は先程よりも長く重苦しい沈黙が、木造の建物を押しつぶすかのようにずしりと人々の上に落ちた。国王と第一王子は鋭い目を驚きに見開き、皇后は蒼白になって両手を口に当て、ティーザの姉たちは信じられないという表情でお互い顔を見合わせている。ティーザだけが何が起こっているのか理解が追いつかない様子で、一瞬で空気がガラッと変わってしまった室内で不安そうにキョロキョロと家族の様子を伺っていた。


「……それは、つまりどういった……」


 言葉に窮した国王が絞り出した言葉にアルベルトがどのように反応するのか、その場にいる全員が固唾を呑んで見守る中で、アルベルトは表情を一切変える事なく落ち着いて国王と正面から対峙していた。


「猫に触れるとアレルギー症状が出て、目元が腫れて痒くなったり体に不調が起こったりするのです」

「なんと……!」

「猫アレルギーって……シアンお兄様、それは一体何なのですか?」


 とうとう黙っていられなくなったティーザが、シアンの座っている部屋の下座へ身を乗り出しながら切羽詰まったような大声を出した。


「ティーザ! はしたない真似はおやめなさい!」

「でも、ペルナお姉様……」


 ペルナと呼ばれたシアンの妹の一人は、ティーザの首根っこを掴んで自分の横へ引き戻すと、小声で彼女の尖った耳に耳打ちした。


「シアンお兄様の旦那様にとって、猫は毒になり得るって話よ」

「ええっ?」

「だから私たちもお兄様の旦那様に触れないように気を付けなければならないわ」


 ティーザはポカンと口を開けると、エメラルドの瞳を満月のようにまん丸くしながらアルベルトとシアンを交互に見た。


「でも、じゃあ、シアンお兄様は……?」

「それでは、結婚生活には当然影響が……?」


 微かに震える声で国王が独り言のように呟き、自分に注がれる皆からの視線が青い衣に突き刺さるようで、シアンは思わず身を守るように衣ごと体をぎゅっと抱きしめた。


「……父上、それが……」

「その件で幾つかの誤解が生じ、シアンが私の国で不当な扱いを受ける事になった経緯につきましては、弁明の余地もありません」


 アルベルトが草の敷物の上に額を擦り付けるようにして深く頭を下げたため、シアンの父王は慌てて顔の前でブンブンと手を振った。


「いやいや! お顔を上げて下さい。我らの息子のせいで被害を被ったのはあなた様ではありませんか!」

「シアンは何も悪くないというのに、私の体質のせいで彼はあらぬ疑いをかけられ、酷い仕打ちを受けることになりました。大切なご子息をお預かりした身といたしましては、このような事態はまことに遺憾であり……」

「シアンお兄様は一体どんな仕打ちを受けたのですか?」


 悪気の無いティーザの言葉に、アルベルトの肩がビクッと痙攣した。


「それは……」

「少しの間、疑いが晴れるまでの間監禁されていただけだよ」


 ドッツにレオ、それにアルベルトが同時にシアンを振り返ったが、シアンはあえてアルベルトにだけ視線を合わせて優しい笑顔を見せた。


「監禁されていた部屋は少し寒かったけれど、暖かい羽織り物も差し入れてもらえて凍える心配は無かったよ。私の毛皮で作ったマントを下さったのは殿下ですよね?」


 例えそうでなくとも、この場でそうだと言えばアルベルトのこの場での立場が少しでも良くなるのではないかと思ってシアンはそう尋ねたのだが、アルベルトの返答は紛れもない真実に裏打ちされた自信に満ちたものであった。


「ああ、その通りだ」


(ああ、やっぱりそうだったんだ……)


 身も心も凍り付きそうに凍えていた地下牢で、つかの間のぬくもりを与えてくれた月の光のように美しい毛皮のマント。それがアルベルトが自分を心配して差し入れてくれたものならば、この先どんな目に合っても自分は耐えられるとさえ思った。なぜならあんな状況であってもアルベルトがまだ自分のことを気にかけてくれているならば、それはつまり彼がまだシアンのことを愛していると、その希望が完全には消え去っていないということを信じることができたからであった。


「……お兄様、旦那様にすっかり惚れ込んでいらっしゃるのですね」

「えっ?」

「女のティーザの勘はごまかせませんのよ。お兄様が誰かと見つめ合ってそんなに幸せそうな顔をしていらっしゃる所なんか、今まで一度たりとも見たことがありませんもの」


 妹のセリフにシアンとアルベルトは同時に頬を赤らめながらさっと顔を伏せ、張り詰めていたその場の空気が一変して和やかなものへと変わっていった。


「ティーザの言う通りです。私もシアンお兄様は、旦那様と一緒にいる時が一番幸せそうに見えます」

「ペルナもそう思った? 実は私もそうなのよ」

「ランお姉さまも?」


 シアンの三人の妹たちがきゃっきゃと話を弾ませている横で、しかし母親である皇后だけは心配そうに顔を曇らせていた。


「……シアン、あなたが嫁いだ後、兎の獣人国からも一人お妃が擁立されたと聞いたわ。元々縁談の話が上手くまとまらなかったのを、兎の国王がかなり強引に娘に強要したのだと聞いたのだけど、それはつまりあなたとの子作りが上手くいかなかったからなのかしら……?」


『さっきの兎の奴。あいつにもあったぜ、お手付きの跡』

『私はここに残ります。大切な人がいるので』


 チリッ、と嫉妬と罪悪感で胸の奥が焦げ付いた。自分が至らなかったせいで、泣きながら人間の国に嫁いできたカトンテール。そんな彼女が毛皮を脱いでたくましく成長し、大切な人のために嫌々嫁がされた人間の国に残るのだときっぱり宣言するまでになったのだ。


(喜ばなければならない。彼女のためにも、アルベルト殿下のためにも)


 そして、平和な人間と獣人の国の未来のためにも。

 シアンがくすぶる胸の火をなんとかもみ消して口を開こうとしたとき、突然バタバタと慌ただしい足音が木造の建物全体に響き渡ったかと思うと、シアンたちのいる部屋の扉がバアンと勢いよく開け放たれた。


「陛下! 国境の村に不審な人物が現れたとの通報がありました!」

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