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第2部 最終章 3 ラストゲーム

「私は、神だ!」


ゼロが叫び、オッサンの眉間に銃口が向けられる――。

私はその手前でガソリン缶を開いて液体を撒いた。


「待った! 何かにおわないか?」


オッサンが鼻を鳴らす。


「ん、確かにくさいな。ガソリンのにおい……だと?」

「ガソリンはコップ一杯で家が吹き飛ぶぞ!」


そう、ガソリンはヤバい。


小さな火や静電気、衝撃の火花などでも簡単に引火し、爆発的に燃焼する。

そして、その爆発力も半端ない。


蒸気となって空気と混ざると可燃性範囲(約1.4%~7.6%の濃度)内で爆発的な燃焼を起こす。このとき、急速な燃焼により圧力波が発生し、それが爆発の威力となる。


特に閉鎖空間では圧力が蓄積しやすく、破壊力が増大する。

ガソリン1リットルが完全に気化して爆発した場合、理論的には約31~34メガジュールのエネルギーを放出。


これはTNT爆薬に換算すると約7~8g程度の爆発力に相当する。

頭がいいやつらなら、必ず動きを止められる。


動揺しているすきに、机の下に隠れていた私は飛び出す。

目を丸くした博士にスタンガンを放つ。


「いぎゃぁああああああ」


ゼロはみっともない声を上げて転んだ。


勝負を左右するのは、いつも一瞬のスキであり、予想外の展開だ。

そのスキ、脳の混乱を生み出すため、私はガソリンの匂いがする液体を作った。


気化爆発を知るものであれば、銃を撃つ訳にはいかず、どうすべきか一瞬思考してしまう。

そのスキを突いた。


「ロク!」


叫んだオッサンが、なぜか私の体を抱きしめ、床に転がる。


「は? え?」


抱きしめられている。

こんなの初めてで、頭が混乱する。


私は必死にオッサンを振りほどいた。

確かめるまでもなく、顔が熱い。


「あれ? 爆発しない? スタンガンで引火するかと……」

「これ、ガソリンじゃない。油断させるため、そういう匂いつくっただけ」


突き放されたオッサンは、安心したのか大きく息を吐いた。

スーツ姿で髪を上げ、ヒゲを剃った姿はなかなかのイケオジだ。


「つか、何でここに」


――という言葉の返答として、正拳を突き刺す。

オッサンが、腹をくの字に曲げてもだえる。


無事を確認できてよかった。

その気持ちをこめて殴っておいた。


照れ隠しじゃないからな。

心の中で三回くらい繰り返す。


防弾チョッキで無事だったナナナが、壁に手をついて立ち上がった。

痛む腹部を抑えながら、気絶したゼロの身体をロープで縛る。


途中、ナナナはゼロの鼻先を蹴り上げた。

ブーツなのでこれは痛いだろう。


覚醒したゼロの鼻先に、ナナナが顔を近づける。


「よぉ、ゼロ、よく聞け。私はお前を絶対に許さない。ずっと、ずっと、お前のことだけを考え、居場所を突き止め、殺すことだけを考えてきた。ようやくその日が来た。ここからは私のターンだ。どんな手を使ってでもお前のすべてを絞り出す。覚悟しておけ。真の狂気を、楽しませてやる」


普段、丁寧口調のナナナの凄みがある言葉に、ゼロが縮み上がる。

そして、ナナナはこちらを見ると、ニヤニヤと笑った。


全部、全部、全部、予想通り、という顔だ。


オッサンを追って、切り札のジョーカーとしてこの場に私が現れる。

渋谷ロクはそういうヤツだ。ナナナはそう評価した。


ナナナはここまでの一連を読み切っていたのだ。

ナナナは東山病院の一連を「テスト」と呼んでいた。


――だが、そうではない。


あれは今の状況を組み立てる為の「情報収集」だったのだ。

そして、ナナナのコマとして動かされた。


そんなナナナの前に歩き、私はグーパンした。

顔を殴られ、鼻血を流すナナナはしかし満面の笑み。


「これでチャラだと思うなよ。クソサイコ女」


殴った拳も痛い。

ナナナは防弾チョッキで無事だったジュウをゆさぶり起こし「聞きましたか? ジュウ。友達できましたよ!」と叫ぶ。


「はぁ? 友達とかありえねー」


目覚めたジュウが壁に手をついて立ち上がった。



「待ってくれ、渋谷ロク」

「ん?」


ジュウは苦しそうに息を荒げていた。

クスリが切れているのもあるかもしれない。


ジャンキーと疑ってごめんね。

心の中で謝っておく。


「もう……会えないかもしれないから……最後に言わせてくれ」


何を言い出すのか分からなさ過ぎて眉間にシワが寄る。


「好きです、付き合ってください」


一瞬、場が凍った。

それこそ、ガソリン臭作戦のように、今の私は無防備だろう。


オッサンとナナナの笑い声で、正気に戻る。


「死ね」


返事は簡潔に行った。

あの短期間で何を感じて私なんぞ好きになったのか。


まるで理解不能だ。

でも、ジュウは雨に濡れた仔犬のように目を潤ませ、肩を落としていた。


私はオッサンの無事を確認したので、もうやることはない。

ドアを開ける。むちゃくちゃに疲れた。


帰ろう。

オッサンは私に何かを言おうとして、やめた。


「……ありがとな」

「何だよ、気持ち悪い」


私はそれ以上の会話をやめてドアを開けた。

素直に言葉が出ない自分が嫌になる。


「こっちこそ………………」


ありがとう。

聞こえていないだろうけど、ちゃんと口にはできた。


ヘルメットを被り、商店街を抜ける。

行きかう人々は皆ヘルメットで窮屈そうだ。


でも、この見慣れた風景もじきに終わるのだろう。

住宅街の脇、舗装さえた川沿いの道を歩く。


私は例の歌を口ずさみながら、オッサンとの出会いを思い返した。

ただの汚いホームレスのオッサンだった。


利害だけの関係だった。

バカみたいな言い合いは退屈しなくて、適当なところがあるけれど、仕事は生真面目で。


裏切られたと思ってショック受けて。

でも、かっこよく私を助けてくれて。


あんたのお陰で、私は変わろうと思えた。

あんたみたいに、この人生と戦おうと思えた。


まだ、恥ずかしくて素直には言えないけど、いつか――。

ちゃんと面向かって礼が言えるといいな。


「人生、いいことなんて何もない~」



次の日、私はスマホの着信音で目覚めた。

のそりと布団から出てスマホの画面を見る。


知らない電話番号だ。

つか、集中モードにして音鳴らないようにしているはずだけど?


その時点で悪い予感がして、取らないでいると――。

何と勝手に通話状態になった。


どんな細工をしたらそうなるんだ。

そして、こんなことをするのは、あいつ――ナナナしかいない。


「聞いてください、マイフレンド」


電源を落とそうとしても何故か効かない。

だから、どうやっただよ!


私はスマホを壁に投げつけた。


「ヒスは止めてくださいよー! おもしろい話持ってきたんですから」


ヒスだとこのやろう。


「おもしろくなかったら殺す」

「大丈夫でーす。私、めっちゃ笑いましたから」

「で?」

「ゼロを拷問したんですけど、ワクチンの作り方教えてくれなかったんです」

「全然おもしろくないんだけど。つか、切るぞ」

「待ってくださーい。おもしろくなるのはここからです。それで、分かったんですけど、ゼロ、ウイルスは作れたけど、ワクチンを作る気は最初からなかったんです」

「は?」

「だからワクチンの作り方なんて分からないんですってw ぎゃははははは!」

「全然、笑えねー!」


私たちを巻き込んだ年単位の計画が水の泡ってことだろ?

弟ジュウの余命も残りわずかなんだろ?

何笑ってるんだこのサイコ女。


「だから、あなたの頭脳を貸してほしいんです。私と一緒にワクチン作りませんか?」


とにかくソッコーで断って、スマホは布団の中に突っ込んだ。

恐らくこれから何度も口説かれる。


正直、少しワクワクしたし、最終的にはワクチン作ることになるだろう。

でも、まぁ、すんなり言う通りというのも癪に障るし、二、三日は抵抗してやる。




おわり


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