広い体育館が、しんと静まりかえった。これまでの罰ゲームとは違う、山宮の本気の告白。こぶしのぶつかる胸がどくんと大きな音を立てた。
「五月から何度も言ってんのに伝わってねえみてえだから、今、言うわ。俺、お前のことが好きなんだわ」
心臓がとくとくと音を立て始める。見下ろす黒髪のつむじがはあと息をついた。
「あー……気持ち悪りいとか文句はあとから受けつけるから、とりあえず聞け。つまりな、クラスにいるかどうか分かんねえような俺だから、あんな罰ゲームも割と真剣だったわけよ。変なやつでもいい、印象に残りゃいいって半分やけっぱちだったわ。宿題教えろとか、結構勇気出して言ったんだぜ? でも、よく分かった。お前は俺だけじゃなく誰にも興味ねえんだな。俺がどんなにお前の気を引こうとしたって意味ねえんだな」
はは、と俯いた黒髪が力なく震えた。
「最近、お前が俺のことを認識し始めたかと思ってたけど、勘違いだったみたいだわ。お前から見た俺って、ぼっちで部活やってる孤独なやつなんだな。お前が下校放送に気づいてからは、きっと書道室で聞いてんだろって孤独じゃなかったんだけどな……」
山宮の声は悲しみの色に染まっていて、それを聞いていた朔也は激しい後悔に駆られた。お守りを渡そうとしたときと同じ、今、心が痛いのは自分ではなく山宮だ。
「気色わる……引かれるって分かってたのに、言っちまったわ。俺バッカじゃね……」
そこで唯一触れていた山宮の手がすっと下りた。
「……というわけで、今から文句の受け付けを開始するわ。赤点スレスレ……なんとかハスキーの戯れ言に対する罵りがあったら遠慮なくドーゾ」
俯いたまま決して顔をあげない山宮と、床に転がったお守りを見、朔也はお守りを拾った。だが彼はなんの反応も見せない。紺色のセーターの肩が強張って、襲い来る痛みに構えているように見えた。
「……山宮」
朔也が名前を呼ぶと山宮がびくっと体を揺らした。ぎゅっと握ったこぶしに更に力が入る。
怖がっている。おれの言葉に傷つくんじゃないかと怯えている。おれと同じだ。人の本音と向き合うのが怖いおれと同じなんだ。そんな山宮を、おれはまた傷つけた。
「……本当にごめん。言っちゃいけないこと言った。考えなしの発言だった。ちゃんと謝りたいんだけど」
朔也は壁にある時計を見た。シンプルな白い文字盤に黒の針が三時半を指している。
「今日の下校放送は何時なの?」
すると山宮が顔をあげ、朔也と同じように時計を確認した。顔色を失いぼんやりとした目で頷く。
「下校放送はしねえ。今日俺が学校にいるのは自主練だから。でも、行くわ。コートとか鞄とか、放送室に置きっぱなしだし」
山宮が暗に帰ることをにおわせたので、朔也はすぐに足下の紙をたたみ始めた。
「これ、すぐに片づける。終わったら放送室に行くよ」
すると山宮は「来なくていい」ときっぱりと言った。
「来なくていいわ。もう言うことねえし」
「おれはある」
朔也の言葉に彼が口を開きかけたそのとき、きゅるるる……という小さな音がした。ぱっと山宮が腹を押さえたので、思わず噴き出す。
「山宮、お腹が空いてるの?」
朔也の問いに彼は少し赤い顔でこちらを睨んだ。
「うっせえ。食堂やってねえの忘れてて、昼飯を食い損ねたんだわ」
「じゃあコンビニになにか買いに行こうよ。学校近くにある公園に行って食べよう」
「……でも俺は」
「先に帰っちゃ駄目。すぐ片づけるから」
朔也は強引にそう言うと、紙を巻き取って立ち上がった。所在なさげにそわそわと原稿を握りしめる山宮に笑顔を向ける。
「細かい話はあと! まずはコンビニ!」
朔也は明るい声を出し、山宮を追い立てて体育館をあとにした。
夕方前の冬の公園は散歩する人がちらほらといるだけでガラガラだった。壁のある東屋にちらりと目線を送ると、山宮も小さく頷く。無言のままそこへ行ってベンチに腰掛けると、コンビニで買ってきた肉まんにどちらともなくかぶりついた。紺色のコートとキャメル色のコートの手の中で、ほかほかの肉まんが湯気を漂わせる。
「……うま」
山宮が少し目を見張って湯気の立つ肉まんを見た。
「コンビニの肉まんってこんなうまかったっけ」
「食べたことないの?」
朔也の言葉に山宮が一口かぶりついてごくりと飲み込んだ。
「折原と違ってオトモダチが少ねえから、帰り道に買い食いしたことねえんだわ」
「書道部の女子たちはまっすぐ帰るし、おれも買い食いは初めて」
湯気が頬にかかって温かい。ふわふわの皮と肉汁がじゅわっと口内に広がって、気持ちのとげとげとしていたところが溶けていくのが分かった。
「さっきはホントにごめん。ミスしたのがショックで八つ当たりした。山宮のことを考えずにひどいこと言った」
「……俺もズケズケ言ったわ。お前が書道パフォーマンスにすげえこだわってたの知ってたのにな」
「はっきり言えるところが山宮のいいところだって分かってるよ」
また一口とかぶりつくと、口の中で熱い肉がほろほろと崩れた。ベンチに並んで座っているから、視界に入ってくるのは肉まんの湯気と混じる息だけだ。
「最近お前がおかしいなって思ってたけど、部活が上手くいってなかったわけ」
「そう。おれってパフォーマンス向きの字が書けないんだ。パフォーマンス甲子園で選手になれなかった理由もそれ」
「折原の字でも駄目なのか? 委員長とお前のどっちが上手いかなんて、俺には分かんねえけど」
「放送部でもあるんじゃない? 下校放送と本の音読は違う、みたいなこと」
すると山宮が「ああ、あるな」と納得したような声を出した。
「悪かったな、イージーモードとか言って。なんでもできると思ってたけど、そういう悩みもあんだな」
「山宮もなにかあるんだね」
「それなりにな」
軽く頷いて山宮が肉まんを頬張る。
「俺の家、両親も姉貴二人も優秀で医者なんだわ。ところが末っ子だけマイナスとマイナスのかけ算が理解できねえわけよ。劣等感しかなくね」
「でも、うちの高校は受かったでしょ」
「推薦なしの一般受験で補欠合格だけどな。授業始まった日に来る学校を間違えたと思ったわ」
山宮の口調は自虐的で、これまでそういった態度を言葉の端々に覗かせていた理由が分かった。
「気にしてたのに、赤点スレスレとか言ってごめん」
「赤点スレスレは事実じゃね。それよりなんとかハスキーのほうが気になるんだけど、あれ、なに」
「山宮ってなんとなくシベリアンハスキーっぽいなと思って」
ミニチュアの部分は削って言ったのだが、彼のほうが「あれって大きくね?」と首を傾げた。放送室にいるときのようなやわらかい空気が戻ってくる。山宮が再び「うまいな」と呟き、朔也はゆるゆると肩のこわばりを解いた。
「折原は絶対ゴールデンレトリーバーだろ。超大型犬」
「髪はもう少し暗い茶色だと思うんだけどなあ」
「雰囲気がそうなんだわ。クラス満場一致に肉まんを賭ける」
それを聞いて山宮のコンビニ袋に手を伸ばすと「おい」と睨まれる。「冗談」と朔也が手をあげると、彼がそのまま二個目を頬張った。
肉まんについていた紙が湯気で手に張りつく。ウェットティッシュで手を拭おうとして、指先に墨の跡が残っていることに気づいた。そこへ山宮が切り出す。