二日目のディベートとレクリエーションは思ったよりも大変ではなかった。
風呂の一件で気軽に話ができる男子が増えていたし、中村がいることで女子にも話しかけやすい。他のクラスでも、去年のクラスメイトを通せば話すのは難しくなかった。ディベート自体では負けたが、相手チームとフィードバックするときは皆笑顔で話し合えた。レクリエーションもチーム戦だったが、お遊びの体育の時間といった感じだ。教師も巻き込んだ大縄飛びに皆も笑顔でわいわいと時間を過ごし、あっという間に夜の自由時間になった。
「で、これから自由時間だけど」
体育館から部屋に戻るなり、体操部の男子が意味ありげに笑った。
「さっき女子と約束した。皆で部屋に遊びに行かねえ?」
「おお、ザ・宿泊行事!」
拍手があがったので、朔也も一応ぱちぱちと手を叩いた。
「飲み物を持って、A三〇八に集合」
「何人くらい来んの」
「それは行かねえと分かんねえ」
乗り気な男子たちは各々ペットボトルなどを持ったが、朔也も山宮も畳に座ったまま動かなかった。
「あれ、行かねえの?」
怪訝そうに尋ねられ、朔也は「今日は疲れちゃった」と笑い、山宮は「興味ねえ」と返した。
「じゃあ行ってくるわ」
楽しそうに出て行く五人を「じゃあね」「行ってら」と見送る。ぱたんと扉が閉まったところで朔也は山宮に笑いかけた。
「やっと二人っきりになれた」
その言葉に山宮が黙って右ストレートをぽすっと打ち込んでくる。朔也は荷物を引き寄せて、ペンケースなどを出した。
「実はあのノートを持ってきてるんだけど」
やりたいことを書き出したノートを出してみせると、山宮が目を見開いた。マスクをポケットにしまいながら覗き込んでくる。
「オリエンテーションに関することは書いてなくね?」
「事前に書いてきた。でも、チェックがつけられないものが出ちゃった」
あぐらを掻いて山宮の前でノートを捲る。
「就寝時間後に先生が来て隠れたら同じ布団だったっていう項目。どう?」
「ベタ中のベタじゃねえか」
呆れたような顔をした山宮がノートを覗き込んでくる。
「枕投げをする、トランプをする。お前、本当にベタなことしか書いてなくね」
「でも、そのベタができなかった」
朔也が「残念」とため息をつくと、今度は山宮がバッグをごそごそと漁り始めた。
「なに探してんの」
「自分探し」
山宮の返しに黙ると、「今、突っ込むところ」と冷静に指摘される。山宮が出してきたのは、朔也のそのノートをコピーした紙だった。
「実は俺も持ってきてたわ」
広げたコピーの最後に山宮の筆跡でなにか書いてある。だが、それを読む前に山宮がスマホを取り出した。
「書いた項目の一つは『寝顔を見る』。というわけで、折原君二日目のスクープ画像デス」
山宮がそう言って見せてきたのは自分の寝顔だった。枕の上で髪を広げた横顔がぐっすり眠っている。目を閉じているのに、口が少し開いていた。
「ちょっと! これ、いつ⁉」
「今朝、放送に行く前に。お前が全然起きねえから、ラッキーと思って」
寝ている自分の隣で、屈んでスマホを掲げる山宮を想像したら顔が熱くなった。
「やめてよ、おれ、間抜け顔じゃん!」
「普通じゃね?」
そう言って山宮が指を横にスライドさせた。再び自分の寝顔が出てきて赤面する。
「待って、何枚撮ったの⁉」
「四、五枚。お前、顔変わったよな。一年の最初の頃はもっとわんこって感じの顔だったのに」
こちらの焦りに対して山宮は全く取り合わず、写真を眺める。毎日見ている顔だ。変化など分からない。山宮が自分の変化に気づいたことに恥ずかしくなる。
「おれ、もう顔変わんないと思う。この一年で身長も五センチしか伸びなかったし」
するとスマホを持ったままの山宮にぎろりと睨まれた。
「お前は太陽か月でも目指してんのか? 重力に逆らってんじゃねえ。ニュートン先生を怒らせんな」
「じゃあ山宮がニュートン先生に抗議して頑張って」
「俺には無理だわ。遺伝から考えて、もう止まる」
朔也は少し考え、自分のスマホを取り出した。
「今二人で撮ろ。座っててそんなに差がないし」
「発想には腹が立つが、同意」
山宮が改まったように体育座りに座り直したので、朔也は腕を伸ばしてスマホを掲げた。連射モードにしてタップすると、静かな部屋にカシャカシャと音が鳴る。二人で画像を覗き込んだが、山宮は真顔で朔也はカメラのほうを見ていなかった。
「もう、笑ってよ」
「お前こそいつもの笑顔はどこ行ったんだよ」
「あ、胡散臭い笑顔って言おうとしたな」
「言ってねえわ」
だが、撮り直しても山宮の顔が強張っている。
「山宮君、頬の筋肉が固まってますよ。笑ってください」
思い切って山宮の頬をむにっと摘まむと、山宮がかーっと顔を赤らめた。思わずぷっと笑う。意外と山宮は恥ずかしがり屋だ。普段は皆を寄せつけないような空気を出しているのに、自分だけに見せてくれる素の姿はちょっとかわいい。
隣り合った手をちょんと触ると、意図を察したのか山宮がじとっとした目つきでこちらを見た。だが、文句は言ってこない。ぎゅっと握ってえへへと笑うと、「この悪戯大好きゴールデンレトリーバーめ」と小突かれた。細い指に節のしっかりとした手が自分より小さい。手を握ったままスマホを掲げた。
「笑ってー」
思い切って山宮の頭にこつんと自分の頭を当てる。温かいふわっとした髪が当たった瞬間カシャッとスマホをタップした。画像を確認すると、自分も山宮も照れたように笑っていた。
「恥っず……」
「でも、山宮の笑顔をゲットできた」
朔也が歯を見せると、山宮が「その画像くれ」と自分のスマホを掲げる。手を繋いだまま片手でスマホをいじって画像を送信すると、山宮のスマホが振動した。画面をタップした彼がじっとスマホを見つめる。
「……なんか、すげえ」
山宮の横顔が次第に明るくなって口元に笑みが灯った。
「こんなことできると思ってなかったわ」
こんな、ツーショットとか。山宮の薄いくちびるがそう動き、朔也はスマホをじっと見つめる山宮を見た。