沼地の片隅——
九尾によって凍りついた無数の傀儡たち。その氷の層に、微細な亀裂が走り始めた。
ピシ…ピシピシ…
そして、その中でも最も巨大な傀儡が、最初に氷の束縛を打ち破った。
霜に覆われた巨大な足が地面を強く踏みしめた瞬間、全身の氷が粉々に砕け散る。
鎧に包まれたその巨体は突進を開始し、その鋭い視線の先には九尾がいた。
それは、九尾を一撃で貫くかのような勢いだった。
——だが。
IX級、さらにはX級に到達する可能性を秘めた強大なモンスターである九尾は、本能的にその獰猛さを解放した。
鋭い爪を構え、九本の尾を大きく振りかざし、突進してくる巨大な傀儡と正面衝突する。
ガァンッ!!
まるで機関車同士が激突したかのような轟音が、沼地全体に響き渡った。
九尾と傀儡はその場で組み合い、激しい戦いを繰り広げる。
驚くべきことに、その傀儡は九尾にわずかに劣るものの、全身を覆う特殊な装甲によって多くの攻撃を防ぎ、ほぼ互角の戦いを繰り広げていた。
——その間、アリスは冷静に戦場を見渡し、琴音・神楽・山崎の三人に向かって、四人にしか聞こえないほどの小さな声で囁いた。
「……この後、少しだけカバーしてくださいまし。一気に決着をつける方法がありますが、少し準備する時間が必要ですわ」
九尾の活躍によりある程度体力を回復していた三人は、すぐに彼女の提案に同意した。
そして即座に三角形の防御陣を形成し、アリスを中心に守る形を取る。
——ちょうどその時。
ピキッ、ピキキキッ……!!
無数の傀儡たちが束縛を破り、狂気に駆られたように突撃を開始した。
「来るぞ!!!」
琴音、神楽、山崎は、それぞれが持つ最高戦力を解放し、殺到する傀儡たちを迎え撃つ。
爆発的な魔力、拳の閃光、炎の奔流——
それぞれの攻撃が交錯し、激しい攻防戦が繰り広げられる。
その熾烈な戦いの最中——
アリスだけが静かに目を閉じ、そして首元に掛けていたペンダントを強く握りしめた。
パリン——
淡い光を放ちながら砕け散ったペンダントから、漆黒のエネルギーが溢れ出す。
その黒い霧は、まるで意志を持つかのようにアリスの目・耳・口・鼻へと入り込んでいく。
そして——
彼女の足元に、異形の影がゆっくりと形を成し始めた。
その影は、うねり、蠢き、何かの輪郭を浮かび上がらせていく——。
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黒魂の城の奥深く——
ジーナに導かれるまま、宮本は冷え冷えとした邪悪な気配に包まれた広大な広間へと足を踏み入れた。
そこは、まさに死者の宮殿。
広間の両側には、六体ずつ、計十二体の人形の彫像が並んでいる。それらは、男も女も、老人も子供もおり、それぞれ異なる動作をとっていた。
表面が石でなければ、まるで本物の人間がそこに立ち尽くしているかのように錯覚しただろう。
そして、大広間の最奥、巨大な王座が鎮座していた。
そこに座していたのは、一人の「
堂々たる体躯を持ち、神が人を見下ろすかのような眼差しを向けながら、ゆっくりとした笑みを浮かべていた。
その存在感は異様なまでに圧倒的だった。
ジーナは音もなく王座の下へと移動し、跪いた。
「王、ご命令通り、『傀皇』の素材をお連れしました」
その言葉を聞いた瞬間、宮本の視線が鋭くなった。
周囲の装飾を見渡していた彼はその動きを止め、じっと王座に座る男を見つめた。
そして、次の瞬間——
彼の表情が驚愕に染まる。
「……っ!! そんな…バカな……夜帝…だと?」
その姿、顔立ち、オーラ——
ダンジョン配信マニアの宮本は、即座に気づいた。
王座に座る男は、「夜帝」そのものだった。
——人類初のEpsilon級探索者。
——人類史上最強と謳われた男。
しかし、その夜帝はすでにウェイスグロ防衛戦の後「深淵に堕ちた」と公式発表されていたはずだった。
:…いやいやいやいやありえないだろう
:ただの偽物に決まってんじゃん
:どうせモンスターの変身能力だろ
:ここまで特定の人間に変身できるってことは、少なくとも一度会ったことがあるはず…つまり、こいつ、やっぱり魂の監獄最強の伝説級モンスター霊巫王なのでは?
:にしてもなぜわざわざ夜帝の姿で? ただのファン?
宮本だけでなく、視聴者たちも混乱していた。
配信のコメント欄は騒然とし、視聴者数は急激に増加していく。
:ええええ待って!あれ夜帝じゃね!?
:マジ?
:人類初のEpsilon級が…!?
:いや待て、冷静に考えよう。こいつ絶対夜帝じゃなく、夜帝の姿をした何かだ
:まさか夜帝がラスボスとか?
:いや、変身能力のあるモンスターの可能性が高いだろ。なぜ夜帝の姿を選んだのかが謎すぎるけど
:宮本おじさんVS夜帝(仮)
:アツすぎ
:偽物とはいえ、ジーナに命令できるってことは、この夜帝は相当強いなのでは……
:やっぱ仲間たちを待つべきだよ…
:宮本おじさん、頼むから死ぬなよ
王座に座る"夜帝"は、その全身から禍々しい黒い波動を放ちながら、ゆったりと手を振った。
ジーナはすぐに立ち上がり、静かに一歩下がる。
そして、霊巫王は天雷幻槌を肩に担ぐ宮本を、まるで品定めするかのようにじっくりと見つめた。
「……宮本」
低く響くような声が、広間全体に重々しく反響した。
「我に仕えぬか? 貴様に改造を施し、より強き者へと昇華させてやる。貴様ならば人類の頂点に立つ資格がある。富も力も、あらゆる権力も、すべてを手に入れられる」
霊巫王は、まるで神が人類に祝福を授けるかのように、ゆったりと両腕を広げた。
が、宮本はすでに確信していた。
こいつは夜帝ではなく、単なる変身能力を持つモンスターに過ぎない。
ただの自己陶酔型の化け物だ。
「へぇ……なるほど」
宮本はゆっくりと口角を上げ、鋭い牙を覗かせるように笑った。
「でもな、その話を考える前に……まずは一つ、やってもらいたいことがあるんだ」
「ほう?」
霊巫王は眉をひそめる。
彼はこれまで多くの探索者たちを弄んできたが、目の前でここまで余裕を見せる者は初めてだった。
たとえジーナのような強者でさえも、霊巫王の精神干渉を受ければ、その奥底に潜む恐怖を晒すものだ。
だが、宮本は違った。
霊巫王が精神干渉を試みると——
宮本は、まさかの完全なリラックス状態であった。
「……ほう、貴様の望みとは?」
興味深げに問いかける霊巫王。
宮本は、王座の足元へと一瞬だけ視線を落とした。
そして肩に担いでいた天雷幻槌を軽く下ろし、ゆっくりと冷笑を浮かべながら静かに言った。
「単純な話さ——お前の本来の姿を晒せ」
宮本の声が鋭く響く。
「俺たち人間の英雄の顔を、お前ごときが使うんじゃねぇよ」
宮本は天雷幻槌をしっかりと握り直し、殺意のこもった笑みを浮かべた。
「早くしたほうがいいぞ。俺の気が変わらねぇうちにな?」