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第15話 誕生日がやってくる

 カフェのあと、俺は駅前のデパートに来ていた。

 明日があいつの誕生日。

 バイトも決まって俺は、なけなしの貯金を下ろしてデパートの地下にいた。

 想真に何をあげたらいいかなんてわかんない。

 だけど確実に知っていることがある。あいつはチョコレートが好きだ。

 だから俺はちょっと高めのチョコレートの箱を買い、あと肉を買って帰宅する。

 今日も明日も、想真は帰りが遅い。今日も夕飯いらないと、同期されているスケジュールには書いてあった。

 そして明日も夜のなるとあったけどなるべく早く帰るとつもりだと書いてある。

 夕食の時、あのチョコレートあげよう。

 ちょっとしたプレゼント。喜んでくれるだろうか。

 もっとなにか買えたらよかったんだけど、無職だし、そんなに貯金もないから俺にはこれが精いっぱいだ。

 他にも食材を買ってきて、俺は明日のためにレシピをノートに書きだした。




 そして迎えた十一月二十二日。

 今日は想真、朝が早い。だから朝食はいらない、と言われていた。

 たまにあるんだよな、そういう日が。

 昨日だって帰り遅かったのにこんな早く帰るとか、大丈夫なのかなって思う時がある。

 俺が起きるよりも早く想真は家を出てしまい、久しぶりにひとりの朝を迎える。

 ちょっと寂しい、って思うのは、人がいるのに慣れたからだろう。

 そんなことより俺は今日、張り切っているんだ。

 バイトが決まったこと、まだ想真に伝えていない。同期しているスケジュールアプリにも入力していない。

 できれば直接伝えたいからだ。

 バイトは来週の水曜日から、ということになっている。

 とりあえず昼間だけで、様子をみて夜をどうするか決めよう、という話になっていた。

 夜のセレナーデ、どんなんだろう。

 想真の帰り、ちょっと遅いんだよな。スケジュールだと、夜の八時帰りになっている。なら今夜少しだけバーのセレナーデに行ってみようかな。

 オープン時間に行って、ちょっと飲み物飲んで帰ってくれば、七時過ぎには帰ってこられるだろうし。

 想真の帰り次第でそうしてみよう。

 すぐに夕飯食べらんないし。

 そう決めて俺は、ひとりの朝食の用意をした。


 お昼過ぎ。

 いつもより早く夕飯の用意を始める。

 ご飯は予約しておいて、ハンバーグを焼く。

 それにコンソメスープとポテトサラダを用意して。

 サラダとローストビーフの盛り付けはあいつが帰ってくるときでいいか。そうだ、酒。誕生日だし酒あってもいいよな。

 でも何がいいかなぁ。

 いつも想真が夜いないから、あいつ、飲めるのかも聞いてないや。

 俺は酒が飲めるけど……最近飲んでないや。

 そもそも前の仕事の時はそんな時間もなくって、そうだ、だから俺、想真と会った日、久しぶりに酒飲みまくって酔って半グレぽいのに絡まれたんだった。

 うーん、今日は、久しぶりに飲むかな。

 そうだ、セレナーデに行く前に買いに行こう。確か、セレナーデのちょっと先に酒屋があったはずだから。

 とりあえずビールがあればいいかな。ワインとかわかんないし。

 そう決めて、俺は夕飯の準備をすすめた。

 そして五時半。酒を買いに行ったあとその足で夜のセレナーデに向かう。

 バーのセレナーデってどんな感じなんだろう。

 昼は落ち着いた雰囲気のカフェだけど、夜はどうなるのかな。

 すっかり日が暮れた夜の中にたたずむセレナーデは、昼とあまり変わった感じはしない。当たり前だけど。

 俺は店に近づくと、ゆっくりと扉を開いた。

 音楽は相変わらず、クラシックのような静かな音楽が流れている。

 でも雰囲気はだいぶ違う。

 紺色のテーブルクロスがかけられていて、照明も暗めだ。

 昼はエプロン姿だったマスターだけど、今は黒いベストを着ていてすごく大人の雰囲気を醸し出していた。

 店内にはすでに数人の客の姿があった。

 カップルと思われる男女の姿と、男性客と女性客。

 それにこの間見かけた学生っぽいバイトの姿もあった。


「いらっしゃいませ。おひとりですか?」


 バイトがそう俺に声をかけてきたので、俺は頷き答える。


「はい」


「では、カウンター席にどうぞ」


 と言い、彼は俺をカウンターへと案内する。そして、椅子をひき、俺にそこに座るよう促した。

 俺は落ち着かない気持ちで店内を見回す。照明とテーブルクロス、それに店員の服装だけでこんなに雰囲気変わって見えるもんなのかよ。

 俺、バーに来たの初めてだった。

 なんだか場違いな気持ちになりつつ俺は、メニューに目を落とした。

 ジントニック、ジンライム、モスコミュール、スクリュードライバー……

 どれも千円するんだ。けっこう高いんだな、カクテルって。

 でもこの後のこと考えると、あんまり酒飲むわけにもいかないしどうしよう……

 あ、バーだからなんか料金かかるよな。じゃあ、一杯だけ飲むかなぁ……

 悩んでいると、俺の前にナッツとチョコレートがのった小皿が置かれる。


「こんばんは、新谷君」


「あ、こ、こ、こんばんは」


 名前を呼ばれ、俺は緊張して震えた声で答えてしまう。

 昨日履歴書を渡しているから名前を知られているのは当たり前なんだけど、普段とマスターの雰囲気が違うせいか変にドキドキしてしまう。

 っていうかマスター、髪、オールバックにしてるよな。

 それだけでこんな雰囲気変わるんだ。

 男の俺から見てもかっこいい大人に見える。


「わざわざ夜の顔を見に来てくれたんですか?」


 静かにそう言われ、俺は頷く。


「はい、あの、バーって来たことなかったので」


 はにかみつつ言うと、マスターはそうですか、と言った後続けた。


「でも確か、今日は大切な人の誕生日、ですよね」


「そうなんですけど、帰りが遅いから買い物がてら見に来たんです」


「そうですか、ありがとうございます。じゃあ、ノンアルコールカクテルはいかがですか? シャーリーテンプルやルナティックティーといったカクテルがありますから用意しますよ」


「あ、す、すみません、ありがとうございます」


 何だか気を遣わせてしまって、恐縮しつつ俺は答え、出されたチョコレートを摘まんだ。

 ゆったりとした音楽が流れるなか、マスターがシェーカーを振る音だけが大きく響く。

 しばらくすると、俺の前にグラスが置かれた。なんだろう、そこが濃い赤で、細かく砕かれた氷がたくさん浮いている。それに、スライスされたレモンがグラスの縁にささっている。


「シャーリーテンプル。ジンジャーエールベースの、ノンアルコールカクテルです」


 名前だけは聞いたことあるけど飲むのは初めてだった。

 グラスに口をつけ、傾けると甘みの中に酸っぱさのあるジンジャーエールが口の中に流れ込んでくる。

 けっこうおいしい。

 これにお酒混ぜたら悪酔いしそうだな。

 シャーリーテンプルって人の名前みたいだけどどんな意味なんだろう。

 そう思いスマホで調べてみると、子役の名前、と書かれていた。あ、まじで人の名前なんだ。一九三〇年代の子役っておい、百年ちかく前じゃねえか。こんな名前が残るなんて本人もびっくりだろうな。

 金曜日であるためか、俺のあとに客が数人入ってきて、少し賑やかになる。

 会社帰りだよな、あれって。

 女性のふたり組が楽しそうに話しているのがわずかに聞こえてきた。


「……そうそう、ソリティアっていうね、アイドルが今超推しなの」


 そんなアイドルいるのかよ。俺、最近想真のドラマや映画ばっかり見てるからか、最新情報がまじわかんねえよ。

 シャーリーテンプルとナッツにチョコレートをいただき、六時半を過ぎたので俺は帰ろうと席を立つ。そこで初めて気が付いた。あれ、伝票、なくね?

 きょろきょろと探すけど、あるはずのものがない。

 戸惑っていると、マスターの声がかかった。


「帰りますか?」


「あ、はい。あの、お会計……」


「あぁ、今日のはいいですよ。俺からのおごり……お祝い、ですかね」


 なんて言って、マスターは微笑む。

 お祝い? え、なんの?


「えーと……」


「お友達の誕生日でしょう? なのにわざわざお店を見に来てくれてありがとう。来週からよろしくお願いしますね」


「あ……え、あ……はい、よろしくお願いします」


 俺は深々と頭を下げ、セレナーデを後にした。




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