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悪道賛歌(二)

(次は、装甲車だ)


 包囲陣の外郭を突破した。問題の装甲車の制圧には、銃座にいる敵の排除からすればいいだろう。念のため銃嚢ホルスターから銃を抜いておく。


 隠密時に用いる歩法はいくつかあり、落ち葉の多い山岳地帯では足裏の小指と母指球を駆使する〈狐歩きコミアウォーク〉。板張り床では、踵と足裏の側部から歩く〈無限軌道キャタピアル〉。そしてアスファルトで靴音を消すのは、それらを組み合わせた歩法〈野伏ローニン〉である。


 この体捌きには膝関節と足首の柔軟性を要するが、身体操作におけるグレイスの抜かりは皆無だった。荷駄と瓦礫の山に潜みながら銃座に忍び寄る。


 うらっ。


 銃座に構える戦闘員を引きずり下ろし、呼吸を詰めて締め落とす。続いて運転席でくつろいでいた奴に組みかかり、音もなく意識を奪った。小児時代に培った気配を消す隠密術は大人になってなお衰えない。


 これで聖堂裏手における装甲車の脅威は消えた。自分と聖堂の間を隔てるテロル・サンチョの包囲陣は、残り一層。廃材で作ったバリケードを盾にして軽歩兵が聖堂を向いて睨んでいる。背後は取りやすい。しかし最前線だけあり警戒の色が濃いようだ。装甲車との間に物影は無く気づかれずに接近は困難だろう。


 グレイスは沈思する。いつだって自分は、困難の道を裸足で踏み抜いてきた。自分の命の価値など、今計れる者じゃない。惜しいからこそ賭けて楽しい命である。


(だったら、腹ァ括るか)


 愛銃を仕舞い、戦闘員が落としたアサルトライフルに持ち替えた。空いた手で腕章を祈るようにぐっと握ると、篝火の照らす中に自身を晒した。グレイスが身に纏っているのは団地で輩から剥ぎ取った何の特徴もない服装である。


 誰一人として敵兵はグレイスが迫る事に気づきもしない。しかし全員が手に持っているのはアサルトライフル。黒光りする銃口がいつこちらに向くかも分からない。それでもグレイスは極めて平然とした表情でバリケードの右翼に近づき、番兵の男の一人に口笛を鳴らす。


「交代だ、呼ばれてるぜ」


 顎で適当な方向へしゃくってみせる。番兵は気の張りつめた返事をして持ち場を譲った。


 グレイスはこういう時の現場感を心得ていた。緊張下にある慢性的な疲労が蔓延している状況では、言葉足らずな会話が横行する。主述を省いたグレイス渾身のハッタリは、恒常性を得た緊張状態の敵に通用するほどの説得力、もとい演技力が裏打ちされていた。


 常軌を逸した肝の太さである。だがグレイスは、やってのけた。


 双眼鏡を手渡して立ち去る番兵の背中を見送りながら、


(私って、舞台女優とかイケるんじゃね?)


 などと思った。


「お前、誰だ?」


 横から見ていた、別の番兵に言われるまでの三秒間は。


 バレちゃ仕方ねえ──と、反射的に殴り掛かるのを堪え、丁寧に番兵さながらの表情を作り、腕章をかざした。


「補充で入った新兵です。今夜から、ここに」


 そう、まだ誰何すいかされただけで敵と言われた訳ではないのだ。ここでバレてしまっては苦労が全て水の泡。グレイスは日ごろ使わないような表情筋まで稼働させ、まるで初陣の新兵さながらの瞳の煌めき、そして冷や汗、更には初々しさを声音に託して表現した。


(……見逃してくれよ……)


「そうか」


 ……許された。安堵の息を押し殺し、バリケードの傾斜に腰を下ろしながらそれっぽい言葉を投げてみる。


「奴ら強情ですね。なかなか尻を捲らねえ」


「いや、そうでもないぞ。エーデル司教も物分かりが良い」


「エーデル……司教?」


 耳なじみのない言葉に反応する。


「デポンズ聖堂の司教は、父親のロードじゃなかったか? 子のエーデルが継ぐには若すぎる」


「知らないのか、あの男色司教は位を退いたよ。中央とデポンズ聖堂の間柄に『譜代』のラベルを貼るためか、倅に職位を譲って御隠居してるんだ」


 知らなかった。王都とキルナの関係を結ぶ蜜月の理由は公然の秘密であったが……。その若さで街の命運を背負う立場になっていたとは。隠した拳に爪を立て、ぐっと力を籠める。


「ま、倅の苦労には同情するが、そいつも今夜が年貢の納め時ってやつだ」


「どういう事だ?」


「三日前、聖堂の水道に汚物を混ぜてやった。今ごろ奴らは水も飲めず干し攻めさ。それでさっき、聖堂側から談合の持ちかけがあった。あとはあの方の采配を待つだけだ」


「…………」


「最初は空砲をぶち込むたびに悲鳴が聞こえてきたんだが、段々慣れてきやがってな。それで窓を破って糞や獣の死体を投げ込んだり、仲間を見えるように痛めつけてやったりしてようやくだ。男色司教の倅は、なかなかしぶといタマをしてる」


 ……グレイスは気づいていない。己の握り拳に、血が滲んでいる。


 それでも、だ。あくまで無能な雰囲気を醸しながら、グレイスは問う。


「質問良いか?」


「どうした」


「あの方ってのは、ヘルバンデスさんの事かな?」


「何を今更。この包囲だけじゃなくて、戦闘をずっと仕切ってるだろ」


 あぁ、そっか。なにぶん居眠りしてたせいで聞き漏らしが多くてさ、と断ってからもう一つ。


「ちなみにエーデル司教がコンタクトを取ってるのも、ヘルバンデスさんなのか?」


「決まってるだろう。仮にもキルナの生命線と呼ばれる一大宗教のトップなんだ。交渉事ができるのは、あの方だけだ。アロンソの間抜けじゃできねえよ」


「なるほどな」


 ヘルバンデス……ここにいたか。保安隊を駆逐して機械兵を引き入れただけでなく、街を占拠しての強盗略奪、街の象徴的存在に対する鬼畜の所業。グレイスはにこりとして、番兵が口にしたパンサ商会頭目への陰口に同調して見せる。


 するとその時、聖堂の正面から、何やら声が上がった。


「攻撃指示が出たらしい」


「なんだと。エーデル司教の交渉はどうなっているんだ」


「知らねえよ。どうせ相手は異教徒なんだ、俺達は好きにヤったら良い」


 番兵は、黄色い歯を出した。


「ひひ、クソまみれの聖域だ、興奮するぜ」


 胸元の小銃を弄びながら立ち上がる番兵に、グレイスは「なあ」と裾を引っ張り止めた。


「なんだよ」


「すまない、あと二つ聞かせてくれ」


「うるせえ、お前にばっか構ってられるか」


「だったら一つだけ…………自分の前歯を食った事あるか?」


 躊躇ゼロの右ストレート。番兵の顔面は、めり、と音を上げて陥没しながら吹っ飛んだ。バリケードを破壊するその勢いに、隊伍の兵士達が一斉に振り返る。


 有象無象の敵共の渦中に、激しい怒りにいきり立つ女が一人、立っていた。罪もない人々を苦しめ、脅かし、悦に入る。聖堂の中にいる人々とその惨状を思うと……グレイスは手に持つアサルトライフルのトリガーを引き絞る事に、なんの躊躇いも起こらなかった。


「我慢ならねえ、てめえら全員、ぐっちゃぐちゃにぶっ潰す!」


 怒声を上げて銃弾を乱射する。銃口から閃光の花が乱れ咲き、直情に燃える銃声が鳴り響く。すぐさま応戦する者が出たが、猛り狂うグレイスの射撃は尋常ならざる精確性を維持している。バリケードで敵からの射線を遮りながら、走り出す。


「敵襲! 敵襲!」


 誰かが叫ぶ。聖堂脇に控える遊撃兵の一班だ。伝令を受けて来たか。あっと言う間に撃ち切ったライフルを投げ捨てて、愛銃に手を伸ばす。


 すると遊撃隊の先頭にいた者が、突然頭を弾かれたように仰け反って転倒した。狙撃である。だが、そいつの頭を撃ち抜いたのはグレイスの弾丸ではない。すかさず小さな爆発音を伴った薄灰色の煙が、奴らの足下から噴き出した。


 ……これは煙幕スモーク弾か?


 己の背後で姿なき支援者が存在している。わかりきった顔だろう。


(やるじゃん、あのガキ)


 マルトだ。聖堂周囲の建物に伏兵として忍んでいるらしい。彼は護身具にスリングショットを所持していた。戦場を遊び場にする酔狂な彼は攻撃用から攪乱用まで、様々な種類の細工弾を取り揃えている。さすが第三ガナノを生存しただけある。改造スリングショットの命中精度と攻撃距離、その性能も今の一発で推し量れよう。


 まったく、近ごろの子どもは侮れない。


 煙幕がもうもうと立ち込める。バリケードを包む煙の中で混乱を起こす敵兵達。こうなってしまっては視覚は役に立たない。


 頼れるのは、それ以外。


 煙の中で狼狽する声へ目がけて飛び蹴りを繰り出す。敵兵が悲鳴と共に頭部を地面へ叩きつけた。グレイスは耳を澄ます。仲間と思われる敵の声。グレイスは低空から下腹部に拳を叩き込み、悶絶する敵兵の首を締め上げ、明後日の方角へ捻じ曲げた。


 呼吸が整ってゆく────。


 グレイスが長ける能力の内、己を最も任ずるのは、気配を察知する力である。


 煙の揺らぎ、息遣い、体の臭い。あらゆる事象から敵の位置を知覚して、最適な行動を選択する。獣じみた感覚の鋭さは過酷な環境下で生き残るために身についていた。


 敵の熱を感じる所へ片っ端から拳を振るう。怒りに任せて雑兵共をなぎ倒す。


 グレイスは知っている。


 強さこそ正義であると。


 秩序もなにも崩れた世界で許された、真実。これこそが、ただ一つの真理。


 強い者が、生き残る。


 我々が課された淘汰圧へ抵抗を続けるのは、自然界では摂理の環中。


 しかしながら弱者を内包する人類全容社会コモン・ソサエティが生物史上最長の覇者でいられたのは、一握りの強き者による庇護があったゆえの事。


 多くの者は消費者に過ぎず、数合わせのため生み出された凡人に他ならない。


 では、弱者は生存競争の足切りにあって然るべきか?


 私は、そうは思わない。


 グレイスは煙幕を振り払うとロングコートを翻し、駆けながら愛銃を発射した。篝火を次々と破壊する。薄闇色のコートが煙を棚引かせるたび、あたりを闇が侵していく。


 敵兵達が銃口を向けている。


 しかし当たりやしない。


 胸の内側が熱を発している。心臓が耳の近くで燃えている。


 光速のインパルスが、常人にあらざる肉体操作を可能にする。


 グレイスは自覚している。


 私は……強き者である。


 ゆえに、暴れる。


 それは秩序だ。


 同時に、叛逆だ。


 己が定義する秩序に反する行いを為されている状況が、猛烈に不愉快。


 しかしながらパンサ商会並びにテロル・サンチョは、グレイスが幼少期より存在している。スジの通らぬ話であるが、そういう問題ではない。


 この反逆が起因するのは高次な思考によるものなどではなく……いたって単純かつ幼稚な感情によって起こされている。


 つまり女の主張を言うなら、こう。


「悪党やって生きてく人生、その道に人ならざる常軌はあれどさ──」


 この街を占拠する強者に対する、たった一人の叛逆戦争。


「仁義にもとって、切れ良いクソがある訳ゃねえだろがぁッ!!」


 要するに、気に喰わねえから、ぶっ飛ばす。


 敵兵を殴り飛ばすと、窓硝子を突き破った。


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