仕事なんて、しているような、していないようなものだ。
少々病欠をしたら、あっさりと取引先との縁が切れ、僅かな貯金を元手に、ギリギリの生活を送っている。日雇いの繰り返しでは、キャリアアップも望めず、それでもライターという仕事にこだわっている俺は、ただ書くのが好きなだけの凡人未満だ。
「はぁ……」
本日もスーパーの安い見切り品の弁当を買って帰宅した。家賃を払うことを考えると頭痛がしてくる。そう思いながら、俺はパソコンの電源を入れた。メールチェックをしながら食事をするのが日課だ。
「ん?」
すると、過去の取引先の編集からメールが届いていた。ハッとして俺は、即座に開封した。
***
【宛先】瀬崎涼悟 様
瀬崎 様
ご無沙汰しております、倉田です。
実は住み込みで取材をしてくれるライターを探しています。
家賃をはじめ生活費はこちらで持ちます。
半年間お願いしたく存じます。
既に一名が決定しており、もう一人をぜひ瀬崎様にお願いしたいのですが、いかがでしょうか?
倉田
080-09**-****
***
そんな簡潔なメールだった。
「これ、は……」
俺はライターの仕事が再び舞い込んだことよりも、家賃を半年払わなくていいということで頭がいっぱいになった。どうせ現在いるこの家は、管理会社にいい顔をされておらず、暗に出て行くように促されている。俺はスマホを取り出した。
即座に電話をかける。
すると、3コール。
『はい、倉田』
懐かしい声が響いてきたので、俺は語調を強めた。
「倉田さん! 瀬崎です」
『ああ、やっぱり連絡をくれると思っていたんだ。やってくれるかな?』
倉田さんの声は明るい。
「はい! そこで何を取材すればいいんですか?」
『住んだ感想を先入観無しに聞きたいから、言わないでおくよ。いつから行ける?』
「すぐに家を解約するので、来週には」
俺は矢継ぎ早に答えた。
『そう。じゃあ来週の火曜日に。住所は送っておくから。鍵はもう一人に渡しておくから、岩屋くんと打ち合わせをして。辺鄙な場所らしいから、岩屋くんの車で行くといいよ。現地では主に岩屋くんの補佐を頼むよ』
そんなやりとりをして、電話は切れた。
岩屋というのは、岩田彰。その名前に、俺は複雑な心境になった。岩田は業界では、俺とは比べものにならないくらい有名で人気のライターだ。
「なんで俺が奴と……? 奴が調べるほどの何かがあるのか……?」
岩屋は主に殺人事件の真相を取材するライターだ。他方、俺が過去に携わってきたのは、簡単な旅行記事ばかりである。一時期同じ会社――倉田さんのいる浅香出版から主に仕事を引き受けるライター会社で同僚だったのだが、面識はそれほどない。
「まぁいいか」
そこへ倉田さんから、とある地方にある“家”の住所が届いたので、俺は早速今の住居を解約する準備をした。
――翌週火曜日。
「久しぶりだね、瀬崎くん」
倉田さん経由のメールで、俺は岩屋と都内の駅前で昼食終わりに待ち合わせをしていた。車の前に立っている岩屋を見る。岩屋は今年で三十四歳。俺と同じ歳である。
「お久しぶりです」
「固い固い。僕はあんまり固いのは好きじゃないから、もっと気楽に」
「はぁ……」
にこやかに笑っている岩屋は、マッシュの茶色い髪を揺らすと、黒い車に振り返った。
「さ、行こう」
「ああ」
頷き俺は、助手席へと乗り込んだ。シートベルトを締めた後、車が走り出した。岩屋の運転は巧い。
「これから行く救鳴郡の眞泉町には、小さいスーパーが一軒しかないみたいだから、今日の食事は調達していこうか。明日は買い出しをお願いね」
車内で岩屋が述べた。
……どうやら俺の仕事の岩屋の補佐というのは、主に家事をすることらしい。車は岩屋のものを自由に使っていいようだが、買い出しは当然のように俺の仕事となるようだ。
「分かった」
俺だってライターの端くれであるから、補佐というのなら資料集めをしたり、記事の一部を任せられたりしたい。岩屋と並び立ちたいと思うわけではないが、俺も成果を挙げて、ライター職を生業として安定させたかった。そのためには、今回は絶好の機会だ。
それにしても、救鳴郡とはどんな土地なのだろう?
結局、家の解約手続きや荷物の処分に忙しくて、俺は何一つ調べてこなかった。
だが、『先入観なしで』と言われているし、よいかと漠然と考える。
「そこのコンビニに寄ろう」
高速道路を降りた時、岩屋が言った。それまで車内では特に話もしなかったので、顔を上げた俺は頷く。
「ああ」
丁度小腹も空いていた。停車した車から降りた俺は、岩屋より先にコンビニに入る。そしてぶらぶらとお菓子コーナーを見た。ガムや飴、グミが並んでいる。俺はブドウ味のグミを手に取り、カゴに放り込んだ。他には今日の夜と明日の朝の分で、牛丼とカツサンドを購入した。他にホットスナックのハッシュドポテトを買う。
そして俺と同じように買い物を終えた岩屋と、再び車に乗りこんだ。
車内でハッシュドポテトを食べてから、グミを一粒食べて、グミの袋はポケットへとしまう。
その後二時間半ほどかけて、都内からは合計四時間半先にある救鳴郡へと到着した。
現在は、春。
救鳴郡には、まだ雪が残っていた。寒い土地の様子だ。桜もまだ蕾だった。それから鉄道の沿線を走り、俺達は眞泉町へと到着した。
「電気、通ってるといいねぇ」
「え?」
「今日から通るらしいんだよ」
「そうなのか」
町の標識を見てすぐに、岩屋がそう言った。岩屋の口調は、いつも明るい。若干間延びした声音だ。
そうして到着したのは、二階建ての民家だった。
薄茶色の壁をしていて、屋根の形は三角形。屋根の色は灰色だ。二階には出窓が二つある。どうやら屋根裏もありそうな造りだ。
車を停車させて、岩屋が鍵を開ける。
俺は合鍵を一つ作ってもらおうと考えた。
靴を脱いで中に入ると、中は埃っぽく掃除もされていなかった。
「明日、掃除を頼むよ」
「……へいへい」
ハウスキーパー職につきたいわけではないが、これもライター復帰への足がかりだ。俺は反論はしなかった。玄関を入ってすぐ、向かって右手にリビングがあり、その奥にダイニングキッチンがあった。リビングには、いくつかの段ボールが積まれていた。
「これは?」
「ああ、僕が一度ここに来て用意した、生活用品だよ。棚やテレビに、と、一通りは事前に運んできたから、他に困ったらネット通販を利用するか、ここから二時間半先にある、先ほどの高速のインターがある救鳴郡の隣の大拔市に買いに行くことになるね」
用意がいいなと思うと同時に、本当に田舎へと来てしまったんだなぁと、漠然と考えながら、俺は頷いた。
それから俺は、床にどかりと座った。段ボールの中からラグを取りだして、その上にあぐらをかく。荷物の本格的な整理は明日しようと思いながら、岩屋を見た。岩屋はダイニングキッチンのテーブルセットの椅子に座り、その上をアルコール消毒してふいてから、ノートパソコンを置いている。バッテリーが見える。仕事熱心なことだ。俺とはモチベーションが違う。いいや、今日からは俺も頑張らなければ。
それにしても腹が減ったなと思い、俺はリビングの床にぽつんと置いてある、巨大な黒いオーブンレンジを見た。巨大な鳥の丸焼きが出来そうなくらい大きい。プラグがコンセントにささっている。岩屋が前に来た時に、段ボールから出したのだろうか? 折角ならば、キッチンに運べばいいのに。だが――弁当を温めるには丁度いい。まずは、腹ごしらえだ。俺は小腹が空いたので、グミを取り出して一粒口に放り込みながら、レンジへと手を伸ばす。そして開けた。
「わっ!」
結果、思わずビクリとして声を上げた。
巨大なオーブンレンジの中から、四歳くらいの男の子が、こちらを覗いていたからだ。ゾクッとして、俺は青ざめる。指先までもが凍り付き、背筋に震えが走った。思わずグミの袋を取り落とした。床にコロリとグミが二つほど転がる。
「どうかしたのー?」
岩屋の声に一度そちらを見てから、俺はすぐに再び開けてあるレンジへと視線を戻した。ダラダラと冷や汗を掻きながら、じっとレンジの中を見る。
「……っ」
しかしそこには、もう何もいない。先ほどは確かに、青白い肌にくぼんだ目をした、黒い髪の男の子が入っていたのだが……そもそも、そんな事はありえないか。鍵だって先ほど開けたばかりなのだし。床に落ちたグミを見る。するとどこかに転がってしまったのか、見当たらなくなっていた。俺は袋と無事な中身だけを震える手で取り、ポケットへとしまう。冷や汗がとまらない。
「な、なんでもない」
俺はそう告げたが、とても弁当を温める気分ではなく、そっとレンジを閉めた。
「電気はまだ通っていないよ」
「そ、そうか」
「段ボールの中にランプがあるから、それを今夜は使おう。寝袋もある」
岩屋の指示に、俺は動揺しながらも頷いた。
思わず両腕で体を抱く。なんだったのだろう、今のは?