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月が見守る夜に

 丸い月が出ていた。

 青白いほどに透き通った光が降り注いでくる。

 夜風が頬をなで肌寒さを感じて、玄関を出るなり身をすくめた。


 そういえば中秋の名月はもうすぐだ。

 どこまでも秋だなぁ~と思ったとたん、ふわっと後ろからジャージを頭にかけられた。

 びっくりして振り向くと、拓海がいた。


「部活、終わったの?」

「お前こそ、文化祭の準備、終わったのか?」


 うんとうなずくと、そっか、と拓海は笑った。

 私の通っている学校は模擬店などを行わず、展示と舞台発表がメインだ。

 クラス代表が一堂に集まってくじ引きをして、展示になるか舞台発表になるかを決める。

 体育祭がない代わりに学校全体で力を入れていて、毎年のように本気度が高いのだ。


 この時期になると月が出る時間でも校内に残っている人間が多く、見上げるとまだ灯りがついている教室もあった。

 私のクラスは演劇だから帰れるけれど、展示に当たったクラスは施錠間際まで残ることもあるのに、保護者からクレームが来ないって不思議だと思う。


 それにしても、時計を見ずに準備をしていたので、拓海の部活終了時間と重なるなんて運がいい。

 ジャージを返そうとすると、寒いんだろ? と笑われてしまった。

 羽織れよ、と気さくに促すので、ちょっと戸惑ってしまう。


 拓海のジャージ。

 さっきまで部活で拓海が着ていたはず。

 ちょっと悩んだら私の手から奪われ、早く着ろと肩にかけられる。

 夜風の肌寒さが一気に消えて、温かかった。

 袖を通すとぶかぶかで、私にはものすごく大きい。

 細身に見えていても、拓海と自分の差を実感した。

 小学校を卒業する頃は、私のほうが大きかったのに。

 いつの間に、こんなに体格の差が開いていたのだろう?


 幼馴染で、同級生。

 家も近所で、親同士の交流もある。

 幼稚園から高校に至る今まで、拓海とはずっと同じ学校に通っていた。

 気やすく話せるけれどお互いにいろいろ知りすぎていて、なんでも冗談にしてしまうから近くて遠い仲だ。

 引っ込み思案な私と違って、拓海はずっと太陽みたいに人の輪の中心にいるけど、なぜか友人関係は途切れていない。

 それに基本的に拓海はサバサバしているので、下級生に告白されたけど断っちまった、なんて話も平気で私に聞かせてくる。

 男女交際よりもバスケ部で走っているのが楽しいって笑っているから、健全な男子高校生らしい気もするし、少しずれている気もするし、少し悩ましいところだ。


 動きの止まったままの私にちょっとだけ肩をすくめると、拓海はそのまま先に立ってさっさと歩きだす。

 一人で帰りたくないので、急いでその背中を追いかけた。

 隣に並ぶと、拓海はムッとした表情でちょっと頬を膨らませていた。


「休憩時間にしか羽織ってね~から、そこまで汗臭くないぞ。そんなに嫌がらなくてもいいだろ?」

「え? ち、違うよ、そんなこと思ってない」


 慌てて否定したけれど、嘘つけ、と拓海は笑う。

 こんなときキラキラ光って見えるから、少しドキドキする。

 付き合ってはいないのに、我ながら過剰反応だ。

 だけどお互いに、お互い以上の親密な異性はいないし、微妙な距離感だと思う。

 必要以上に意識しているのが私だけみたいで、時々胸が痛くなるのは私だけの秘密。

 妙にぎくしゃくしてしまうより、こうして一緒に歩けるだけで嬉しい。


「それで、出し物って何?」

 いきなり問われて、ん? と私は首をかしげた。

「演劇のこと?」

 そ、と軽く拓海はうなずいた。


「お前のクラス、はりきってるよな~俺のクラスはパパッと二曲歌って終わり。本番までに音合わせも一回ぐらいはやろうな~なんて、いい加減だからさ」

 なにそれ? と思わず笑ってしまった。

「持ち時間が二十分もあるのに、二曲でどうするの? あまっちゃうよ?」

「そりゃ、おまえみたいにがんばってるクラスに譲る。細かいことは担任も気にしてないみたいだから、いいんじゃね?」


 クラスによって真剣さに差があるのは当然だけれど、ここまで違うと笑うしかない。

 そういえば拓海のクラス担任は、今年赴任してきたばかりだった気がする。

 九年も移動なく文化祭に携わっている私のクラスの担任は、書きおろしのシナリオを用意して監督さながら付き添っている。


「うちのクラスはオリジナルの演劇だよ。黒猫が満月に願って、人間の女の子になるの」

 星が叶える願いは代償なんていらないけれど、月はひとつの願いにつき大切なものをひとつ捧げる。

 黒猫にあるのは自分の命だけだった。

 大好きだった人間の男の子が引っ越してしまい、もう一度だけ逢うためだけに人間になっても行方を捜すのは難しくて。

 最後はちゃんと会えるけれど、朝が来て月の魔法が解けてしまう。

 黒猫は夜に輝く星のひとつになって、男の子を見守り続ける。

 少し切なくて、悲しい物語。


 どうしてハッピーエンドじゃないの?

 台本を読んだときに私は悲しくなった。

 いい話だし力作なのはわかるけれど、お芝居の中ぐらい優しくて楽しい気持ちでいっぱいになればいいのに。

 どうせなら星に願いをかけて、小さな幸せでいっぱいにすればいいのに……そうすると山も谷もないつまらないお話だと思われちゃうのかな、なんて、やっぱり悲しい。

 知らず気落ちしてしまった私の頭を、拓海はポンポンと軽く叩いた。


「お月さまって夜のイメージで、脳内お花畑にはむいてないからな」

 あんまり深く考えるなと言われて、うんとうなずくしかない。


「で、なんの役? こんなに遅くまで練習してるなら、ちょっとは期待してもいいよな?」

 明るい声で問いかけられて、きょとんとしてしまう。

 できるだけ隅っこにいたい私が役者になっていたら、登校拒否を起こしていると思う。

 そのぐらい拓海も知っているはずなのに、気分を変えようと気を使ったのならものすごく不器用だ。

 そう思ったらなんとなく気持ちが緩んだ。


「私? 私は裏方。衣装は力作だから絶対に見てね」

 可愛いんだよ! と黒猫のワンピースについて語りだすと、ありえね~と拓海は嫌がった。

「俺が衣装なんて見てどうすんだ? お前が出るならって期待してたのに、出ないのかよ」


「大根役者だって、笑う気だったでしょ?」

「言わねーよ」

「嘘。へたくそーって絶対に笑う」

「どうしてこういうときばっかり、おまえ、強気で断言するのかなぁ?」


 まったくもう、なんてぼやいてるのがおかしくて、思わず笑ってしまう。

 いつのまにか悲しい気持ちが消えていた。

 拓海の言葉にのっかっていると、胸の奥がポカポカしてくる。

 特別なことは話さないのに、こうして会話している時間は心地いい。

 他愛のない会話っていいな、と思う。


 肩を並べて歩いているうちに、いつの間にか私の家が見えた。

 あと十メートルもまっすぐ歩けば、私の家の玄関だ。

 拓海はこの角を右に進むので、ここでお別れ。

 もう少し一緒に歩きたい気がしたけれど、それは友達を越えた希望になりそう。


「また明日。ジャージ、ありがとう。洗って返すね」

 お礼を言うと、不思議そうに拓海は私を見た。

「遅いし、すぐそこだから門まで送る」


 いいよ、悪いし。

 そう言いかけたけれど、不意に伸びてきた拓海の手が私の頬に触れた。

 耳からこぼれ落ちていた髪を指先でそっとすくい、そのまま頬をなでるように後ろに払う。

 そのまま手は離れたけれど、かすめるように触れられた頬が熱くなる。


 不意打ちに、心臓が止まりそうだった。

 思わず息を飲んで無意識に後ろに逃げかけた私の肩を、拓海の大きな手が押さえる。

 じーっと私の顔を見つめて、ポツンとつぶやいた。


「お前さ、こんなに美人だったっけ?」


 カーッと一気に血が上り、顔が真っ赤になっていくのがわかる。

 いきなり何を言いだすのかと思ったら、真顔でからかわないでほしい。


「よくもそんな恥ずかしい台詞を……」


 バカバカと思い切りはじきたかったのに、弱々しくかすれた声しか出なかった。

 美人なんて、そんなの誰にも言われたことがない。

 私一人だけ意識してると思っていたから、思いあがってしまいそうだ。

 褒められて嬉しいけれど、不意打ちで言わないでほしい。

 思わずつま先を見つめて、本音をこぼしてしまう。


「拓海こそ、そんなにカッコよくなってずるい」

「バッ! お前こそ、よくもそんな恥ずかしい台詞を……」


 最初に言ったのは拓海なのに。

 顔をあげると、視線がからんだ。

 拓海も真っ赤になっていた。

 ドキドキしている心臓の音が、ここまで聞こえてきそう。


 こんな表情、初めて見る。

 そう思ったら、スルンと言葉が出ていた。


「恥ずかしくないよ、本当のことだから」

「お、俺だって嘘なんて言わないけど……」


 それ以上の言葉もなく、頬を染めて私たちは立ち尽くす。

 家はすぐそこで、帰らなくてはいけないけれど、帰りたくない。

 冴えた月光に照らされ、お互いの表情が夜の中で鮮やかに浮き上がる。

 心まで射しこむ、夜の魔法みたいだ。


 ずっと一緒に育ってきた。

 このままなにも言わず友達でいれば、お互いに傷つくこともない。

 だけど、ほんの一歩。ほんの一言あれば、私たちの関係は変わる。


 友達のままでいると、拓海が私以外の人を選ぶのを見ることになる。

 特別な関係になると、今までみたいな気安さが壊れるかもしれない。


 怖いのはどっち?


 次の言葉を探して立ち尽くす私たちを、青白い月がそっと見守っていた。



【 おわり 】



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