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4.一緒に居たいと思ったり、一緒に居られたりする理由

「……」

 言葉が出なかった。

 嬉しいのだと思う。なのにそれが胸に、喉に、詰まってしまった。

 彼女の言葉を受け止めて、なんとか理解して、やっと出てきたのは。

「え。もしかして呪いの影響、強い……?」

 そんな疑問だった。

「それは」

 わかりません。と灰色の髪が揺れた。

「でも、これはボクの意志です。最初、ボクはお兄さんを利用するつもりでした。そこは、いくらでも怒られる覚悟、できてます。吸血鬼だと聞いて、人じゃないなら大丈夫だと思いたかったボクが居たのは、本当ですから」

 けれど、と彼女は赤い目を僕に真直ぐ向けて言った。

「ボクは、本物の座敷童になりたいです。本物になりたいと思わせてくれたお兄さんを、幸せにしたいです。お兄さんの幸せ――望むままの日常をあげたいです。それは、お兄さんと一緒に居て、始めて思ったんです」

 お兄さんが思わせてくれたんです。と、彼女は力強く言った。


「……本当に」

 僕がようやく言えたのはこの一言だった。

「本当に、いいの?」

 彼女がこの家に居てくれる。その申し出がなんだか信じられなくて、繰り返し問う。

 しきちゃんは「はい」と頷いてくれた。

「ボクにできる事なら、お手伝いします。お兄さんがやりたい事とか、お買い物とか……

なんでも」

「……うん。うん」

 その言葉に思わず浮かれかけた瞬間。

「――ちょっと座敷童さん」

 挟まれた声で、他に人が居たことを思い出した。


 声の主はノイスちゃんだった。

 しきちゃんは背筋を伸ばしたまま彼女の方を振り向いて、なんでしょうと視線で問う。

 ノイスちゃんは指を振って彼女の言葉を指摘した。

「なんでも、なんて軽々しく言っちゃダメよ」

「?」

 しきちゃんの首がこて、と傾く。灰色の髪がさらっと揺れた。

「それでこの吸血鬼が調子に乗ったらどうするのよ。ちょっと危機感持ちなさい?」

「危機感、ですか」

 そう、とノイスちゃんは頷く。僕は彼女の中でどれだけ危険人物と思われてるのだろう。

「毎日血を吸われたり、こき使われたりするかもしれないわよ。なんでもなんて軽々しく言っちゃダメ」

 よほど大事なのか、二回言った。

「え……」

 ええと、としきちゃんの視線が困ったように僕の方を向く。

「いや、そんな無理なこと、言わないよ……?」

「まあまあ、ノイス。ウィルは生活能力ないから、彼女のような存在は大事だよ」

 テオがにこやかに要らない事を言う。

「いや。あるし。ここ最近はひとり暮らしだったから自炊もしてるし。大体、あの頃は君が勝手に世話焼きにきてただけだろう?」

「そうだっけ」

「そうだよ」

「その割に、俺が買ってこないとパンのひとつもなかった気がするんだけど?」

 目を逸らした。

「……今はしてるから。できてるから」

 痛い指摘は置いといて、しきちゃんに言う。

「大丈夫。無理なことは言わないよ」

「はい。大丈夫です」

 ためらいなく頷く彼女のその信頼もどこから来るのだろう。ちょっと不思議になるけど、それもまた座敷童の能力なのだろう。よく分からないまま納得をする。

「それに、ノイスさん」

「うん?」

「ボクの心配はとてもありがたいです。けど、それはノイスさんも一緒じゃないんですか?」

「え」

 ノイスちゃんの声が、不自然に固まった。

「テオドールさんとずっと一緒に居て、無理なこと、ありましたか?」

「……ないわよ」

「それなら、きっとボクも大丈夫です」

「それどういうことよ!? 何の反論にもなってないし、説得力ないわ!」

「ノイスさんがテオドールさんと一緒に居る、ボクがお兄さんと一緒に居る。きっと、同じようなことだと思うんです。一緒に居たい、役に立ちたい。もちろん、一緒に居させてくれるから、というお話があるからできる事ですが」

 それは、としきちゃんの表情が和らぐ。

「そうして一緒に居られるのは、居ても大丈夫だという信頼があってこそだと思います」


 信頼。とノイスちゃんは繰り返す。

 信頼です。としきちゃんは頷く。


「……ば、馬鹿言わないでよ! 信頼っていうか、わ、私とテオは兄妹みたいなものだし」

「本当ですか?」

 間髪入れず返された問いに、ノイスちゃんの言葉が詰まる。

 こんな強気に言葉を返す彼女は初めて見た。実は怒らせると怖いのかもしれない。

「そうよ! ずっと、一緒に居るんだから。テオのことは私がよーく知ってるわ」

「そうですか」

「そーよ」

 ぷい、とノイスちゃんがそっぽを向く。

「それならば、ボクもきっと同じです」

 ノイスちゃんの視線が「どういうことよ」としきちゃんを向く。

「ボクは座敷童です。これまでたくさんの家と人を見てきました。それはきっと、ここに居る誰にも負けません。そんなボクが、お兄さんはいい人だと思ったんです」

「……」

 テオとノイスちゃんの顔が、疑問そうに傾く。

 僕はと言うと、彼女と初めて共にした朝食の事を思い出していた。


 あの時の僕は色々心配していた。

 座敷童だという彼女にどんな判断を下されるのだろう。こんなにも小さな肩で、僕にどんなことを言うのだろう。じっと見上げるその目に、僕はどう映っているんだろう。そんな不安があったな、なんて。


 当時の僕に「心配しすぎだよ馬鹿め」と笑ってやりたくなる。

 むしろ、他に心配すべき事はその後に山積みだ。とも。


「お兄さんは、夜中に突然遊んで欲しいと言ったボクに、何も聞かないで相手をしてくれました。そのまま寝てしまったボクにベッドを貸してくれて。初めて、誰かと一緒にご飯を食べるという場所をくれました」

 それから、と言葉は続く。

「行く場所がないならと居場所をくれて。ボクの血を飲んで、辛い時もあったはずなのに、いつも笑って大丈夫だって言ってくれました。こんなに無力なボクなのに、追い出したりしないで。いつも優しくて、気遣ってくれる人です」

「さっき八つ当たりしたとか言われてなかった?」

 ノイスちゃんの鋭い指摘が僕に刺さる。

 しきちゃんは「そうですが」と一度肯定して、「それでも」と続けた。


「お兄さんは優しい人ですよ」

 それはそれは、穏やかな声だった。


「過大評価ね」

「そうですか?」

 ノイスちゃんの指摘がいちいち痛い。けれども、しきちゃんはそれをやんわりと返していく。

「そうよ。貴女がお人好しすぎるのかもしれないけど」

 というか、とノイスちゃんの言葉は続く。

「日本人ってそうなの? そういうものなの? 紳士がレディに対して優しくするのは当たり前だけど、日本人は誰も彼も優しすぎるわ。この吸血鬼もそれで毒気を抜かれたから安心だって言うの? テオをこんな身体にした張本人なのよ。私は許さないわ」

「俺は別にいいんだけど……」

 のんびりとテオは言う。が、ノイスちゃんの視線でその先は封殺された。

「私は、許さないの」

「まあ、僕は許さないでもいいけどね。いつでも受けて立つよ。周囲に迷惑掛けなければ」

「覚えとくわ。それで。座敷童さん、続きは?」

 突然戻ってきた話に、彼女の目がぱちりと瞬きをする。

「えっと。お兄さんが吸血鬼とか、昔はどうだったとかは、今はいいです。ボクに優しくしてくれたのは間違いありませんし。そんなお兄さんだから、ボクはこの家で、お兄さんの幸せのお手伝いをしたいと。この家の座敷童になりたいと思ったんです。これまで何も考えずに使っていたこの力を、初めて誰かのために使いたいと、使えるようになりたいと、思わせてくれたんです」

「……お人好しすぎるわ」

「ウィルらしいね」

「二人とも、僕達に対しての評価厳しくない?」

「そうかな」

「そんな事ないわ」

 二人は即答で僕の言葉を突っ返す。

 いや、厳しいと思うな。という言葉は飲み込んだ。

「でもさ」

 と、テオが口を開いた。

「うん?」

「ウィルにとって、彼女との出会いは良いことだったみたいだね」

「どういうこと?」

 首を傾げると、テオは「だって」と笑う。

「俺、こんなに元気そうで穏やかな君が見れるなんて思ってなかったんだ」

「……君から見て僕はどんなだったのさ」

「そうだな。いつも難しい顔して、不機嫌で。不満ばかりで。家事はするけど、言われなくちゃ胃に何も入れない日が続いて……なんというか、最低限ギリギリって感じだった」

 職業柄、世話を焼かずにいられないっていうか、ちゃんと生活できてるか気になるんだよ。と、テオはのほほんと言ってくれる。

「だから、元気な君と明るい部屋でこうして話ができるのは、この国と彼女のおかげじゃないかなと、俺は思ってるよ」

「この茶会のきっかけは大変物騒だったけど?」

「まあ、そこは気にしないで」

「気にするよ!? この後、部屋の掃除頑張んなきゃいけないんだから」

「あ、ボク、お手伝いします!」

「うん、ありがとうね……」

 溜息をつきそうな僕の言葉に、テオはやっぱりにこにことして言った。

「うん。それもきっと、日常のひとつさ」

「こんな心臓に悪い日常はゴメンだよ」


 僕の文句を詰め込んだ一言に、やっぱり彼は「そうだね」と。

 霧の街に居た頃と同じような口元と声で、微笑んだ。

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