話は二時間ほど前にさかのぼる。
ここは東京の片隅にあるバー、『ナイト・アクアマリン』。
シェアハウス中の親友、
小さいながらも繁盛しており、ほぼ満席状態である。
そんなフロアの片隅で、私はイガさんという六十代の男性……大企業の社長さんらしい……と話し込んでいた。
年齢も性別も環境も違う私たちだが、ある共通点があったのだ。
それは家族問題である。
「まさか一人息子に跡継ぎを拒否されるとはの。マナト……あの親不孝者めが……地球一周にガーデニング、トレーニングジム通い、ケーキバイキング……引退したらやろうと思っていた計画の全てが先送りじゃ」
イガさんは、もう何杯目かわからないカクテルを煽る。
「……ここ数ヶ月わしは胃薬が手放せんというのに、あいつはまるっきり素知らぬ顔。悪魔を相手にしておる気分じゃよ」
ため息まじりのイガさんに向かって、私は大きく頷いた。
「それは大変ですね……お疲れ様です……」
労いの言葉と同時にチャラ男な兄の姿が脳裏に浮かぶ。
冬でも商店街をサンダルとアロハシャツで練り歩く、見るからにマイルドヤンキー系タイプの彼は、四百万もの借金を踏み倒して失踪中。そのとばっちりで何故か私が会社を首になり、社宅アパートを追い出された。
真面目に働いてお金をため、誰かと恋をして結婚を、なんて。
思い描いていたささやかな夢が一気に遠のく絶望は、もう二度と味わいたくないと思うほど。
「チャラ男が一家に一台あるだけで人生はたちまち無理ゲーに……ううっ」
「悪魔にチャラ男、まとめて成敗したいものじゃな」
薄暗いフロアの片隅で私たちはひっそりと親睦を深めていた。
◇◇◇
そんな中、現れた美貌の男。
私たちのいるテーブル横へとやってきた彼は、近くで見るとさらに完璧なルックスだった。茶色い髪はさらさら、切れ長だが優しい目元に高い鼻梁。ふっと唇に笑みを浮かべただけで、まるで背後の花びらが見えたような錯覚に陥る。
思わずうっとりしてしまった私だったが、夢から覚めるのも一瞬だった。
「ったく。何時だと思ってんの。パパリン」
なんとそのイケメンは、開口一番、こう言ったのだ!
「おう、マナト。やっと来たか」
イガさんがそう応じた事で、二人の関係が親子だと判明する。
「パパ……リン?」
愕然としている私に、マナトさんと呼ばれた彼は微笑みかけてきた。
「そ、この人、俺のパパリン。似てないでしょ。でもちゃんと親子だから」
確かにモンキー顔と王子顔で、同じDNAとは思えない。
しかし、問題はそこじゃなかった。
「普段からパパリンって呼んでるんですか?!」
我慢できずに尋ねれば
「そうだよ」
まさかの返事が戻ってきた。
「冗談……ですよね?!」
「んー。
「嘘……」
むしろ、これが通用している理由が知りたい。イケメン補正?! 私には理解しがたい感性だ。
「まあ、ファザコンって誤解されても困るから、父さんって呼ぼうかな」
そう言うマナトさんに向かい、イガさんは仏頂面のまま言い放つ。
「そんな事はどうでもよい!」
え? 本当に!? わりと大問題だと思うんですけど!
「紹介しよう。これが我が家のドラ息子じゃ。わしにそっくりな男前じゃろう? 性格は……悪魔のように食えん男よ。天使のわしとは真逆ぞよ」
(悪魔……! 本人にも言っちゃうんだ!)
私は唖然とした。
いくらなんでも、その言い方は傷つくはずと思ったのに……。
「悪魔か。それ、かっこいいね。これからはそう名乗ろうかな」
マナトさんはどこ吹く風。天使設定はスルーである。
イガさんがマナトさんに私を紹介すると、
「へえ。朝倉みかりさんって言うんだ。可愛い名前。よろしくね。みかりん」
彼はにっこりと微笑みかけてきた。
「み、みかりん……」
「俺の事はデビルマナティーと呼んでいいよ。なんてね」
端的な笑顔でそう言うと、マナトさんはバチン、と片目を閉じた。
生まれて初めて見る、生ウィンクに、私はポカンと口を開ける。
(なんなの、この……気障で変で、ぬるっと近い距離感は……)