急ぎ教会に戻ったセナは、『硝子の杯に付ける装飾が足りないから追加で持ってきて』と言い渡された。
セナは激怒した。必ず、かの邪智暴虐のチェーンクエストを除かねばならぬと決意した。セナには運営の事情が分からぬ。セナは、不治の病を疾患していること以外はただの一般人である。VR世界で、気の赴くままにして暮してきた。けれども
「(走れメロス構文だっけ。ずっと昔からあるんだよねこれ)」
ふと今の自分を、走れメロス構文に沿って頭の中で口ずさんだセナは、その足で骨董屋に向かう。
違う場所に行かされるのもチェーンクエストらしいと思いつつ、その店に入る。
「……らっしゃい」
「この硝子の杯の装飾を受け取りに来ました」
「……おう」
無口で頑固そうな壮年の男性は、無愛想な面で奥から箱を持ってくる。
その箱には古めかしい装飾が整理されて仕舞われており、そのうちの一つを取り出して男は言う。
「……これ、は、戦の神」
「……?」
再度男は言う。
「……戦神の、飾り」
「……? あ、私が信仰しているのは〝猛威を振るう疫病にして薬毒の神〟です」
どの神を信仰しているか問われていると気づいたセナは、やましいことは何もないと自信満々に言い放つ。
男はどこか困ったような様子を浮かべ、再び店の奥から違う箱を持ってきた。
箱の中には紫紺と深緑の二色の装飾が納められており、組み合わせることを前提としたデザインになっている。
デザインも相まって毒々しい印象を受ける装飾は、正しく〝猛威を振るう疫病にして薬毒の神〟のために作られたものだった。
「……ん」
「ありがとうございます! 大切に使いますね!」
それを受け取ったセナは三度教会へと戻る。
行ったりきたりと忙しない。
通りすがるプレイヤーの多くは、『ああ、アーツ解放のクエストやってるんだ』と暖かい目をしていた。
同時にどこか遠い目をしていたのは、やはり面倒だったからだろう。
「……あなたが信仰する神は少し特殊なようですね」
神官をしているだけあってさすがに〝猛威を振るう疫病にして薬毒の神〟を知っているようだ。言葉を濁したが、彼は逡巡してから話を続ける。
「かの女神は慈悲深いと聞くが、残酷とも聞く。命を奪い、死の淵にある者を試す神だからこそ、極端な二面性を持っているのでしょう。くれぐれも、背くことのないように」
「分かってます。私は、病気にならない体を戴けて感謝してますから、神様が望むならなんだってやります。止められたのなら従います」
セナは嘘偽りなく本心を伝えた。
ゲームである以上、どの神を信仰していてもゲームとして楽しむべきではあるが、セナはFGオンラインでは神の意向を最優先するロールプレイをすることにしたのだ。
病気にならない体ばんざい。〝猛威を振るう疫病にして薬毒の神〟ばんざい。
もはや狂気すら感じる熱意で、セナはその理由と言葉を形にした。
「……神が止めないのなら、私も止めません。心のままに生きなさい」
《――クエスト:アーツ修得への道Ⅲを特殊クリアしました》
《――ユニーククエスト:アーツ修得への道・疫病編、薬毒編が発生しました》
《――クエスト:アーツ修得への道IV、クエスト:アーツ修得への道Ⅴが破棄されます》
すると、セナにユニーククエストの発生が通達された。
通常のクエストが自動破棄され、セナはユニーククエストの受注を余儀なくされる。
「(ユニーククエストってなに?)」
攻略サイトを見ないセナはユニーククエストなんて初めて聞いた。
他のゲームではちょっと報酬が良かっただけだったり、一度限りのクエストだったり、あるいはメインストーリーを進めるためのキークエストだったりした。
「(ヘルプは……あった)」
このゲームに於けるユニーククエストの立ち位置は、ヘルプの中に赤文字で『New!』の文字と共に説明されていた。
ヘルプによると、ユニーククエストは条件を満たした場合に発生し、自動的に受注され、通常のクエストが進行できなくなるものだった。
通常のクエストが進行できなくなる理由は至って簡単で、ユニーククエストの内容に関連するクエストは全て統合されるからだ。
なので、セナがアーツを修得するには、このユニーククエストをクリアする必要がある。
「ではこれを持って広間で祈りなさい」
セナが集めてきた道具を渡され広間に入ると、中央のクリスタルは女神の姿に変じていた。
金の糸、そして装飾を付けた硝子の杯を台座に置いてセナは祈りを捧げる。
数秒か、数分か。
暗闇の中で鼓動と呼吸の音ばかりが耳に届く。そして、セナの体は光に包まれる。
浮遊感……それから柔らかな感触。
「――え?」
セナが目を開けると、辺りの様子は一変していた。
神々しい空間なのは変わらないが、質が違うとセナは感じる。
彼女の目に飛び込んでくるのは極彩色で彩られた森と、どこまでも聳える石膏の柱と、質素な木造の小屋。
《――疫病と薬毒の神域に招待されました》
周囲の異常を認識したセナの耳にアナウンスが届き、彼女は衝撃と歓喜を覚える。
神域に招待されたということは、もしかすると……。そう思ったのだ。