「おおー! いいじゃないですか!」
僕のスマホに保存された写真データを見ながら、川上君は歓喜の声を上げた。
「初めてでここまでキレイにタープを張れるなんてすごいですよ! 桑野さん、予習もばっちりでしたね。さすがです!」
「いやぁ、それほどでも。何回も貼り直したし」
「いやいや、ここの角度、タープの端とロープの角度が秀逸です! シワひとつなく、完璧ですよ!」
「そ、そうかな」
謙遜はするが、満更ではない。このタープは我ながら教科書通りにキレイに張れたと考えている。設営直後はテンションが上がりすぎて、スマホで様々な角度から写真を撮ったのだった。その撮影枚数の多さから、川上君も僕の内心を感じ取って発してくれた言葉なのかもしれない。
「川上、ちょっと褒めすぎ。タープは私もやったから」
僕ばかりが褒められて機嫌が悪いのか、そっぽを向いて焼き菓子を齧りながら穂乃果が言う。
「先輩もすごいですよ」
「うるさい、生意気な」
どすりゃいいんだよ、と僕は思う。
『え! 早速キャンプ行ってきたんですか!? どうでした!? 聞かせてくださいよ先輩! 桑野さん!!』という僕のキャンプ師匠かつ
手土産に持ってきた洋菓子店の焼き菓子詰め合わせは、穂乃果によって既に半分食べ尽くされている。
川上夫妻のお宅は立派な一軒家の賃貸だった。穂乃果はそこそこ大手の企業に勤めており、給料も潤沢だと言っていたから(その分忙しいらしいが)、後輩の川上君も同様であろう。まったく羨ましい限りだ。
ただ異動がある仕事なので、家を買って根を張る、というわけにはいかないようだった。
「夕食は何作ったんですか? あ、カレーじゃないですか! テッパンですね!」
他人のキャンプ写真みて大はしゃぎする川上君。彼は本当にキャンプが好きなんだろうなぁ、と僕は思う。その隣で川上奥さんもニコニコ笑っている。この人はこの前のキャンプの時も常にニコニコしていた。
どっかの、不機嫌面で焼き菓子を食い尽くさんとする奴とは大違いである。
「先輩、なんか不機嫌じゃないですか? この前の、柳井課長の一件ぐらいから」
柳井課長? 仕事の話だろうか。
「関係ないし。でも、なんか男って自分勝手だよな、って思ってさ」
「先輩、男って、主語が大きくないですか」
「ん、そうだね。
穂乃果は、仕事でトラブルでもあったのだろうか。何か力になってあげたい気もするが、守秘義務的に相談できない案件なのかもしれない。見守る事しか出来ないのかもな、もどかしいけど。
「写真ありがとうございました! で、次のキャンプはどこに行くんですか?」
「あ、えっと、ここにしようと思って」
僕は先日の夜、ネットの海を漂いながら吟味に吟味を重ねた結論を披露する。
「あ、ここですか! いいですねー! この時期だと、運が良ければホタルが見れるかもしれない!」
さすが川上君だ。この時期と、キャンプ場の立地から、僕の思惑を瞬時に見抜いている。
この川辺のキャンプ場は、初夏にホタルが飛翔すると、あるキャンパーのブログに書いてあった。自然とは常に移り変わり、一度として同じ時がない! 儚く美しい蛍の輝きは、その自然の本質を体現しているのだ! みたいな事がブログで力説されていて、添付された写真に僕は目を奪われた。
黄色い光が宵闇に線を描きている。
夜を切り裂く爪痕のようだ。
「問題は天気ですねー。梅雨期だから、晴れればいいんですけど‥‥」
川上君はスマホを操作する。
「降水確率は50%‥‥後は天に任せるほかないですね。この際なんで、雨天時キャンプの対策をお伝えしときましね。雨の日は土壌がぬかるんでペグが抜け易いので、ペグを余分に持っていって、こんな風にペグ同士を交差させるように2本目をペグダウンしてーー」
△
帰りの車の中でも、穂乃果はどこか上の空だった。面白味など全くない、見慣れた街並みをぼんやりと眺めている。
穂乃果の様子がどこかおかしいのも、実は少し前から気づいていた。そしてそれは、先程の川上君の発言で確信に変わった。
おそらく穂乃果は仕事でミスをして、取引先の課長からクレームを受けたのだろう。
仕事に関しては妥協を許さない穂乃果のことだ。そのミスの程度が如何程であれ、安易に切り替えていけるものではないのだろう。
失敗は誰だってある。
重要なのは、そこからどのように立ち上がるかと、立ち上がる時に手を差し伸べられる誰かがいるか、だと思う。
次のキャンプ、ホタルを見たいと切に願う。
夜の闇を切り裂くように、穂乃果の心の暗幕も切り裂いてほしい。