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悪役令息の使用人
悪役令息の使用人
書鈴 夏
BLファンタジーBL
2025年01月30日
公開日
2,422字
連載中
何故か過去に戻った平凡な使用人。 愛情に恵まれず冷遇されていた坊ちゃんの悲惨な運命を、今度こそ回避してみせる! 美形貴族×平凡使用人です。

第1話


 俺があの人にできたことは、何も無かったのだろうか。


 植木を剪定しながら、ぼう、と想ってしまうのは、かつて仕えていた家──ロレーヌ家のご子息だった。


 美しいお方だった。なにより、悲しいお方だった。


 名を、アルカード・ロレーヌといった。奥様譲りの柔らかな金の髪に、旦那様譲りの透き通る紫色の瞳。凍えるような美しさを持つ彼。魔法の適性が稀有な、かつ忌避の対象とされる闇魔法だったために、家族から除け者にされて。世間体を気にして屋敷には住まわせていたが、もはや居ないもののような扱いだった。

 家庭でも学園でも問題ばかり起こしていたのはその反動だろう。使用人にもキツくあたっていたために、尊大な態度に辟易していた者がほとんどだった。いち使用人であった俺、タイム・ミラーは──ただ、怯えていた。坊ちゃんのことが気にはなっていたものの、辛辣な言葉を浴びせられるのが恐ろしかったのだ。


 大きな転機が訪れたのは、突然だった。


 学園に入学して数年が経った頃。齢は16だった。俺は、27になっていた。坊ちゃんは、とある名家の子息がお気に召していたらしい平民の青年に嫌がらせをし──多くの生徒たちの前でそれを糾弾され、退学に追い込まれたのだ。当然旦那様たちは激怒し、勘当を告げた。話を聞く限りでは、取り巻きを従えて嫌がらせをしていたらしい。小さなものが続いていたが、そのうちに青年にわざとぶつかり、思い切り転ばせて怪我を負わせたのだとか。

 そうして、はるか遠くの名も知らない土地へ追いやられてしまったのだ。汚名を被ったロレーヌ家は、みるみるうちに力を失い、使用人を雇う余裕も無くなり──俺は今こうして、別の名家で雇ってもらっている。


 確かに、その話が本当ならば坊ちゃんは悪いことをした。それは裁かれるべきだろう。

 だけど。そこに至るまでの要因には、紛れもなく彼の境遇もあったはずで。何かできたことはあったんじゃないのか。


 獣のような鋭い瞳に気圧されて、声をかけることもはばかられていた俺に、もう少しだけ勇気があれば。


 そんな後悔が、胸に住みついて離れてくれやしないのだ。ロレーヌ家を離れてから5年は経つのに、未だに坊ちゃんの横顔が頭をよぎってしまう。どこか遠くを見つめる、あの切なげな瞳を──



 は、と我に返る。仕事に戻らなくてはいけない。今日中に庭の剪定を終わらせるのだ。目の前には、華美で綺麗な花が咲いている。なんとも惜しいが、この花は切らなくては。勿体ないが、見栄えを整えるためだ。

 名残惜しさとともに、剪定鋏を握る手に力を入れた。


「ロレーヌ家のボンボン、あの僻地で死んだんだってよ」


 ばちん。


 無惨にも切り落とされたその瞬間──後ろから聞こえた話し声が金属音と重なった。数秒遅れて、言葉の意味を理解する。


 死んだ。死んだって──坊ちゃんが?


 気がつけば駆け出していた。脚立を転げそうになりながら降り、話をしていた使用人のふたりに息も切れ切れで声をかける。驚いたような二対の瞳が俺を見下ろした。


「す、すみません、その話……!」


「うお、なんだ! ……ああ、アンタ、元々ロレーヌ家に仕えてたんだったな」


 はい。


 掠れた声で、なんとか返事をして。深く頭を下げた。


「詳しく、聞かせて貰えませんか。どうか、どうかお願いします……」


「…………」


 使用人たちは押し黙っている。この不審者をどういなしたものかと考えているのだろうが、なりふり構ってはいられなかった。


 尋常でない様子に押されたのか、答えた方が早く事が済むと判断したのか。定かではないが、わかったよ、とため息混じりの声が降る。礼を言ってから頭を上げると、男性は腕を組んで口を開いた。


「僻地に追いやられたのは知ってんだろ。迫害された挙句、風土病に罹って死んだんだと。誰にも世話されねえ、ろくに環境も整ってねえ。まあ、病気になるのも当然だな」


 言葉を失った。頭が、うまく働かない。嘲笑をひとつ漏らして、もうひとりの男が言葉を続ける。


「あっけねえもんだなぁ。……アンタも清々したろう? 傍若無人だったっていうじゃないか。ざまあみろだ」


 まるで共感しているとでもいうように肩を叩かれる。呆然とする俺は、返事をすることすらできなくて。


「しかも、最期になんて言ったと思う?」


「なんだ。死にたくない、とかか?」


「『誰でもいいから、愛してくれ』だってよ! 散々好き勝手したくせに、傑作だろ!」


 けらけらと笑うふたりの声はすぐそばで聞こえるはずなのに、どこか遠くからしているようだった。


 ふらりと、どこか現実味のない感覚のまま。ただ、その場を離れるために足を進める。止められなかったことが唯一の救いだった。

 そうして、ひとけのない庭の一角で。膝から崩れ落ち──顔を覆って泣き伏せた。



 さぞひもじかっただろう。さぞ寒かっただろう。さぞ淋しかっただろう。さぞ、さぞ──哀しかっただろう。誰でもいいから愛して欲しいという、ささやかな願いすら叶わなかった。それすら嘲られるのか。

 ただ闇魔法が得意だっただけで、どうして。家族にも爪弾きにされ。現に、魔法を使った復讐だってしていないじゃないか。なんで。あんまりじゃあないか、こんなの。


 せめて、誰かひとりでも愛を注いでくれる人がいれば。……俺が、彼の味方になっていれば。そんな最期を迎えずに済んだのではと思ってしまうのが、傲慢なのはわかっている。それでも、願わずにはいられないのだ。


 彼が、幸せになる結末を。


 泣いて、泣いて。声も涙も枯れるほどに泣いて。突然、頭が割れんばかりの痛みに襲われる。がらがらの呻き声が口から漏れた。

 ああ、これは罰だ。酷い扱いを受ける坊ちゃんを気にしながらも、何も手を出せなかった意気地無しの俺への。このまま死んでしまうのだと思った。いっそ死んでしまいたかった。


 そうして、気を失うその瞬間。かつての美しい坊ちゃんの横顔が、頭をよぎった。年齢に不相応な、諦念の滲むあの瞳。

 もう一度、やり直せたら、と。ふつりと意識が途切れるまで、切にそう願った。

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