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2-3 聞き込み

 翌日、林家を訪ねた子渼は、さっそく明暁から預かった玉佩ぎょくはいの効果を思い知った。


 すなわち、門前で錦衣衛きんえいの蘇明暁の使いだと身分を明かし、ついで玉佩を示すと、林家の門衛もんえいは慌てて主人に取り次いでくれたのだ。ご息女からぜひとも話を聴かせていただきたい、と、子渼が請うと、林家当主はこの頼みも快くけてくれた。


 おかげで子渼はいま、林家の広い館第やしき内にあるあずまやで、林家令嬢のりん麗華れいかと対面する機会を得ることができている。


「突然お訪ねして申し訳ございません。昨日はあの後、大丈夫でしたか?」


 やってきた麗華に優雅に礼をし、穏やかに微笑みつつ、子渼は問う。それで相手も、いま目の前に立つのが、昨日破落戸ごろつきに絡まれているところへ割って入ったのと同一人物であることを認識したらしかった。


「まあ」


 大きな目を更に丸くして、それから上品に袖で口許を覆うと、おっとりと微笑する。


「その節はありがとうございました。おかげさまでつつがなく帰宅できましたわ」


 ふんわりと笑う麗華は、いかにも医によって何代にもわたりも名を為してきた名家の令嬢といった雰囲気だった。


 昨日、路上で見かけたときには――外歩きのためか――わりあい質素な恰好をしていたものの、今日は薄っすらと化粧をし、髪も華やかに結ってかんざしして飾っている。彼女が皇帝の妃候補であると言われても、納得できるうつくしさだった。


「それは良かったです」


 麗華の言葉に応じつつ、さて、子渼は次に継ぐべき言葉を探しあぐんだ。とりあえず玉佩にものを言わせて面会までは叶ったが、この後は何をどう切り出したものだろうか。


「もしやわざわざ、わたくしの無事を確かめにいらしてくださったの? 父からは、陛下の関係筋の御方がわたくしに御用のようだと聴いておりますが」


 こちらの困惑を読み取ったわけでもないのだろうが、麗華がふわふわと微笑しつつ、自らそう言い出してくれる。そこで子渼は、この機を逃すまい、と、単刀直入に本題に入ることにした。


 ひとつ息を吸って吐き、相手の顔を真っ直ぐに見詰める。


「お嬢さま、不躾ぶしつけなことをお伺いするかもしれませんこと、最初にお詫び申し上げておきます」


「はい。――どんなことかしら?」


「ほかでもない、昨日のことなのですが……お嬢さまには、ああした者に狙われる心当たりがおありでしょうか?」


「あら……陛下の御用でおいでになったのなら、わかっていらっしゃるのではないの?」


 麗華は、こと、と、小首を傾げる。


 子渼は、ふ、と、口を噤んだ。


「わたくし、来月に皇宮園林で催される探花たんかえんに、お招きいただいておりますの。そのとき、陛下に拝謁をたまわるかもしれないって、お父様は仰っておいでだったわ」


「ええっと、それは……」


「陛下もそろそろ、皇后をお迎えになるべきですものね」


 麗華がいやにきっぱりとそう続けるので、子渼は思わず息を呑む。


「もしや……林家にはすでに、そうした内示がもたらされているのでしょうか」


 踏み込み過ぎだろうかと思いつつも恐る恐る問うと、しかし麗華は、これにはゆるくかぶりを振った。


「いいえ、まだですわ。探花宴については、わたくしの他にもお声が掛かっている御令嬢はいらっしゃるようですし」


 そ、と、嘆息する姿は、どこか口惜しそうにも残念そうにも見える。そのようですねと応じるわけにもいかず、子渼は曖昧に笑っておいた。


 うまくすれば皇后、すなわち国母として立てる。皇帝の寵愛を得て男児を生めば、次代皇帝の母としても尊ばれる立場を得られるわけだ。最高の立身を前に、女性たちの間でもすでに、水面下での複雑で熾烈な争いが繰り広げられかけているのかもしれなかった。


 ということはやはり、令嬢失踪は、皇后の位に関わる――ひいては皇帝の周辺で渦巻く権力闘争に関わる――事案だということなのだろうか。


「麗華さまは……陛下にお目にかかったことがおありですか?」


 子渼はふと、そんなことを訊ねていた。麗華はちいさく頷く。


「陛下がまださきの皇帝の第一皇子殿下と呼ばれていらっしゃった頃に、一度。父に連れられて、皇后さま……いまの皇太后さまにご挨拶に伺った折に、お目にかかりました。緊張で足がもつれて、転びそうになったわたくしを、ちょうど通りがかった陛下が支えてくださったの。大丈夫か、と、お声掛けもいただいて、お見上げいたしましたが……凛々しくて、お優しそうで、素敵な御方だと拝し奉りました」


 恥ずかしげにうつむき、ほんのりと頬を染めるさまは、まるで恋する少女そのものだ。


 だが子渼は、麗華の様子を微笑ましいなと思うよりも先に、わかる、と、うなるようにして、ぐっと拳を握りしめてしまっていた。


「そうですよね! 陛下は絶対にお優しい方でいらっしゃいますよね!」


 思わず口にすると、林家令嬢は、驚いたように目をぱちくりさせた。


 その反応に、子渼ははっと口をつぐみ、恥じ入るように視線を落とす。


「あなたも陛下を近く拝し申し上げたことがおありなの?」


「いえ……御尊顔を拝見したことはありません。勿体もったいなくも、お声だけは、三年前に一度、聴く機会がございましたが」


「そうなのね」


「それでも、その際のお言葉から、陛下は民想いの優しい御方に違いないと、私は確信しております。そんな陛下にお仕えいたすのが、私の夢で……」


 うっとりとそこまで言ってから、いったい何を口走っているんだ自分は、と、子渼は我に返った。


「す、すみません!」


 慌てて詫びて黙り込むと、いいえ、と、麗華はちいさく口の端を持ち上げた。


「とてもよく、わかりますわ。どんなことをしたって、陛下にお仕え申し上げたいって、わたくしも思いますもの。――だからね、どうしても陛下のお側へ参りたいの、と、父にも度々お願いしております。それに、わたくし自身も、出来ることは何でもやろうと思っておりますし」


 自分磨き、と、麗華が言うのはそういうことだろうか。


 皇后に限らず、皇帝の妃嬪ひひんともなれば、家柄だけではなく容姿も高い教養も求められる。場合によってはまつりごとに関する素養もだ。


 皇帝の隣に立つにふさわしい女性となるための努力は惜しまない、と、きっと麗華はそう思って、実際にも、日々自らを高めようと努めているのに違いなかった。


 ほらみろやはりわかる者には陛下の良さがわかるのだ、と、子渼は拳を握りながらそう思う。自然、しまりなく顔がゆるんでしまっていた。皇帝を軽んずるような発言をしがちな明暁を思い出しつつ、どこか勝ち誇ったような気持ちにもなる。


 再び麗華を見て、子渼は、にこ、と、笑った。思わぬところで同志に出逢ったようで、とても気分が良い。自分も彼女に負けてはいられない、三年後にある次の科挙こそは必ず進士及第を目指さねば、と、努力の決意を新たにしつつ、子渼は林家を辞したのだった。


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