「
梅雨がそろそろ明けようかという七月の初週。湿気をはらんだ、まとわりつくような熱気の中登校し、どうにかこうにか教室の自席に腰を下ろした私の元へ、その声は飛んできた。
声の調子は明るい。内容の意味不明さも相まって、思わず「なにそれ?」と興味深げに尋ねてみたくなる。実際、過去の私は尋ねたことがあった。
けれど、今の私にはわかる。
過去に尋ねた結果、それを後悔するほどに先週から何度も何度も聞いている、もとい聞かされているのだから、わかるに決まっている。その先に続く、ウンザリするような愚痴と妄言の数々を。
「おはよー、
だから私は努めて素っ気なく、朝の定番な挨拶を返した。話の中身には興味ありませんよ、そんなことよりも別の話題で話そうよ、という意味を込めて。
それなのに、声の主であるクラスメイトで友達の
「おはよ~柚月~! ちょっともう、聞いてよ。陸斗ったら酷いんだよ! あたしと別れてまだ半月も経ってないのにもう新しいカノジョできてんの! ほら、四組にいるでしょ。いつもポニーテールしてて目がクリッとしてる可愛い子。二人でカフェにいるストーリーが昨日の夜に流れてきてさー、マジありえないよね。信じられなくない?」
「あーうん、そーだね。それよりも暑いから離れて」
「あ~~もう、悔しい悲しいしんどい。あたしも早く陸斗のこと忘れて新しいカレシ欲しいよ~。今度は私のことをたっくさん大切にしてくれるイケメンで優しい爽やかなカレシが! というわけでさ、柚月。今日の昼休みか放課後にでも一緒に玉手箱探しに行こうよ。マジであるらしいんだから!」
「あーはいはい。それよりも暑いから離れて」
「お願いお願いお願い!
「わかった、わかったから。一回離れて」
微妙にどころかまったく話が嚙み合ってない愛佳を無理矢理引きはがし、私はひとつ息を吐いた。
暑い。生徒玄関から教室までの道のりでようやく登校中にかいた汗が引きかけていたのに、今のうっとおしい抱擁のせいでまた私の首元にはじんわりと汗が噴き出してきている。
若干イライラはするけれど、それも友達の失恋の傷を少しでも紛らわすためと思えば少しは許せた。
一週間ほど前。愛佳は、半年くらい付き合っていた先輩から唐突に別れを告げられたらしい。なんでも、放課後にカフェで一頻り話をした後の帰り道で、「悪いけど、もう愛佳のわがままには付き合い切れない。あと気持ちが重いから無理」といきなり言われたとか。
その日の夜に泣きじゃくる愛佳から電話で聞いた時は、さすがに言い過ぎだしあんまりだと思った。私はその先輩のことをあまり知らないので細かな関係性に口出しはできないが、別れを告げるにしてももっと言い方があるだろうと。
その日以来、愛佳は朝も休み時間も昼休みも放課後も、とにかく私のところに来ては先輩の愚痴やら溜まりに溜まった鬱憤やらを吐き出していた。同情した私は、愛佳の口からとめどなく溢れる失恋話を親身になって聞いていた。……最初のうちは。
ここ数日。どこから仕入れてきたのか、愛佳の失恋話の最後にオカルトチックな話が混じるようになってきていた。
あれやこれやと元カレの先輩の愚痴を垂れ流しては、必ず終わりには決まってこう言うのだ。
玉手箱を探しに行こう、と。
……どういうこっちゃ。
「あのね、愛佳。何度も言うんだけど、そのナンタラカンタラの玉手箱って噂でしょ。学校の七不思議的なやつ。そんなのあるわけないじゃん」
「あるよ、あるの。それと、ナンタラカンタラじゃなくて、縁切り結びの玉手箱、ね」
「あーそうそうそれそれ。そんな感じのやつー」
私はコクコクコクと頷いてみせる。
全く興味はないので、名前すらも忘れていた。もちろん、肝心の噂の中見もほとんど覚えていない。私の適当な返しに、愛佳は頬を膨らます。
「ちょっとー、柚月は信じてないようだけど、あたしの友達の友達で実際にいるんだよ。縁切り結びの玉手箱のおかげで、前のカレシのことをきれいさっぱり忘れて、その後にひとつ年上のカッコよくて優しい先輩に告白されて付き合うっていう良縁で結ばれた子が!」
「ふうん」
「もう、なんでそう柚月はドライなの」
「だって、信じられるわけないし」
私が本日二枚目の汗拭きシートを取り出すと同時に、愛佳は前の席に腰を下ろして私を真っ直ぐ見据えた。
「これはもう一度話すしかないね。縁切り結びの玉手箱にまつわる切なくて悲しい恋の物語を」
「いや、いい。興味ないし」
すぐさま首を振り、私は明確に示した拒否の言葉を口にした。にもかかわらず、すっかりマイワールドに入り込んだ愛佳はそれを肯定と受け取ったらしく、「それでは」と畏まって口を開いた。
ちょっと待て、なぜそうなる。
続けて私が口にしかけたツッコみに被せるようにして、愛佳は朗々と語り始めた。