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第15話 潜入準備

パラサイトくんが窓枠に乗ったまま、霧原に呼びかける。机の上にくの字に投げ出された霧原の爪と鱗と緑色の右手がぴくっと動き、指先を上にむけて軽く手を振ってみせる。起きているという合図だ。


『……あれ、まだ右側だけ元に戻ってなくない?』


パラサイトくんが窓から飛びおりてパン屑だらけの皿の上にすとんと着地し、霧原のそばに駆けよる。朝日があたったネクタイを巻いた左はもう人の肌に戻っているが、右はまだだ。


『……寝ている間、顔の下に敷いていたからな、おそらく解除が遅れているんだろう』


霧原はそう言ってワーキングチェアから立ち上がり、窓に右手全体をかざす。日光が指先にあたると一瞬にして鱗が剥がれるように、霧原の元の不健康な色をした皮膚が現れる。


「……さて、そこの皿とフォークとマグカップを片付けるか」


霧原は両側ともきちんと人の肌に戻っているか左手首に巻いたネクタイをずらし、傷口の血が赤くなっているかを確認してうなずく。それからパラサイトくんのそばに置かれたままの皿を指さす。


『うん。おいらも手伝うよ、左手が不自由そうだし』

「……ああ、それは助かる。傷はもう塞がっているが動かすとまだ痛いからな……あとから軟膏でも塗っておくか」


霧原は動かした左手首にやはり痛みを感じ、反射的に手をだらんと脇にたらした。パラサイトくんはそんな霧原を机の上から見ながら皿を重ね、上にフォークを乗せて彼に洗える場所を聞いてくる。


「それならそこのドアを出て、下の1階にある食堂まで行かないとだめだ」

『……えー。じゃあアカリとヨーコが起きるまで待つ?』

「それもいいが……他に今日の予定が入らないうちにすませておこう」


霧原はそう言うとフォークを乗せた皿を頭に乗せたパラサイトくんを右手に乗るようにジェスチャーで指示する。


『ねえキリハラ、マグカップはどうする?』

「片方の緑色のは私のだから、そこに置いたままでいい」


霧原は話しながら机の上の黒色のマグカップを左手に取り、すぽっと右手に乗ったパラサイトくんをその中に入れた。


『うわ⁈ キリハラいきなり何するの、ああ、お皿が……割れちゃう‼︎』


パラサイトくんは頭の上に乗せた皿とフォークがバランスを崩すのをなんとか小さな両手で阻止し、マグカップから少し伸び上がって霧原に文句がいいたそうな顔を向ける。


「……たしかに今のは悪かった。頼むからそんな顔で見るな」


霧原はパラサイトくんから目をそらす。


『もう……。お皿が割れなかったからよかったけど、今みたいなことをするんだったら少しは言葉にしてよ。本当にキリハラって面倒くさがりだよね〜』

「そうかね?」

『うん。そう思う』


午前6時30分を少し過ぎたころ。1階のまだ誰もいない食堂の洗い場で、昨夜使った皿とフォークを洗い終わった霧原とパラサイトくんは研究室に戻ってきていた。


もちろん皿とフォークは持ち帰り、パソコンのそばに食堂から失敬してきた真っ白な布巾をかけて置いてある。


(……ん、メールか?)


開いたパソコンの画面端に通知欄を見つけた霧原は、右手でマウスを動かしてクリックする。メールの送り主は再びPマートの片瀬圭からだった。


[霧原さん、おはようございます。あなたが探していた白いマントで髪の長い男の情報がいくつか得られたのでお知らせします。


①本名は白峰麻白しらみねましろ。白峰製薬の社長にあたる人物(男が白髪を七三分けにし、白いスーツとネクタイを身につけた画像が添付されている)


②白峰製薬は表では一般家庭向けの薬品を開発や提供、裏では開発した薬品を使って《非合法な人体実験》をしているという噂がある


③この白峰製薬が裏で行なっている非合法な人体実験が《人間をパラサイト化する》薬品の効果を試すためのものという噂もある


④以上のことから、彼はとても怪しい人物だと自分は判断します。ちなみにこの情報は僕のオカルト掲示板で親しくなったハッキングが得意なパラサイトの友人から提供してもらいました。よかったら霧原さんの意見を聞かせてください。]


そこに記されていたのは、白峰製薬の内部情報だった。そのパラサイトの友人がハッキング行為が発覚して警察に捕まらないかが逆に心配になるが、霧原が今知りたいことは全てあった。


「…………こいつが」


画像の白髪の男を見る霧原の眉根に深い皺がより、表情が怒りで急速に歪んでいく。


(やっと、見つけた……)


まだベッドで眠っている朱莉を起こすまいと思い、霧原は内側から溢れて収まりきらない怒りを吐き出すために急いでドアを開け、廊下から1番近くのトイレに駆けこむと、手洗い場の鏡の前で顔を両手で覆って上を向き咆哮する。


「––––––––殺してやる、絶対に」


鏡に映った霧原の目はひどく充血し、歯を思いきり食いしばった口からは涎がたれていた。その時、誰かが外から近づいてくるような気配がしたので霧原は口元の涎を白衣の袖でぬぐい、急いで個室に隠れる。


(……誰だ)


『キリハラ?』


心配そうなパラサイトくんの声がした。霧原は安心し、個室のドアをゆっくりと右手で押し開ける。


「……なんだお前か。どうした?」

『さっき出て行ってからなかなか戻ってこないから、心配になっただけ。あ、そうだPマートからパイが届いていたよ』


霧原の足元にパラサイトくんがとことこと歩みよってくる。


「ああ、そうか。君が受け取ったのか?」

『うん、アサギさんって人が持ってきてくれたよ。キリハラの机の上に置いといたから、今から食べない?』


パラサイトくんはそう言ってにこっと笑う。霧原は長い髪を右手でかき上げながら、床にしゃがみこみパラサイトくんに手のひらに乗るようにうながす。


「……ああ、そういえば朝食がまだだったな。そろそろ黒河くんを起こそうか」


午前7時30分ごろ。研究室にパラサイトくんと一緒に戻った霧原は、部屋の隅に置かれたベッドから伸びをして起きてきた朱莉とともにPマートから届いたパイ(どれもカップケーキかマフィンくらいのサイズでスイーツ系と惣菜系に分かれていた)を先ほどの洗いたてのフォークと皿で頬張っていた。


「ん、これすごく美味しい。中の肉が脂っこくなくていくらでも食べられそう」


朱莉は自分の皿に乗せたパイをもぐもぐと、次々に平らげてゆく。


「……よかったら、私の分も食べるかね?」


霧原が朱莉の目の前に自分の皿を差し出す。


「えっいいの?」

「ああ、もちろん。私はあまり……甘いパイは好きじゃないんでね」


霧原の差し出した皿の上のミニパイには、くし切りにした林檎が小さな円を描いて散らばっている。朱莉はそう聞いたそばから自分の皿へ移し、あっという間に頬張る。


「うーん、これも林檎の煮詰め方が絶妙!酸味があるけど甘すぎないし、美味しい〜」


霧原の皿の林檎のミニパイを食べ終わった朱莉は幸せそうな表情になる。Pマートのロゴが印刷された緑色の箱の中に入っているパイは残り3個になっていた。


「……黒河くん。そろそろそこらでストップしないか?」


霧原が次のパイをフォークで刺そうとした朱莉の手を、右手でそっと押さえる。


「え、なんでですか?」

「一応、柴崎くんの分もないと不公平だろう」

「あ……すみません。そうでしたよね、ごめんなさい…私ったらつい」


朱莉は急にしゅんとし、霧原に謝る。


『じゃあヨーコもそろそろ起こしに行く?』


パラサイトくんが霧原の左肩に乗り、緑色の箱の蓋を閉める動作を目で追いながらそう言う。


「あ、じゃあ私が起こしに行ってきます」


朱莉がすっと天井に向かって手をあげ、研究室の外に出ようとする。


「なら、この箱をついでに持って行って柴崎くんに渡してきてくれ」


朱莉は霧原から今閉じたばかりのパイが入った箱をぽん、と投げ渡されたので慌てて受け取る。


「……じゃあ行ってきます」



朱莉は受け取った箱を両手で抱え、研究室からひと通路隣にある「柴崎」と書かれたプレートのついた部屋のドアをコンコン、と何回かノックする。中から反応はない。


「……羊子さん、起きてますか?開けますよ」


朱莉がそう言い、ドアノブに片手をかけてゆっくりと引き開ける。中に入ると、羊子はまだベッドの中でそら豆色の毛布に顔を埋めていた。


「起きてください羊子さん、もう朝ですよ」


朱莉は羊子の部屋の机の上へパイの入った箱を置くと、ベッドに歩みよって声をかける。それを数回繰り返すと、やっと羊子がもぞもぞと毛布にくるまったまま身動きし始めた。


「…………んん、もう少しだけ寝かせて……せめてあと、5分……」


羊子は朱莉にそう言いながら、再び眠りにおちていこうとする。


「羊子さん?ちょっと、二度寝しないでくださいよ。朝ごはん、まだ食べてませんよね……⁉︎ さっき届いたパイがあるんですけど、どうですか」


朱莉は二度寝をしようとする羊子を引き止めようと、とっさにパイの入った箱の蓋を羊子の目の前で開ける。


「……なんかすごく、いい匂いがする……」


羊子が箱の中のパイの匂いにつられ、鼻をくんくんさせながらそら豆色の毛布からのそりと這い出してくる。


「あ……おはよ……黒河さん。それ、どしたの?」


まだ眠そうな表情の羊子が朱莉が手にした箱の中身を指さす。


「おはようございます、羊子さん。あ、これは今朝Pマートから霧原さんの研究室宛てに送られてきたパイの詰め合わせです……と言っても、私と霧原さんでだいぶ食べちゃったのでもう3つしかないんですけどね」


自分がその「だいぶ」の分のパイを平らげてしまったという事実を羊子に悟られたくなくて朱莉は早口でまくしたてる。羊子はとろん、とした目でその話を聞きながら箱の中のパイを1つ手掴みで口に入れる。


「ん……あ、ほんとだ。すごく美味しい……」


羊子はもぐもぐとパイを食べながら、うっとりとした表情になる。今の中身は茄子とキノコを炒めたものに挽肉が和えてある。


「そういえば……どうして私のところにこれを持ってきたの?」

「霧原さんが、羊子さんの朝ごはんがまだだろうからって言ってました」

「……そっか。じゃあ後から霧原さんにお礼言わないとね」


羊子は少しずつ覚めてきた頭で考える。そういえば昨日の夜は……何をしていたっけ。とりあえず思い出してみよう。


(たしか、夕方に黒河さんの家からご両親が行方不明だから探してって電話がかかってきて……。私と霧原さんが駆けつけて、そうしたら黒河さんが急にパラサイト化して。あとは……そうだ。ご両親はパラサイトになった黒河さんがとっくに殺した後で、私は霧原さんと証拠隠滅のために冷蔵庫に詰められた肉を全部クーラーボックスに詰め直して、たしかPマートって場所まで持って行くのを手伝ったんだ……。それから支部に帰ってきて、自分の部屋に戻って寝た……のよね?)


羊子がそこまで思い出したところでふと違和感を感じた。何かが欠けているような気がする。


「羊子さん?どうしました、難しい顔して」


朱莉が心配して声をかけてくる。


「……ううん、なんでもない。きっと昨日の疲れがたまっただけだから、大丈夫。さ、霧原さんの研究室に行きましょ」



午前8時ごろ。霧原の研究室に羊子が顔を出すと、霧原とパラサイトくんがパソコンの画面に向かっていた。


「……霧原さん、おはようございます。あの、パイありがとうございました。とても美味しかったです」

「……そうか。それはよかった、また今度Pマートの店長に差し入れを頼んでおくよ」


霧原は一瞬だけパソコンの画面から顔を上げて羊子のほうを見たが、すぐに向き直ってしまう。


「……あの〜、今何を調べているんですか?」

「……白峰製薬のホームページだよ。ほら、テレビのCMなんかで見たことあるだろう。白を基調に目のマークと十三って漢数字がシンボルになっているやつだよ」

「ああ。あれですか、なんか犬のマスコットキャラクターが出てくるCMの」


霧原に言われて、羊子の頭の中に毎日どこかで目にしている白峰製薬の白い犬のマスコットキャラクターとコマーシャルソングが浮かんでくる。


「そう。その白峰製薬だ。どうもここが裏で開発した薬品を使って非合法な人体実験を行なっている上に、その非合法な人体実験が人間をパラサイト化する薬品の効果を試すためのもの……かもしれないという情報があってね。これが本当なのか突き止めたいんだが……」

「えっ、ちょ、ちょっと待ってください霧原さん。その情報どこから仕入れたんですか⁉︎ 明らかにそれ、内部の人しか知らないことですよね。もしかしてハッキングとかやったんじゃ……‼︎」


羊子が慌ててそう言うと、霧原はワーキングチェアごとくるりと半回転し「……そんな訳ないだろう」と吐き捨て、いつもの呆れた表情でため息をつく。


「……まあとりあえず、人の話は最後まで聞くものだ。君か黒河くんに白峰製薬の社長に会って、この情報が本当なのか確かめてきてほしい。頼めるかね?」

「……そんな急に話をふられても困ります。ねえ、黒河さん」


羊子は隣にいる朱莉に困った表情で助けを求める。


「えっと……。ええ、そうです。だいたいアポイントメントなしで突然会いにいっても、私たちじゃ無理だと思いますよ。なにか対策でも立てないと……」


朱莉がそう言うと、霧原はうなずき顎を右手の人差し指と親指で包みこむように触れる。


「……ふむ、もっともな意見だな」

「そういう霧原さんは、何か策があるんですか?」


朱莉が問いつめる。霧原は顎に右手を添えたままだ。


「いや……それはまだ考えていない。だから君と柴崎くんに意見を聞こうかと思ってね。どんなことでもいいから言ってみてくれ」


霧原は2人に目線を向ける。


「うーん……そう言われるとなんか発言し辛いです。さっきの霧原さんの言うことだと、白峰製薬の社長に会った上でその2つの裏情報が真実か確かめればいいんですね?」


霧原がうなずく。


「……そうだ。そのためにはさっき黒河くんが言ったように、事前に電話での面会予約は必要だろう。あと潜入調査か」

「潜入調査って……。霧原さんなんか簡単に言ってません?仮に……もしやるとしたら、パラサイト課の支部長とか本部からの許可っていらないんですか?」


羊子の顔は不安そうだ。


「……それなら、私から支部長に直接連絡しておく。それでいいだろう」

「……え、霧原さんうちの支部長と知り合いなんですか?」


羊子が目を丸くし、霧原を見つめる。


「ああ……。だいぶ前から知り合いだし、研究にも協力してもらっている。これ、まだ言ってなかったかね?」

「いいえ……それは初耳です」


羊子は顔の前に垂れてきていた髪の左側を手でうっとおしそうにかき上げる霧原に向かって、きっぱりと言う。


「……じゃあ決まりだな。黒河くんも、それでいいかね?何か他に案があれば、言ってくれて構わないが」


霧原は朱莉のほうを見る。


「いえ……。私も今霧原さんが言ったこと以外のことが思いつけないので同意です。面会の予約はいつにするんですか?」

「……面会予約日は5月1日。時間は指定しない、その日がダメなら後は柴崎くんに任せる」

「わかりました。では今日中に白峰製薬に電話してみますね。あ……そういえばパラサイト課だって知られないほうがいいですよね」

「……そうだな。相手は裏でパラサイトに関することを行なっているから、おそらくいい顔はされないだろうな」


じゃあどうすれば、という羊子に朱莉が提案する。


「あの〜……雑誌とか新聞社の記者を装うっていうのはどうですか?それなら、取材だって言えば製薬会社の内部だって見学できますよね?」


そこで「ナイスだ黒河くん‼︎」と霧原が叫んだので、羊子は面食らった。


「それなら両方とも目的を達成できるかもしれない。いい、実にいいアイデアだ……!」


霧原が嬉々とした表情でうなずく。


「了解です。じゃあ、それでいきましょう」

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