官庁街から少し離れた大きな公園の近くにそびえるビルが国家技術保全庁だ。国防省の外局で、国益を損ねる技術漏洩を防止する目的で設立された。
午前9時30分、保全庁ビルの16階にある技術監督局では、局長の佐野憲一が局長室で星野からの衛星通信を受けていた。PCのモニターに映る星野には、アクパーラ号で見せる不遜さのかけらも見えず、緊張した面持ちで報告を続けている。
星野からの説明を一通り聞き終えた佐野は、静かに頷きながら口を開いた。
「そうですか……ご苦労様です。さて、困りましたね。実は先ほどから職員が苦情の対応に追れていましてね。どうもこの件でいろいろと騒ぎになっているようで、仕事にならないのですよ……」
「も、申し訳ありません!」星野が頭を下げ、額の汗をハンカチで拭った。
「まあ、まだ対応可能な段階で私に報告してきたことは評価しましょう。ですが……カーラとクレードル、ですか。それだけの存在となると、こちらとしても無視はできませんね。君も知っていますよね、3年前の遺物のデータでも、どれだけの技術的な応用ができたかを。」
「はい、それもあり、私も慎重に動き、カーラと野間一樹を押さえました。」
「とはいえ、星野君……」
佐野は微笑んだが、その目は冷徹で星野を射抜いている。
「ここまで事態が大きくなると、正直なところ、君一人で対応するのは難しいでしょう。」
「い、いえ、そんなことはありません!ですが、カーラの存在がここまで公になってしまうと、確かに慎重に動かざるを得ない状況です。それで、今回の報告を……」星野は慌てた様子で言い募る。
佐野は静かにモニター越しの星野を見つめ、冷たく微笑んだ。
「星野君、カーラがどれほどの脅威になるか、君は本当に理解しているのか?」
「も、もちろんです。だからこそ慎重に……」
「ならば、簡単なことですよ。」
佐野はわずかに口角を上げた。「カーラを“災厄”として認定すればいい。」
「神話の天使に破滅をもたらされた国が、再び天使を迎え入れるなど、馬鹿げていると思いませんか?」
「国防のためならば、どんな手段も正当化されるのです。」
星野は息を呑んだ。
佐野の笑みは、最初から「答えは決まっている」と言わんばかりのものだった。
「我々の使命は国民の安全を守ること。そのために危険な存在を監視し、管理する――至極当然の流れです。」佐野の言葉は穏やかだったが、その響きには一切の妥協がなかった
「極端な話をすれば、調査団そのものがカーラと同じく管理対象になることも……可能性のひとつとしては考えられますね。」佐野は柔らかく微笑みながら、意図的に言葉を濁した。
佐野の冷たい視線を受け、星野は無意識に喉を鳴らした。局長の言葉には従わざるを得ないと分かっていながらも、どこかに「このままで良いのか」という薄い疑念が浮かんでくる。だが、それを口にする勇気は到底持ち合わせていなかった。
「よろしい、この先は私の方で動きます。星野君は疲れたでしょう、入港まで休んでいなさい。」
「え!あ、いやそれは!……」星野が何か言い返そうと口を開いた瞬間、佐野は冷ややかに一瞥し、手元のボタンを押した。画面が暗転し、通信は一方的に途切れた。
「彼は使えるが……使い捨てだ。」
佐野は低く呟き、デスクの電話をとると工作担当を呼びだした。
夕闇も迫った頃、アクパーラ号の食堂は船員や調査団の職員で賑わっていた。田宮がひとりで夕食を取っていると、隣に有田が座り「これ見たっすか!」と言ってスマホを差し出した。画面には、人気ワイチューバーのひのしげの語る動画が映っていた。
『……まず、調査団のカーラが破滅の天使だとしたら、どれだけ危険かって話がありますよね。例えば、街中に何が起こるか分からない爆弾を持ち歩いてる人がいたら、みんな怖いと思いません?これと同じことを調査団がやってるわけで、正直、管理してる側が全然信用できないんですよね。で、じゃあ調査団のリーダーはどうなの?って言うと、画像一枚出しただけで、彼らが国にちゃんと報告してるのかも怪しい。これって、どうなんですかね?僕はちょっと無理ですけどね。こういう問題って、ちゃんと議論されるべきだと思うんですよ……』
田宮は眉をひそめ、画面を見つめた。動画はひのしげの主張で終わらず、次々と関連動画のサムネイルが表示された。『調査団を信じるな!国民を危険に晒す行為の全貌』『調査団の失態?地球を脅かす機械生命体』――どれもセンセーショナルなタイトルが並び、調査団への批判を煽るものばかりだ。
「この人、面白い解説で好きだったんすけど、こんな根も葉もない動画を上げるなんて見損なったっす!」
「良かったな、いい勉強になっただろう……」
田宮は皮肉を込めた口調で返したが、その表情には疲れが滲んでいた。
「おや!2人でごはん?私も入ろうっと!」木村が来て有田の隣に座る。
生姜焼きを食べながら「深刻そうだけど、2人ともなんの話をしてたの?」と聞いた。
「これっすよ」と有田は木村にもスマホを見せる。木村はもぐもぐご飯を食べながら動画をしばらく見ていた。
「なにこれ!」木村は動画を見て、怒り混じりの声を上げた。
「ひのしげって、人気なのにどうしてこんな根拠もないこと言うの?」食べながら喋ったのでご飯つぶが飛んだ。
「噴飯ものってこのことを言うんっすね!」有田が軽口を叩く。
木村が振り返り、有田を睨んだ。「違うぞ!そもそも『噴飯』って笑うことだからね、使い方間違ってまーす!」
「えっ……そうなんっすか?」有田は驚いた顔をしたが、田宮は溜め息をついた。
「まぁ、会話のネタにはなっただろうが、これはただの娯楽じゃない。裏で誰かがこの動画を仕組んでいる可能性もある。」
木村はスマホの画面を再度確認しながら、冷静な口調で言った。
「でも、おかしいんだよね、これ。投稿された時間がみんなほぼ同じで……普通、こんなにタイミングが揃うかな?」
「ここもおかしいっすよ!」有田が憤った。
「このひのしげの動画、投稿されたばかりなのに、もう再生回数が50万回突破してるっすよ!」
田宮は画面を見つめながら、冷静に言った。
「つまり、どこかで『拡散工作』が行われているということだ。」
「拡散工作?」有田が眉をひそめる。
田宮はスマホを見せた。
「この動画、関連動画として『破滅の天使の正体』とか『調査団の隠蔽』ってタイトルの動画が自動再生されるようになっている。」
「アルゴリズム操作……」木村がつぶやいた。
「これクロだね。完全仕組まれてるよ!」
田宮は確信した。保全庁は、ただ情報を隠すのではなく、積極的に『カーラは危険』というプロパガンダを流し始めている。
「……あいつらか。」田宮が低く呟き、立ち上がった。
「ちょっとすまん。」そういうと急いで食堂から出て行った。木村と有田は互いに顔を見合わせた。
その時、ピロン!と木村のスマホが鳴った、木村がスマホを見てテーブルに突っ伏すと「またきたわあ!」とうんざりした顔をした。
「どうしたんすか?」
「最近ね、しつこく粘着してくるアカウントがいてさ」
「ああ、シフッターすか。」
「猫だましってアカウントなんだけどさ、ずうううううぅぅぅっと粘着してきてんのよ!見てこれ!」
見ると『お前は破滅の天使を庇うのか!その行動がどれだけ国を危険に晒しているのか理解してるのか?』や『技術者のくせに事実を無視してるな!それとも、破滅の天使に操られてるのか?あんたも既に危険な存在だ!』など、連続投稿の嵐だった。
「あー、こりゃまた変な人に付き纏われたっすねえ。」
「最初は話し合おうと思ってレスもつけていたんだけど、ダメなんよ。話し合いにならん。」
「カーラ関係は今、渦中の真っ只中っすからねえ」
「渦中と真っ只中は物事の中心って意味で、表現がかぶってるから、使い方間違ってまーす!」
「うへえ」
田宮は自室に戻ると科学技術省の三国恭子に連絡を取った「三国君、田宮だ。ワイチューブの動画を見たか?どうも、何かの手が入っているようだ、保全庁の連中が裏で働いているかもしれないな。調べてもらえるか?うん。頼む。」そういうとスマホを切った。
「保全庁め。火消し工作で来るかと思っていたが、こちらに火をつけにくるとはな。」
田宮のスマホが振動し、画面に村瀬の名前が表示された。応答ボタンを押すと、低く落ち着いた村瀬の声が響く。
「田宮さん、ちょっと話がある。時間、大丈夫か?」
「どうした?何かあったのか?」
村瀬は少し間を置き、静かに言葉を続けた。
「……俺の知り合いがさ、妙な仕事を受けていてな。その内容が、どうやらお前たちの調査団を叩く動画の制作なんだ。」
田宮は息を呑んだ。「それは確かか?」
「ああ。そいつは学生時代からの後輩で、正直、口は軽いが悪いやつじゃない。連絡を取って、話を聞いてみようと思う。」
「だが危険だ。そんな裏工作を依頼する連中が、簡単に情報を漏らすと思うか?」
村瀬はふっと笑った。
「田宮さん、あんたに命を救われた時、俺はあんたに借りができたと思ってる。その借りを返すだけだ。心配するな。」
田宮は短い沈黙の後、低い声で答えた。
「……すまない、とにかく今は情報がほしい。頼む。」
「気にするな。それじゃ、後で連絡する。」
田宮はスマホを切って、船長の小峰に今の状態を話した方が良いなと思い部屋を出たら危うく人とぶつかりそうになった。
「……小林か。」
小林敏英は癖毛の長髪を指でいじりながら、まっすぐ田宮を見た。
「聞きたいことがあるのですが……」
「どうした?」
小林は腕を組み、「私は物理学者です。科学的に検証できるもの以外は、信じません。」と前置きした。
「それで?」田宮は眉をひそめた。
「カーラの正体が不明すぎるんです。彼女が本当に古代文明の遺物なのか、あるいは我々の理解を超えた“何か”なのか。」
「何が言いたい?」
小林は小さくため息をついた。
「少なくとも、我々の手に負えるものではないのでは?」
田宮は思った。――ついに船の中でも「カーラを信じる派」と「疑う派」が生まれ始めた。