――エルフ。
というファンタジーな種族について、普通の人はどんなイメージを抱いているのだろう?
美しい容姿?
人を遥かに超える寿命?
あるいは長い耳とか、弓の腕とか、自然を愛するとか……そんなところだと思う。
しかし、私の場合はちょっと違っていた。
いや、違うというか何というか――そんな夢は見られないのだ。
私にとってのエルフとは一言で言えば『残念』となる。なってしまった。
そう、私と関わりのある、残念な二人のエルフのせいで……。
「……朝7時ー、っと」
自室の時計を見ながら私はため息をついた。
お隣に住むエルフお姉さん、アルーは社会人なのでそろそろ出勤の準備をしなきゃいけない時間。だというのにお弁当を持ちに来ないのだから、たぶんまだ寝ているのだろうね。
お休み明けの月曜日はいつもこれだ。
「仕方ない。起こしに行きますかー」
やれやれとため息をついてからアルー用のお弁当を持ち、玄関を出る。
両親が遺してくれた築30年ほどのボロアパート。私はその一室を管理人室として使っていた。
まぁ、部屋の数は少ないし、掃除を含めた雑用はアルーたちの『精霊さん』がやってくれるので管理人らしい仕事なんてほとんどないのだけどね。
玄関を出て、左隣。それが異世界出身のエルフ・アルーの部屋となる。
この中でまだ眠っているだろうアルーは文句なしの美人さんだ。……黙ってさえいれば、だけど。
外見としては20歳くらいの知的美人。
まず何より顔がいい。西洋人っぽいホリの深い顔はもう芸術家が作った彫像じゃないのかってレベルで整っているし、腰まで伸ばされた金髪は室内にあっても日の光を浴びたようにキラキラと輝いている。
シミ一つない肌は寒い日に降った初雪のような白さだし、背が高くてスタイルもいい。まさしくイメージ通りの『エルフ』であり、ほんと、文句なしの美人さんなのだ。
沈黙を保てば。
外面だけ見れば。
私生活を垣間見なければ。
「はぁあぁあああ……」
ため息をついてからアルーの部屋の呼び鈴を鳴らす。……返事はなし。
いや、扉の向こうから「いあー」とか「うひーん」という感じの鳴き声は聞こえるけれど、知的生命体の発するべき返事ではないので無視。私は
室内は『むわっ』としていた。
なんというか、湿度が高いのだ。きっとまた何日も空気の入れ換えをしていないか、お風呂のフタをせず浴室の扉を開けっ放しにしたのか、あるいはその両方か……。
まったく。休み明けはいつもこれだ。
「空気の入れ換えは! 毎日! しろ!」
もはや勝手知ったる他人の家。私は遠慮することなくアルーの部屋に上がり、衣服や本などが散乱した部屋をズカズカと進み――カーテンと窓を開け放った。
「みゃあああぁああっ! まぶしいぃいいいいいーっ!」
まるで朝日を浴びた吸血鬼のような悲鳴を上げたのは、むしろ自然光を好んでいそうなエルフ。国家保安省『
西洋人っぽいホリの深い顔はだらしなく緩みまくり。腰まで伸びた金髪は手入れもされずそこら中に投げ出され絡まっている。そんな惨劇の中で、碌な手入れもしていないはずの肌の調子が絶好調に見えるのはやはりエルフという種族特性のおかげだろうか。
「アルー。仕事の時間だよ。さっさと起きて準備して」
「うぅう゛、いぎだく゛な゛い゛ー……」
「月曜日はいつもこれだ。行かなきゃお金稼げないでしょう?」
「いやー、働きたくないけど、お金は欲しいー……。優菜ー、養ってー、結婚してー」
「女同士でしょうが。まったく、こんな心ときめかない求婚は初めてだわ。……あ、いや、けっこう経験あるか」
具体的に言えばもう一人のダメエルフから。心ときめく求婚からダメダメな求婚まで幅広く。
「――その話、ちょっと詳しく」
急に『キリッ』とした顔で立ち上がるアルーだった。
「ちょっと誰よ私の優菜にちょっかいを出すのは!? いや考るまでもないわね! ミワ! ミワの仕業でしょう! ちょっと討伐してくる――あ痛ぁ!?」
アホなことを言い出したアルーの後ろ髪を容赦なく引っ張る私。
「はいはい。バカなこと言ってないで早く準備する。ほんとに間に合わなくなるよ?」
「バカじゃないわよ! これは優菜を賭けた聖戦! あの大魔王と決着を付けなきゃいけないのよ!」
「勝手に人を賭けるな、ダメエルフ」
「ダメエルフ!?」
愕然とするダメエルフの眼前に、私が作ったばかりのお弁当を差し出す。
「仕事行かないのなら、このお弁当もいらないね?」
「え゛!?」
「あーあ、せっかくアルーのために、早起きして作ったのになぁ」
ゆーらゆーらと。
お弁当箱を左右に揺らすと、アルーの目もそれを追って左右に動いていた。なんか犬に『待て』をしている気分だね。
「う、う、うぅぅ……。行きます。準備します」
トボトボと洗面所へと向かうアルーだった。
なんか何度も似たようなやり取りをしているんだけど、エルフって学習能力がないのだろうか?
◇
「――パーフェクト☆キャリアウーマン!」
顔を洗い、スーツに着替えたアルーが謎のポーズを決めた。ちなみに翻訳の魔法のおかげで日本語も英語もペラペラだ。
「わー、すごーい、かっこいいー」
棒読みで拍手をする私だった。だってこうしないと後々面倒くさいし。
まぁ面倒くさい中身はとにかく、見た目は本当にパーフェクトなキャリアウーマンだった。
まず何より顔がいい。ちゃんと髪を整え、(まるで意味のない)ダテ眼鏡を掛けると
特に顔。日々のお手入れや化粧なんてしていないのにパーフェクトな状態をキープ。肌はスベスベだし睫毛も長い。これがエルフの力か……。
体格もスレンダーなのでビジネススーツがよく似合っている。これがもしもう一人のダメエルフ・ミワだったら脅威の胸囲でスーツが型崩れしちゃうから逆に似合わないんだよね。それに比べてアルーは『すとーん』としているので似合う似合う――
「――今、あの女のこと考えなかった? 比べなかった?」
ズイッと身を乗り出し、ハイライトのない目で私を見つめてくるアルーだった。その鋭さで普段の私の呆れやら諦観も読み取って欲しいものだ。
「はいはい。準備ができたならさっさと出発する。ほんとに遅刻するよ?」
「くっ、今月これ以上遅刻するのはマズいわね……。私と優菜の幸せ未来計画のためにはお金を貯めないと……。森の中の一軒家を買って、電気もなく電波も届かない場所でのスローライフを……。日々必要なものだけを採って食う生活……」
「いやぁ、私、都会っ子だからその環境は無理かなー」
何年かそんな感じの生活をさせられたことがあるけど……うん、無理無理。二度と経験したくないでござる。
「そんな!?」
絶望の表情を浮かべるアルーの背中を押し、ドアの外へと押し出す。
「はいはい、幸せ未来計画とやらは再検討してくださいねー。仕事から帰ってきてからねー」
「くっ、仕方ないわね。この薄汚いコンクリートジャングルでのスローライフで手を打ちましょう……」
「薄汚いって」
まぁエルフ的には当然の感想なのだろうか? 現代社会に完全適応したミワがおかしいだけで。
「――じゃあ、行ってくるわ」
キリッとした顔で。片手を上げながらクールに出勤するアルーだった。彼女、人の目がありそうな場所では無駄に格好付けるんだよね。本性はあんなにダメダメなのに。
と。
慌てた様子で踵を返したアルーが、泣きそうな顔をしながらこっちに戻ってきた。
「お弁当! 忘れた!
「……格好付かない人だなぁ」
アルーにお弁当を手渡しながら、深々とため息をつく私だった。