怪談師、レムリア魔無の実話怪談の世界へようこそ...
東南アジアの小国ラオスの首都、ビエンチャンに住むワットさんは、休日の朝ベッドの上で右膝に違和感を覚えた。
起き掛けに布団の中で身を捩ろうとすると右膝が重い気がする。痛みはなくいつも通り曲げることもできるのだが、何となく…重い。
日ごろの疲れが足に出たのだろう、とワットさんはそれ以上気にも留めずに近くの市場にその日の調理に使う食材を買いに出かけた。
ラオスでは今でも昔ながらの市場があり、人々が持ち寄った野菜や肉、魚などの食材から日用品までが売られている。売り手も買い手もお互い顔なじみであることが多く、ワットさんも例外ではない。いつものように世間話をしながら、鶏肉やパクチー、ナンプラー等を買い込んでいく。
その間も右膝の違和感は続いていたのだが、特に支障がないためそのまま買い物を続け、その日は帰宅後もいつも通りの日常を送っていた。それなりに広い一軒家の中、独りで自炊をして食事を済ませる。そして月曜の朝からは仕事に行き、帰りに市場に寄って食材を買って帰る毎日。そんな生活がもうニ年も続いていた。ワットさんは二年前に当時の妻と離婚をしていたのだ。
離婚は辛かったがワットさんは今の孤独な生活に慣れてきていた。今いつもの生活と違うことといえば、右膝の違和感ぐらい。それも彼にとってはあまり気にならないことであった。
しかし数日後、右膝の違和感はより実感を伴い始めていた。明らかに左膝よりも重く感じられ、曲げる際も意識して力を入れないと曲げにくい。まるで何者かに押さえつけられているようだ。
そして歩く度に、
ズキーン…ズキーン
と鈍い痛みが押し寄せてくる…
流石にマズいと思ったワットさんは、軟膏を塗ってみたり、薬草で蒸すサウナに入ってみたりしたのだが、一向に良くならない。それどころか日に日に痛みは強く鋭くなってゆく。
そして常に痛みが彼の右膝を襲うようになった。
違和感を感じてから一週間も経たないうちに、ワットさんは激しい痛みのためにびっこを引きながらでしか歩けなくなっていた。
それでも生活のためワットさんは仕事を続けていた。仕事仲間からは病院へ行くことを勧められ、彼は仕事の合間に診察を受けた。
診察の結果は異常なし。
…精神的なものかもしれません
と医者は告げ、痛み止めの薬を処方されたのだが、薬はまったく効かなかった。しかし、医者が精神的なものと思うのも無理はなく、ワットさんの右膝は見た目はまったく異常がなく、レントゲン検査でも異常は見つからなかった。
ワットさんは診察を受けたことで、かえって不安になった。そしてその日から仕事を休むことにした。しかし、1人で家にいても痛みは容赦なく、四六時中彼を襲ってくる。気が狂いそうになりながら痛みに耐えるだけの夜を過ごす。疲労困憊し、明け方一瞬だけ眠りに落ちるのだが、目覚めても痛みは去っていなかった。そんな状態が数日間続いた。
食料もなくなり、ワットさんは生きるために痛みをこらえつつ市場へと向かった。
痛々しい姿で食材を買うワットさんを、市場の人々が憐れみと好奇の目で見つめている。
するとワットさんの後方から、
「あんた、ずいぶん痛そうだね」
と何者かが声をかけてきた。振り返るとそこには初老の男性が胡坐をかいてワットさんを見つめていた。
痛みと不安、疲労で苛立っていたワットさんは、その初老の男性を迷惑そうに一瞥するとそのまま去ろうとした。すると男性は、
「あんた、それ呪いだよ」
とワットさんに告げた。
男性の言葉に一瞬痛みを忘れキョトンとするワットさん。改めて振り返るとその初老の男性はじっとワットさんを見つめ返してくる。その眼光には確信めいた光が宿っているように見えた。
しかし、すぐに常識が彼の頭を支配し、
…馬鹿馬鹿しいことをいうヤツだ
…金目当てか?
…こっちは冗談につきあってる場合じゃないんだ
という思いが沸き起こってきた。ワットさんは自らの心の声に従い、その場を去ろうとした。
すると初老の男性は、
「その呪い解いてやるよ。そいつは医者に診せても治らんよ。いや銭なんか要らんからこっちへおいで」
と、まるでワットさんの心中を読んだかの如く話しかけてくる。
ワットさんは半信半疑どころか全く男性の話を信じていなかったが、万が一にも治るならと男性の話を聞くことにし、男性と共に市場の隅へと向かった。
「それじゃあ今から呪いを解くから、あんたそこで生卵を買ってきてくれ」
とワットさんに催促する男性。
ワットさんはなぜ生卵が必要なのか理解できなかったが、治らなかったら卵をぶつけてやるつもりで数メートル先の卵売り場から生卵を四つほど買ってきた。
「よしよし、それじゃあ始めるぞ。」
と、男性はおもむろに生卵を一個つかみ取り、何やら呪文を唱えだしたのだった。
(呪文の詳細は不明。通常のラオス語ではない聞きなれない言葉だった)
そしてつかんでいた生卵をワットさんの右膝にあてがった。この間、ワットさんは十分間ほどに感じたという。
〝儀式″が終わると老人は生卵を掲げ、
「これがお前さんの膝に込められていた呪いだよ」
と、その場で生卵を割って見せた。すると中からはドロッとした黄身と白身と共に、鋭く尖った二本の釘が出てきた。
ワットさんはわが目を疑った。しかし、生卵は今自分が買ってきたものであり、どの卵にも穴なんか空いていなかった。この初老の男性がすり替えたようにも見えない。
そして、現に膝の痛みが引いてきている…
驚くワットさんに向かって男性はこう言った。
「お前さん、家に帰ったらベッドの下をよーく探してごらん。そこで見つけたものはすぐ
に壊して捨てるんだよ」
それだけ言うと男性はその場を去っていった。
〝呪い″を解かれた彼の右膝は急速に回復に向かい、家に着くころにはすっかり元の状態に戻っていた。
帰宅したワットさんはあの男性の言葉通り、ベッドの下を調べることにした。するとベッドの真ん中あたりに、十センチほどの粘度のようなものでできた赤黒い人形が置いてあった。
そしてその人形には、両膝、両肘、下腹部、左胸、そして眉間にそれぞれ小さな釘が二本ずつ刺さっていたのだった…
ワットさんは震える手でその人形をバラバラに壊し、更に石で打ち付け粉々に粉砕して捨てた。そして近所の寺院でお祓いを受けた。
それから現在に至るまで、ワットさんは無事に暮らしてる。
しかし、謎は残ったままだ。ベッド下から発見された人形が呪いを発動される依り代、いわゆる呪物だとすると、〝呪い″が発動した際、なぜワットさんの右膝にしか呪いは掛からなかったのか。何らかの護りの力が働いたのか、それとも痛みの中ジワジワと四肢の自由を奪い、ゆっくりとなぶり殺しにするためだったのか…
ワットさんは薄々犯人が誰なのか分かっているという。犯人は別れた元妻とワットさんは推測する。二人の間に何があったかは分からないが、強い憎しみを持ちながら分かれた元妻は、呪術師に依頼して呪いの人形を入手、自らの手でその人形を彼の寝室に置いたのだろうと。
しかしラオスでも呪いを法律で裁くことはできない。元妻は今もどこかで生活し、彼女に呪物を授けた呪術師も、今も新たな呪術を行使しているかもしれない。
現代社会、東南アジアの小国ラオスに、呪いは実在する。了