「ラクリキア王都ルベリス……“千年王都”……。ほんとうに来たんだ、あたし……」
医療センターの部屋の窓から見える空は、どこまでも高く、青かった。蒼穹の下では、白銀と黄金に装飾されながら、決して派手には見えない、見事な技巧の結晶である荘厳な王都の街並みが広がっている。
その空を眺めながら、前髪に手を伸ばしてみる。
案の定、普段ならそこにある桜の花びらを模った髪留めの手触りは、ない。
「……アレッサ」
この景色を、二人で見ているはずだった。
憧れの街にはしゃぐ自分を、アレッサが落ち着かせてくる。
だが、そんな光景を見ることは、もう叶わない。
「ううん。あきらめちゃ、だめ。先生だって言ってもん。『生きていることを考える』んだって」
アレッサを想うたび、ドクター・グリーンに言われた言葉を、何度も心の中で繰り返してきた。
生きている。だから、できることがあるはずだ。
アレッサを、取り戻す。
そして、自分の夢――完全置換型人工心臓を形にする。
それは、アレッサと語り合い、叶えると約束したことだ。
だからその決意が、ナルミの心を、凍てつくような喪失感から少しずつ引き上げてくれていた。
† † †
その日、看護師に案内され、通された部屋に足を踏み入れたナルミは、見慣れた、だが懐かしくもある小さな人影が目に入ると、駆け足になっていた。
「お下げちゃんっ! 体、もう大丈夫なの!? ごめんね! あたし、お見舞いにもいけなくて……」
「ナルミか! おぬしこそ達者で――ぐにゅー?!」
嬉しくてつい、その小さな体を抱き上げると、力いっぱい抱き締めていた。
「おいおい、チビが窒息するぞ?」
「あっ! 怒りんぼおじさん!」
「だぁれがオジサンだ、ゴラァ!」
「ひーっ! お下げちゃん、こわいよー!」
「げほっ……げほっ……。これ、イブキ。怒っておるではないか。それにじゃ、こんど妾をそのように呼んだときは、おぬしの秘密を全てネットに流すからの」
「こいつ……っ!」
「――皆様、お揃いですね。同期生として仲睦まじいようで、何よりです」
ふいに、部屋を貫いた、しゃんとした中性的な声音。
ドアのほうからしたその声の主を振り返ったナルミは、ハッと頬を押さえていた。
「ばばば、“万能補佐官アルク”さん!?」
「ボクが万能であれば、より殿下のお力になれるところですが……。失礼しました。殿下の首席補佐官を務めています、ロコン・アルクです。ヴァヴァリア殿下から、貴女のお話はよく伺っています、ナルミ・サクラダ。貴女のもとを訪ねるたび、殿下は笑顔を浮かべていらっしゃいます。心からの感謝を」
「きょきょきょ、恐縮ですっ!」
立ったまま、軽く首を垂れ、利き手を自らの心臓に当てる。
ロコンが示したその仕草は、ラクリキアにおいて、主に目上の者に対する敬意を表すものだった。
そんな挨拶には、もはや最敬礼を返すしかないのだが、伝統では王族に対してのみ許されるジェスチャーだと、ナルミの知識がブレーキを掛けてくる。
そうして、わたわたしていると、軽く微笑んだロコンが、咳払いした。
「さて。ヴァヴァリア王女殿下より、皆様へ伝言です。他の受験生の皆様には、昨日の晩餐会にてお伝えしましたが、出席が叶わなかった皆様へ改めて。……本年の選抜合宿は、王都西部に広がるウーリ大森林にて実施されます。開始は、三日後の夜明けになります」
選抜合宿、という言葉に、ナルミを含めた全員が、頬を硬くしていた。
「ご存じの通り、この選抜合宿が、受験生の皆様にとっての“最終試験”に当たります。既に皆様は、各地でおこなわれた予備試験を通過された逸材に違いありません。しかし、弊社〈LCファーマ〉、ひいては、わがラクリキア王国が求める人材とは、優秀な頭脳だけではありません。世界最高の技術と、悠久の歴史が根付いた、永世中立企業王国ラクリキア。その本国で職を得るということは、すなわち王国の市民権を得ることを意味します。ナルミ・サクラダ。偉大なるラクリキア祖王は、民に何と語り掛けたと、史実に残されていますか?」
「は、はいっ。『国とは、王が作るものではない。そこに生きる民一人ひとりの、汗と誇りこそが、我らがラクリキアなのだ』、です」
「その通りです。ですから、わがラクリキアの民に相応しい汗と誇りを示せるか否か。選抜合宿では、その覚悟を殿下の御前にお示しください。……ご質問は?」
沈黙が、部屋に降りる。
このときが来ることを覚悟してきたわけだが、いざ、そのときが迫ると、否が応でも緊張をせずにはいられない。
そんな中、舌足らずな問いが、傍から聞こえた。
「首席補佐官よ。殿下の御前と申したの。ならば、王女御身が臨席されるのかの?」
「そうです、ツバキ・トコヤミ。殿下を始め、選抜合宿には、宰相閣下、閣僚、そして狩人からも試験官が参加されます」
(狩人……。チヒロさん、どうしてるんだろう……)
「承知した。ところで、首席補佐官どの。
「……国王陛下は御多忙であらせられます。お約束はできかねます」
「うむ。承知した」
「では、皆様のご健闘を祈っています。前夜の日の入り刻に迎えが参ります。それまで、ご自由にお過ごしください」
各人に目礼したロコンが踵を返す。
ホッと、息をつきかけると、ドアを開けたロコンが硬い声で言った。
「最後に一つ。皆様はアクシデントゆえに、ここにいらっしゃいます。しかし、当然ですが、選抜合宿においては、そのような事情は考慮されません。たとえ、殿下と言葉を交わしても、です。……では」
その言葉に思わず、ナルミはお下げちゃん――ツバキと、顔を見合わせていた。
幼い顔立ちは、『あたりまえだの』と言わんばかりに、ただ肩をすくめていた。