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月影の庭ー終わりなき恋が愛になるまでー
月影の庭ー終わりなき恋が愛になるまでー
葉方萌生
恋愛現代恋愛
2025年02月28日
公開日
3.2万字
連載中
25歳の城北月凪は、東京で一人暮らしをしながらも仕事に邁進する日々を送っていた。職場ではうまく行かないことが多く、婚約をしていた秋月大和に去られ、“舞台女優になる”という夢からも遠ざかった自分に虚しさを感じていた。ある日、幼い頃に通っていた田舎の洋館「月影の庭」を夢で見るようになる。夢の中で出会った銀髪の青年・玲は、月凪に「きみを待っていた」と告げる。 「月影の庭」に住まう不思議な存在である玲と、現実世界で想い残している大和への恋心の狭間で、月凪は究極の選択を迫られることになる。 ⭐️毎週月・金更新予定です!

プロローグ

「ごめん、月凪つきな、俺たち別れよう」


 スマホの向こうから聞こえてきた彼の言葉は、夏の蝉の合唱がぐわらんぐわらんと耳に反響するのを、遥かに凌ぐほどくっきりとした輪郭を帯びた。

 今まさに電車を降りて会社までの道のりを歩いていた私は、思わずぴたりと足を止める。後ろを歩いていた人の舌打ちする音が聞こえた。けれど、そんなものはほとんど気にならない。

 耳にもう一度、スマホをぎゅっと押し当てる。

 彼の吐息がちゃんと聞こえてきて、胸に疼痛が走った。


「ちょっと大和やまと、いきなりどうしたの? こんな朝っぱらから」


 何かの冗談かと思いたい。

 だって、四年も交際してきた男に、朝の出勤前のこの時間帯に電話で振られるなんて、あまりに滑稽じゃないか。

 それに、明日は私の誕生日だ。誕生日の前日にこんな酷い仕打ちができるほど、彼——秋月あきづき大和は冷酷な人間ではない。そうだ。きっとこれは夏の暑さが邪魔をして、私に悪い夢を見せているんだ。そうでなければ説明がつかない。明日、誕生日ディナーに誘ってくれたのはつい二週間前のことじゃないか。なのに、今更どうして。


「ごめん」


 理由を聞きたいのに、電話の向こうから聞こえてきたのはただ一言の謝罪のみ。

 耳を澄ますと、彼が浅い呼吸を繰り返していることが分かった。つられて私の方も、ひぃひぃと呼吸が速く、短いものに変わる。過呼吸のような症状になりそうなのを堪えながら、なんとか「別れたくない」と絞り出した。


 けれど、そんな私の必死の抗議を聞いても、大和は「ごめん」と繰り返すだけだ。この暑さの中、背中を冷や汗が伝う。お付き合いしている男性からこんなふうに頑なな態度を取られた時、こちらが何を言っても無駄だ。経験上ですぐに察知した私は、「うそでしょ」と漏らすばかりだ。


 やがて、通話が切られる。

 後に残ったツーツー……という電子音が耳に反響する。


「大和……」


 何も言えなかった。 

「別れたくない」以外の言葉を何も。理由も何も分からない。心変わりをしたとか、単に好きじゃなくなったとか、なんでも良かった。なんでもいいから、私を諦めさせてくれるだけの言葉がほしかった。

 この時の私は、大和という人間を一ミリも理解していなかった。

 ただこの瞬間に、大和に対する行き場のない恋心が、大きなわだかまりの芽になったのは間違いない。

 ここから始まったのだ。

 終わりのない、私の恋が。


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