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24.神術・雷鳥赤火

 雉猿狗が手にしている〈桃源郷〉は、鬼を斬るには適しているが人を斬るには適さない仏刀──しかし、天照から授かった神術"神雷"によって体内に雷光の力を宿した雉猿狗は、両手で握りしめる〈桃源郷〉の銀桃色の刃に向けてバチバチと黄金色の稲光を生じさせていた。

 常人がこの帯電する刃で斬られたらただでは済まない。太陽光によって神力を十分に補充している今の状態ならば、五人の野盗相手でも勝てる自信が雉猿狗にはあった。


「──さぁ、来なさいッッ──!!」


 雉猿狗が三本松の近くに立つ三人の野盗たちに向けて凛とした声で告げるた瞬間、三人は戦慄の面持ちを浮かべ、雉猿狗の後ろに立つ鎧兜の男に向かって大声を発した。


「あ、ああッ──!?」

「……お頭(かしら)ッ──!!」

「……ひいッ──!!」


 不揃いの軽鎧を着込んだ三人の男が次々に慄きの声を上げ、その様子を目にした雉猿狗と桃姫も咄嗟に後ろを振り返る。


「……あン──?」


 鎧兜の男が面倒くさそうに声を出しながら隣をフッ──と見やると黒尽くめの痩男の体がぶらりと宙に浮かんでいた。


「──あ……ぎゃ……きゅ……き……!」


 痩男がネズミの断末魔のような声を漏らすと、鎧兜の男はゆっくりと顔を上げて愕然とした。


「──十分楽しんだあとに……売り飛ばしてやるよ──ふン……キサマらなんぞ、誰も買わぬか──」


 毒々しい紫色の肌をした大鬼・温羅巌鬼が、太い腕から伸びる鬼の手で痩男の頭を握りしめながら、低い声でからかうように告げる。


「ッ、ぎ、ぎ……や……べて……アッ──」


 パキャッ──という軽い音ともに、痩男の頭が握りつぶされると、ドサッ──と血溜まりの中へ体が落とされた。


「──巌鬼ッッ──!?」


 記憶にある姿よりも一回り巨大になったように見える巌鬼の姿を見た桃姫が、濃桃色の瞳を大きく見開き、父親殺しの仇敵の名を叫んだ。


「……ひっ……ヒィっ……!! 鬼っ……!! 本物の……鬼じゃねぇか……!!」


 それまで威勢の良かった鎧兜の男は、巌鬼の恐ろしい鬼の顔を見上げるや否や、即座に腰から力が抜けてその場に尻もちをついた。

 その勢いで頭から黒い兜が転げ落ちると、月代(さかやき)のほどかれたみすぼらしい落ち武者頭があらわになった。


「……な、なぜ……なぜ鬼が、太陽の下にいるのだ……っ!?」


 絶望の表情を浮かべた野盗頭の男が引きつった声を上げながら後ずさりする。


「──鬼が太陽の下を歩けないってのは、いったいどこから得た情報だ──?」


 巌鬼は鮮血のしたたる鬼の爪が伸びる太い腕を怯える野盗頭に向けて差し伸ばしながら、地獄の底から響くような低い声で告げた。


「──見てはなりません……!」


 雉猿狗は思わず、数珠をつけた左手を伸ばして隣で驚愕している桃姫の視界を遮った。

 次の瞬間、パキッ、バキッ──と枯れ枝を折る音にも似た乾いた音と野盗頭の壮絶な悲鳴とが夕方の街道に響き渡った。


「……あ、がっ──!」


 そして短い断末魔の声を漏らし、白目をむいて息絶えた野盗頭は、巌鬼の鬼の手から解放されて血溜まりの地面に倒れ伏した。


「……あ、あああッ!! ──鬼だあッ! 鬼だああッ──!!」

「ひぃ……!! ひやああああッ──!!」

「……逃げろォッ──!!」


 その凄惨な光景を目撃した三人の野盗が悲鳴を上げながら刀を放り投げると、巌鬼に背中を向けて一目散に逃げ出した。

 しかし、シュシュシュッ──と高速で飛んできた三本の銀色の閃光に次々と後頭部を刺され、断末魔の声すら上げずにバタ、バタ、バタ──と街道の上に倒れた。

 目を見開いて絶命した三人の野盗の後頭部には、銀製のかんざしが深々と突き刺さっていた。


「──殿方ともあろう者が……鬼の一つや二つで、いちいち騒がしいわねェ──」


 巌鬼の後方からしなやかに歩いてきた女が艷やかな声でそう言うと、左手に持った紫色の扇子で顔を扇いだ。

 女の顔右半分には包帯が巻かれており、露出した顔左半分と首、胸元には火傷が治癒した痕跡があった。その女の姿を見た雉猿狗は、翡翠色の瞳を見開きながら声を上げる。


「……鬼蝶ッ──!?」

「……あら、雉猿狗。久しぶりね……ふふふ」


 包帯の隙間から赤い唇を見せてほほ笑んだ鬼蝶は、扇子を閉じると着物の胸元にスッ──と差し入れた。


「……巌鬼……!!」


 桃姫は雉猿狗の手を下げると、憎き大鬼の姿を直視して叫ぶ。


「──俺と会うのは一年ぶりだな。桃姫……」


 そう言った巌鬼は笑みを浮かべると、鬼の足を前に進め、頭の潰れた野盗頭の亡骸を虫けらのように踏みしめながら桃姫に近づいた。


「──どうだ、"あの日"から一年間、地獄を味わった感想は。俺に教えてくれよ……」


 巌鬼は黄色い眼球に赤い縦線が走った鬼の目で"あの日"から一年経った桃姫の姿を見定めるように低い声で尋ねた。


「──いわば、俺とキサマは兄と妹のようなものだ……俺はキサマの父親に両親を殺され、キサマは俺に父親を殺された……似たような境遇、似た者同士……そうは思わんか──?」


 巌鬼は桃姫に向かって己の理屈を説いてみせた。しかし、桃姫の右手は〈桃月〉の柄を握りしめ今にも白鞘から引き抜いて巌鬼に向けて駆け出しそうな勢いであった。


「──桃姫様……いけません……今は、まだ……!」


 その勢いを制していたのは雉猿狗であった。雉猿狗は桃姫の体をグッ──と左腕で抑えて静かに声を発する。


「……離して、雉猿狗……! こいつ──こいつら……! ──殺さなきゃ、いけないんだ……!」

「──桃姫様、なにとぞ……なにとぞ心を鎮めてください……! 今はまだ……勝機がございません……! 今の私たちでは……!」


 桃姫と雉猿狗のそんな様子を、桃姫の父親を殺した巌鬼と母親を殺した鬼蝶とが愉快そうに眺め見た。


「──兄として、そろそろキサマを殺して楽にしてやってもよいと考えている……この世の地獄を味わうのに、嫌気が差した頃合いであろう──?」


 巌鬼は怒りに震える桃姫に向けて、地獄の声でささやくように告げる。


「──俺が退治した桃太郎が恋しくて……たまらなくなってきているのであろう──?」

「……ッッ!! 父上の名を……! 父上の名を口にするなァッ──!!」


 巌鬼のからかうような言葉を耳にして、烈火の如く怒った桃姫が雉猿狗の腕の中で叫んだ。その様子を見て満足気に鬼の目を細めた巌鬼は後ろに立つ鬼蝶を横目で見ながら口を開いた。


「──ふっ……しかし、我らが鬼ヶ島で話し合った結果……桃姫を殺すのは惜しいとの結論が出た──」


 巌鬼はそう言うと、桃姫に向けて太い両腕を広げて見せた。


「──どうだ。鬼ヶ島の軍勢に入らぬか──?」

「……ッ!?」

「……なにをッ」


 巌鬼の言葉を聞き、言葉を失った桃姫と雉猿狗。


「──鬼に追われているのが、辛く苦しいのであろう? ならば、自らが鬼ヶ島の軍勢に入ってしまえばよいのだ。これ以上ない明快な解決法だ……なぁ、鬼蝶──」

「──ええ、その通り……ねェ、雉猿狗。あなた、聞くところによると桃太郎のお供の化身だとかね……主亡きあとに娘の桃姫ちゃんに付き従ってるなんて、うふふ……なんとも、忠義心の塊のようなお話じゃないの──」


 鬼蝶はそう言いながら、巌鬼の隣まで歩み出ると、自身の顔に巻かれた包帯を右手で剥ぎ取るようにほどいた。


「──私の体を焼いたこと、特別に許してあげるから……鬼ヶ島の軍勢に降りなさいな。雉猿狗、桃姫ちゃん──」


 そう告げた鬼蝶の顔右半分には、いまだ"仏炎"で負った火傷が治癒していない痛々しい傷跡が赤くひりつくように残っていた。

 "鬼"の文字が浮かんだ眼を細めて、笑みを浮かべた鬼蝶は、包帯を手放し風に乗せて夕焼け空に飛ばすと、雉猿狗と桃姫に向けて黒い爪を持つ右手を伸ばした。


「──今日から私たちは仲間……そうよね──?」


 穏やかな声音で告げる鬼蝶のほほ笑み。しかしどう取り繕おうとも隠しきれていない残忍さに激しい嫌悪感を覚えた雉猿狗は、左手で桃姫の体を抱き寄せた。


「……桃姫様。私の体にしがみついて……絶対に手を離さないでくださいませ──」

「……雉猿狗……?」

「──お願いします……桃姫様」


 巌鬼と鬼蝶に聞き取られないような小さな声で雉猿狗が桃姫に告げると、桃姫はいぶかしみながらも、〈桃月〉の柄から手を離して、雉猿狗の体に寄り添うようにぎゅっと両手を回した。

 それは端から見れば、二体の強力な鬼の出現に対して、桃姫が怯えて雉猿狗に抱きついたように見えた。


「──どうだ、雉猿狗。そのように怯える桃姫を護りたいのであれば、桃姫と共に鬼ヶ島の軍勢に入れ。桃姫を護ることを何よりの使命としているキサマにとっては、これ以上ない提案であろう──?」

「……そうですね……」


 巌鬼の提案に対して雉猿狗は静かに答えながら黄金の波紋が浮かぶ翡翠色の瞳を閉じると、右手に握っていた〈桃源郷〉を左腰の白鞘に収めた。

 雉猿狗の観念した姿を見て巌鬼が満足気に笑みを浮かべると、次の瞬間、雉猿狗はカッ──と黄金色に光り輝く両目を見開いた。


「──それはこれ以上ない程に……下劣で、卑劣で、虫酸が走る提案ですね……断固、拒否します──」

「……なん、だと……」


 凛とした声音で発せられた雉猿狗の言葉に巌鬼は面食らって声を漏らすと、バチバチバチッ──と黄金色の雷光が雉猿狗の体から迸り、しがみつく桃姫の体ごと包みこんだ。


「──日ノ本最高神、天照大御神様より授かりし此の神の御業を視よッッ──!! ──神術・雷鳥赤火(らいちょうせっか)ッッ──!!」


 桃姫を抱きしめた雉猿狗が宣言するように天に向かって神術を発すると、体から放たれる雷光がバババババッッ──と、凄まじい爆音を立てながら激しい閃光となって街道を白く染めあげ、そして雉猿狗と桃姫の体を宙に浮かべた。


「……ぐオッッ──!?」

「……なによこれ──!?」


 巌鬼と鬼蝶は、その信じがたい光景とあまりの眩しさに腕で視界を覆いながらたじろぐと、天に向けて大翼を伸ばす黄金色の雷光に包まれる雉猿狗と桃姫の姿を見上げながら絶叫した。


「──桃姫様ッッ──!! ──このまま奥州まで飛びますッッ──!!」

「……うんッ──!!」


 神々しい黄金色に両目を染め上げた雉猿狗が桃姫に告げるように言うと、桃姫は激しい雷光の中で困惑しながらも頷き、信頼する雉猿狗にその身を委ねた。

 そして、バリバリバリッ──と強烈な雷鳴音を打ち放つ黄金色をした雷光の大鳥に包まれた雉猿狗と桃姫は、夕焼け空に稲妻のような黄金色に光り輝く軌道を残しながら奥州に向けて飛び去っていくのであった。


「……なんだ、今のは……」


 一本の軌跡が残った空を見上げた巌鬼が愕然とした表情で声を漏らすと、同じく空を見上げた鬼蝶が憎々しげに歯噛みをした。


「……嘘でしょ……桃姫ちゃんだけじゃなく……雉猿狗まで"特別な力"が使えるってわけ──!?」


 鬼蝶が赤い"鬼"の文字が浮かぶ黄色い目を細め睨むように言うと、巌鬼と鬼蝶の後方からチリン──という金輪の音と共に特徴的なしゃがれ声が届いた。


「──かかか……! これは驚いたのう……雉猿狗のやつ……所詮、下等なる獣の化身だと思うておったが、まさかあれほどの神術が使えたか、これは驚いた──かかかかッッ!!」

「遅いぞジジイッ! 今更やってきて、何を抜かす……!!」


 満面の笑みを浮かべた役小角が感心したように言いながら、黄金の錫杖を鳴らして現れると振り向いた巌鬼が怒声を上げた。


「──そう怒鳴るでない。わしにはわしの"事情"というものがあるのじゃよ、温羅坊」

「……行者様、いかがなさいましょう。私が今すぐに二人の後を追いましょうか……?」


 役小角が巌鬼に向かって告げると、鬼蝶が苦々しい顔をしながら役小角に言った。


「──いんや……やめておこう。あやつらが向かったのは奥州は"ぬらりひょんの館"……わしですら容易に入り込めぬ"妖(あやかし)の領域"よ」

「おい、ジジイにしてはやけに弱気だな……たかが妖怪如きになにを臆している」


 黄金色の軌跡を光の粒子に変えて大気中に霧散させながら夜の帳が落ちていく空を見上げた役小角が告げると、巌鬼が役小角の顔を睨みつけながら言った。


「──温羅坊。おぬしは妖怪のことを何も知らん……やつらは狡猾、うかつに近づけば逆にわしらが捕らえられる危険性すらあるのじゃぞ……」


 そう言った役小角は足元に転がる二体の野盗の亡骸を見ると、黄金の錫杖で血溜まりを突いてスーッと地面に血の円を描き、中に三つの点を置いた。


「──妖怪侮るべからず、特にぬらりひょん……やつは、わしの手に負えん」


 目を細めた役小角が告げる言葉を耳にしながら、巌鬼と鬼蝶が円の中に捕らえられた点を見た。


「──桃姫を追うのは一旦やめじゃ。わしらにはわしらでやるべきことがある……"来たる日"に向けて、鬼ヶ島の軍勢を更に増やし、強化せねばなるまい」

「……そうですね……でなければ、日ノ本の支配──"地獄化"など、夢のまた夢にございます」


 役小角の言葉に鬼蝶は同意すると、二人は巌鬼を見た。


「──それでよいな、温羅坊?」

「……ふん、構わん……桃姫が味わう地獄が長引いただけだ」


 白い眉毛を片方だけ上げて片目で巌鬼を見た役小角が告げると、巌鬼は吐き捨てるようにそう言って桃姫と雉猿狗が黄金の雷鳥になって飛び去った北の夜空を見上げるのであった。

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