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17.私だけのお兄ちゃん(1/3)

……とある日のこと。メグが久しぶりに、おうちを訪ねに来てくれた。


お兄ちゃんはちょうど古本屋のバイトに出ていて、私とメグの二人だけだった。



「はい、どうぞ」


「ありがとう美結」


リビングのテーブルで、私たちは隣同士に並んで座る。私は両手にオレンジジュースの入ったコップを持ち、片方を彼女に手渡した。


「もう11月だねー」


メグがコップに口をつけて、窓の外を見ながらぼんやりと呟いた。私も一緒に窓の方へと目を向けて、「うん」と一言だけ返した。


「美結はさ、進路どーするの?」


「……前にもちょっと相談したけど、私、この家をお兄ちゃんと一緒に出るつもりなの」


「うん」


「だから、家を出ても授業ができるように、通信制がいいかなって」


「うんうん」


「個人的にも、あんまり学校とかに出る気がなくって。怖いっていうのもあるけど……できることなら、その……」


「できることなら?」


「専業主婦っていうか、その……」


「あーなるほど、いわゆる古き良きお嫁さんっぽい感じになりたいと」


「えと……うん、はい、そうです……」


私は、熱くなる顔をうつむかせた。バクバクと鳴る心臓の音が、メグにも聞こえてしまわないか心配になった。


「ふふふ、美結もかわいい夢を持ってるね!」


「え、えへえへ」


メグは照れてる私を見てにっこり微笑んだ後、少しだけ視線を下に落として、顔は笑顔のままだけど……声色が少し寂しげに呟いた。


「でも、そっか。ちょっと寂しくなっちゃうね。遠くに行くってなったら、中々二人に会えなくなるね」


「……うん」


「時々、会いに行ってもいい?」


「もちろん!来てほしい!」


そう答えると、またメグがにっこり笑ってくれたから、私も同じくらいの笑顔をお返しした。


それから私たちは、受験生ということもあり、私の部屋で二人一緒に勉強した。


「……………………」


「……………………」


部屋の中は、カリカリとシャーペンが文字を書く音だけが響く。


その音が聞こえることによって、より今……この部屋の中が静かであることを強調しているように感じた。


そんな静粛の中、ふいに私は……メグに、あることを訊きたくなった。


それは、ずっとずっと胸の中にあって、ずっとずっと訊けずにいた……とあること。


「ねえ、メグ」


「んー?」


「……ちょっと変なこと訊くけど、いいかな?」


「うん、いいよ。どんなこと?」


「えーと、その、ちょっと踏み込んだ話になるんだけど」


「うん」


「……メグはどうして、お兄ちゃんのこと好きなの?」


「………………」


ピタリと、メグの手が止まった。


私も手を止めて、真正面にいるメグを見た。彼女は顔を上げたり、私の方を見たりとか、そういうことはしなかった。


ただじっと、勉強していた姿勢のまま、シャーペンを持つ手だけが止まっていた。


「……………………」


「……メグ?」


「……どうして、かな?」


「え?」


メグはシャーペンを机に置いた。


そして、じっと自分のノートを眺めながら、ぽつりぽつりと話し始めた。


「……もともと私、男子が苦手だったの」


「………………」


「何かにつけてバカ騒ぎしたり、無駄にはしゃいだり……。そういうノリが好きになれなくて、私はもっとこう、落ち着いた人が好きだった。彼氏にするんだったら、お兄さんタイプっていうか……落ち着いてて、甘えさせてくれる人がいいなって思ってた」


「………………」


「だから初めて会った時から……明さんは私のタイプだなって思った。でも、もちろん最初の内は、まだ好きっていう感情はなくて、どっちかと言うと憧れとかに近かった。本当に好きになったのは、二回目に会った……この家に、美結が呼んでくれた日」


私はごくっと、生唾を飲んだ。


それはたぶん、自分の嫉妬心を飲み込もうとしたんだと思う。


私のお兄ちゃんが誰かに好かれる瞬間を聞くって……こんなにも、ぞわぞわするものなんだって思った。


「明さんに送ってもらった帰り道、あの人……私になんて言ったと思う?」


「な、なに……?」


「喧嘩してほしいって言ったの。美結と」


「え?喧嘩?」


「おかしいよね、普通そんなこと言うはずない。仲良くしてほしいとか、美結を許してほしいとか、そういうことを言うはずなのに。だって私自身、そういう話をされるんだろうなって身構えたくらいなんだから」


「……………………」


「でも明さんの言葉は、仲良くしてほしいとか、許してほしいとか、そんなのよりもっと強い想いを込めてた。明さんは、私にこう言ったの。『美結に本音を話してほしい』って。そのせいで喧嘩になってもいいって」


「……………………」


「その時に……私、この人は凄いって思ったの」


「凄い?」


「うん、こんなこと言える人がいるなんてって、そんな風に思った。大袈裟に聞こえるかも知れないけど、あの言葉は、私の人生を変えるレベルの衝撃があった」


「………………」


「仲良くしてほしいとか、許してほしいってさ、一見すると普通に思えるけど……それって、私の気持ちは無視されてるんだよね」


「!」


「私が仲良くしたくなかったら?私が本当は許してなかったら?私の気持ちはどうなるの?」


「……………………」


「確かに私も美結に……本当にひどいことしちゃった。だけど、私も言いたいことをずっと我慢してた。明さんは、そんな私のことも、気遣ってくれたんだよね。我慢しなくていい、仲良くできなくてもいい。お互い本音で語りあって、最悪それで仲違いしてもいい……。それが、お互いにとってもいいって」


メグは、両肘を机について、切なげに眼を伏せた。


「罪悪感で胸がいっぱいだった時に……そんなの、ずるいって思って。それで、私、明さんのこと……」


「……………………」


「だから、本音を明さんに話した。まずこの想いを明かさなきゃ、何も始まらないと思ったの。本音を話してほしいって言ってくれたんだから、それに……甘えさせてもらったの」


「……それで、告白を」


「うん」


「……………………」


メグの眼は、少し赤くはれていた。瞳が潤んでいて、今にも雫が溢れそうだった。


「……でも私はね、美結には敵わないって分かってるの。美結が本当に好きだからこそ、喧嘩してほしいって言葉が出てくると思うし、何より……明さんは私に、『君の気持ちに応えられないのを申し訳なく思う』って言ってたから」


「……………………」


「いいの、それでも。私……恋なんてするの初めてだから、これが正しい状況なのかわからないけど、好きな人に好きって言えるだけで、幸せなの」


「……恋が、初めて?メグ、まさかお兄ちゃんが……」


「うん、初恋の人」


「……………………」


メグは私の顔を見ると、くすっと笑った。


「美結ってば、すごい顔してるね」


「……だって、メグ……」


「いいの、あなたは何も気にしないで?私が勝手にあの人を好きになって、勝手に切なくなってるだけだから」


「……………………」


「ふふふ、でもね!私だってまだまだ諦めてないよ?明さんの一番になれる時があるかも知れない」


「!」


「だからこれは、私が美結にしかけた喧嘩。これで美結が私のこと嫌いになってもいいよ。私は……私らしくいれたから。平田 恵実として、あの人を好きになったから」


晴れ晴れとした顔で語る彼女は……とっても、綺麗に見えた。儚いけれど、とても眩しくて……キラキラと星が散っているようにすら思えた。


恋をすると人は綺麗になるっていうけど……本当なんだなって、すごく実感した。


「メグ……私だって負けない。私だって、お兄ちゃんが大好きだから」


「うん」


「そして……あなたが、大好きだから。友だちとして、手を抜きたくない」


「………………」


メグは、何も言わなかった。でも、彼女の微笑みが……何も言わなくても、答えになっていることを教えてくれた。








……夕方五時頃、メグは自分の家へと帰っていった。別れ際に「明さんによろしく言っておいて」と告げていった。


メグがいなくなった家は、しんと静まり帰ってて……なんだか寂しかった。


日が落ちるにつれて、少しずつ雨も降り始めた。メグが帰った後に小雨がぱらぱらと降りだして、夜の8時になる頃には、結構な土砂降りになっていった。


「お兄ちゃん遅いなあ……。いつもならもうとっくにバイト終わって、帰ってきてる頃なのに……」


私は食卓のテーブルに、上半身を寝かせていた。


腕を折り曲げて、頭のところに腕を乗せて、ぼー……と、真っ暗な窓の外を眺めていた。


「……………………」


メグがいなくなった反動もあるんだろう。私は、いつも以上に寂しかった。


お兄ちゃんがいない間は、なるべく寂しさを紛らすよう、テレビを見たりスマホで動画を見たりして過ごすことが多い。


最近は採点バイトのお陰で時間を潰すことができるけど、時々……こんな風に、どうしようもない孤独感に苛まれることがある。


「……はあ」


テーブルには、私とお兄ちゃんのために作ったシチューが、二皿置いてある。


「……シチュー、冷めちゃうかな」と、ぽつりと私が独り言を呟いたその時。


玄関先で「ただいまー」というお兄ちゃんの声が聞こえた。


私はすぐに起き上がり、走って玄関まで行って「お帰りお兄ちゃん!」と叫んだ。


「遅くなってごめんなー!いやーしかし、参った参った!ずぶ濡れになっちゃったよ」


お兄ちゃんは雨で全身びしょ濡れだった。髪の毛からぽたぽたと滴がしたたり、玄関で靴を脱ぐ動作をする度に、びしゃびしゃと靴が音を立てていた。


「お兄ちゃん、傘持っていかなかったの?」


「……実はその、人に貸しちゃった……」


「えー!?こんな大雨なのに?」


「だいぶ子どもだったしよ~、さすがに可哀想ってなって……。小さい子と、俺みたいな成長期真っ盛りの青少年じゃ免疫力も違うしさ……」


お兄ちゃんは盛大にへくしゅ!とくしゃみをひとつかました。


「とりあえず俺、シャワー浴びるよ。美結、良かったら俺の部屋から着替えを持ってきてくれない?」


「うん!なんでもいい?」


「えーと、じゃあフリフリのスカートと肩出しTシャツをお願い」


「もう!そんなの1個も持ってないでしょ!」


私が突っ込みを入れると、お兄ちゃんはケラケラ笑いながら「ごめんごめん、本当になんでもいいよ 」と言って脱衣場に向かって行った。


私はお兄ちゃんの部屋から、下着一式と白のTシャツに黒のズボンを持って、脱衣場にいるお兄ちゃんへ渡しに行った。


脱衣場の扉をこんこんとノックし、「持ってきたよ」と声をかけると、扉が少しだけ開いて、お兄ちゃんの手がにゅっと出てきた。その手に着替え一式を手渡した。


「ありがとー美結!助かった!」


そう言って、手は脱衣場の中に引っ込んで、扉は閉まった。


「お兄ちゃん、シチュー作ったんだけど、食べる?」


「おーマジか!ありがとう!!食べる食べる!」


「分かった!じゃあ、また温めておくね」


「早めに上がるよ!美結のシチュー食べたい!」


「……!うん!」


私は、さっきまで寂しかったことなんてすっかり忘れて、スキップしながら食卓へ戻った。


シチューにラップをして、電子レンジにかけた。シチューが暖まっていく度に、私の心も暖かくなっていくような気がした。


「ふふ~ん♪ふんふ~ん~♪」


私はウキウキ気分でスプーンを取り出し、思わず鼻歌を歌った。


るんるん♪と私の周りにオノマトペが出てきてると思うくらい、私の胸は踊っていた。




……私は、お兄ちゃんが大好き。


この世でお兄ちゃん以上に好きになる人なんていないと、断言できるほどに好き。


愛してるって、こういうことなんだ。幸せって、こういうことなんだ。そんな風に思ってた。




『私……明さんのこと…………』




……でも、私がお兄ちゃんを愛してるように、他の人たちも……お兄ちゃんのことを……。


次の日から私は、その事実を、ありありと思い知らされることになる。





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