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49.VS湯水(part11)

 ……私とお兄ちゃんは、二人でベッドに仰向けになって寝転がりながら、夜の暗い天井を見上げていた。


月明かりがカーテンの隙間から漏れて、一筋の光が暗い天井を斜めに切っている。


私もお兄ちゃんも、どちらも服をきていない。素肌がそのまま触れ合う状態で、上布団の中に胸まで潜っている。


私の頭の下にはお兄ちゃんの左胸があって、少し頭を傾けると、こつんとお兄ちゃんの顔にぶつかる。


「……………………」


しんとした静粛な空気が、部屋全体を包んでいた。世界中の誰も彼もが、私たちのために喋るのを止めているかのような、そんな静けさだった。


「……お兄ちゃん」


そんな中、私がお兄ちゃんに声をかけた。それは囁くように小さく、静かな声だった。


お兄ちゃんは天井を見上げたまま、「どうした?」と、私と同じくらい小さな声で返事をした。


「お兄ちゃん、辛くない?」


「辛いって……なにが?」


「湯水とのこと」


「……?あいつが……なんだって?」


「その……湯水の恋心を利用してること、やっぱり……辛い?」


「……別に、なにも辛くなんかないさ。美結のいじめを認めさせるためなんだ、これくらいへっちゃらだっ……」


「本当に?」


「……………………」


私は、顔を斜め上に傾けて、お兄ちゃんの横顔を見た。お兄ちゃんは寂しそうな瞳で、天井を黙って見上げているばかりだった。


「お兄ちゃん、最近なんだか……とっても苦しそうにしてる。ご飯食べてる時も、一緒にお出かけしてる時も、何かじっと考え込んでる。私、それを見てね?もしかしたら……湯水のことで、ずっと悩んでるんじゃないか?って思って……」


「……………………」


私がさらに問いかけると、お兄ちゃんは深く息を吸った。お兄ちゃんの胸が膨らんで、私の頭も少し持ち上がる。


「……美結、ごめんな。頼りないお兄ちゃんで」


「え?」


「上手くできない俺で……ごめんな」


お兄ちゃんは未だに、物悲しい瞳で天井をじっと見続けている。私もお兄ちゃんと同じ目線になりたくて、顔を真正面へ向き直し、天井を見上げた。


「確かに、美結の言うとおり……罪悪感を抱いてしまってる節はある。あんな奴のことなんて少しも気をつかう必要なんかないのに……俺の彼女がメグちゃんであると嘘をつき、その上であいつが俺に好意を寄せてくることが……どうしようもなく、申し訳ないと思う時がある」


「……………………」


「前回のデートの時、俺を……信頼しているようなことを言ってきただろ?」



『兄貴さんってね?中学時代に三股してたり、セフレをたくさんつくってたり、とにかく女癖が悪いみたいで……』


『アキラはそんな人じゃない!』



「……あれを聴いてしまって以来、どうも俺は……湯水に対して後ろめたい気持ちを抱えてしまうんだ。あいつもなんだかんだ言って……俺のことを、誠実な人間だと信じたいんだなって」


「……………………」


「もちろん、湯水自身が他人に対してたくさん嘘をついてて、今回湯水がこんな風にされることも、自業自得だと言って割り切ることが可能なはずなんだ。でも、心が理屈に追いついてこない」


「…………ごめんね、お兄ちゃん」


「……?なんで美結が謝るんだ?」


「いや、私のせいで……辛い想いさせちゃってるから」


「……バカ、いいんだよそんなこと。君が何も気にすることじゃない」


お兄ちゃんの左手が私の肩を掴み、ぎゅっと抱き寄せた。


「悪いのは俺だ、俺が……」


「……………………」


「半端な覚悟で、半端な気持ちでいるせいなんだ」


「半端な……気持ち?」


「美結のためなら、なんだってする。そういう覚悟ができているはずだったのに……見てよこのザマ……」


「……………………」


「つくづく自分に嫌気がさすよ。柊さんやメグちゃん、そして城谷さんや藤田くんたち……。いろんな人を巻き込んでおきながら、湯水に対して同情なんて……」


「……でも、それはお兄ちゃんが優しいからだと思う。みんなに優しい気持ちがあるから、湯水であっても、後ろめたくなっちゃう。私はそれが……とっても、お兄ちゃんらしいなって思うよ?」


「……………………」


私がそう言うと、お兄ちゃんは黙ってしまった。良くない答えだったろうか?


「ごめんな、美結」


「え?」


「気を使わせて……ごめんな」


「そんな……いいのに。そんなところまで気にしないで?ね?」


「……………………」


お兄ちゃんは、さらに私のことをぎゅっと抱き締めて、おでこにキスをした。 私はそのお返しに……お兄ちゃんの左胸に、キスをした。


「「……………………」」


私たちは、またしばらく無言になった。寄り添いあって天井を見つめて、その沈黙を聴いていた。


今、果たして何時なのだろう?感覚的には、おそらく夜中の一時とかだと思う。窓の外からも音はないし、隣の部屋の人の音もない。


草木も眠る丑三つ時なんて言葉があるけれど、まさしくその通りだなと思った。


「……俺さ」


その沈黙を破ったのは、お兄ちゃんだった。


「とりあえず、このままあと一回……あいつと、デートをしてみる」


「……うん」


「その後……その後は…………」


「……ねえ、お兄ちゃん」


「ん?」


「私、湯水に会うよ」


「え?」


私がお兄ちゃんに顔を向けると、お兄ちゃんの方もこちらを観ていた。心配そうに眉をひそめているのが、暗闇の中でもはっきりと見えた。


「最後のデートまで終わったら、私とお兄ちゃんのことを、明かしてほしい。そして……私が、湯水の前に出る」


「…………何をするんだ?」


「……分からない。でも、私が出ないといけない気がする。みんなが勇気を持って湯水と接してるのに、当事者の私が……何もしないなんて……」


「……………………」


お兄ちゃんはぐっと、真一文字に口をつぐんだ。そして、私の頭を左手で撫でながら、眼を細めた。


「……無理しなくていいんだよ?美結。俺たちはみんな、美結を守るためにやってるんだ。だから……」


「……………………」


だけど、私の顔をじっと見つめていたお兄ちゃんは、そこで一度言葉を止めた。たぶん……私の気持ちを汲み取ってくれたんだと思う。だから次の言葉は、こんな風に繋げられた。


「……でも、まあ、そうだな。今度柊さんたちに相談してみよう。みんなでこれからどうするか……考えてみようか」


「うん……」


……私は、お兄ちゃんのことがたまらなく愛おしくなって……眼を瞑り、頭をお兄ちゃんに傾けた。お兄ちゃんの頬が、私の髪に触れるのが分かる。


「……お兄ちゃん」


「なんだい?」


「大好き」


「……………………」


「愛してる……」


私の眼から、ふいに涙がこぼれた。なぜなのか分からない。


それは、悲しみだったり苦しみだったり……あるいは、喜びだったり愛だったり……。


分からない、とにかくいろいろな感情が、その涙の粒に込められている気がした。


「お兄ちゃん、私と一緒に、幸せになろうね」


「……………………」


お兄ちゃんが、自分の頬を私の頭にすり寄せながら、「そうだな」と、小さく呟いた。


その声は、少しだけ震えているように思えた。


「二人で一緒に、ここまで来たんだもんな。きっと幸せになれるさ」


「うん……」


「ずっと……そばにいるよ。美結」


「うん、私も……お兄ちゃんのそばにいる。ずっとずっと、一緒にいる」


「うん」


……私たちは、その言葉を最後に、二人とも眠りについた。


静かな夜は、さらに静かに…………ひとつの物音も囁きもないまま、夜はふけていった。










「……はあ」


朝の七時半。


私……湯水 舞は、誰もいない下駄箱で盛大なため息をついた。


下駄箱は、上段に上履きを入れ、下段に靴を入れるようになっているのだが、その上段……上履きの方に、手紙が入っていた。


白い便箋に入れられた、丁寧な作りの手紙だ。


「……………………」


その手紙を取って便箋を破り、中身を取り出す。一通り読んでみると、それは私の想定通り、ラブレターだった。



ビリリリリッ!!



手紙を真っ二つに引き裂いて、ぐしゃぐしゃと丸めた。そして、それを廊下に置いてあるゴミ箱へ放り投げた。


「バカにすんじゃないわよ」


クラスへ向かう廊下の途中で、私は捨て台詞を吐いた。 だって、あの手紙……あまりにも無神経すぎるんだもの。



『最近、湯水さん髪の毛を水色にしたね。とってもかわいいよ』



ってなんて書いてあるのよ?何を言ってるのよ。お前のために染めたんじゃないから。勘違いも甚だしい。


これだから頭の悪い脇役は嫌いなのよ。脇役はね、脇役としての自覚を持つべきよ。あくまで主役である私を輝かせるための舞台装置……。シンデレラが結婚するのは王子であって、村人Aじゃないんだから。


「私、バカはやっぱり嫌いね。この世のバカはみんな死んでくれないかしら」


再度捨て台詞を吐いて、私は自分のクラスに入った。 クラスメイトは誰一人としていない。当然よね、朝7時半なんて誰もいるわけないわ。


いつもならこんな時間に来ることはないんだけれど、考え事をしたくって、わざわざ誰もいない時間帯を狙って来たってわけ。


私は自分の席まで歩いていって、鞄を机に置いて、椅子に腰を降ろす。そして、その机に突っ伏して、ぼーっとその考え事をする。


考え事というのは、アキラのことだ。


(……残るデートは、あと一回。その一回で……なんとかアキラを惚れさせたい……)


しかし、アキラを惚れさせるには、一体どうすればいいのだろう? どんな場所に行っても、どんな体験を一緒にしても、アキラが私に靡くイメージができない。


成功するイメージができないというのは、私にとってかなり……屈辱的なことだった。


イメージとは、成功するために不可欠な要素。イメージがあって初めて、人は動くことができる。


本当の天才とは、そのイメージが隅々まで行き渡っていて、それ通りに物事を運べることができ……そしてついには『当たり前にこなせる』ようになる人間のことを言うのだ。


(……だから、この私がイメージできない……なんてこと、あってはならない。なのに、あのアキラは……きっと平田のことを裏切らないだろうなって、それがアリアリと分かってしまう)


私は顔を机へ横向きに乗っけたまま、平田の席へ眼を移らせた。


(そして……アキラが平田を裏切らないことを、心のどこかで望んでいる自分がいる)


この気持ちが、私にとっても非常に驚きだった。


意味が分からない。私に靡かないことを望む?あまりに心がちぐはぐすぎる。


私はアキラがほしい。何がなんでもほしい。でも、アキラが平田を見捨てて私のところへ来てしまうと、私はアキラにひどく失望するような気がする。


その他の有象無象とアキラも同じだったのかと、そんな風に思うんじゃないかしら?


だから私は、平田に何も手を出さない。やろうと思えば、彼女の浮気をいくらでも捏造して、別れさせてやることだってできる。たぶん、今までの私なら平気でやってる。


それをやらないのは、平田にそんなことをしたところで、アキラはたぶん、彼女を見捨てやしないだろうからだ。


(……それに…………)


それに、もし私が平田の浮気を捏造したら、おそらくアキラは真っ先に私を疑う。


『湯水の捏造に違いない』と、妙に勘のいい鼻で探ってくる。


そうなれば、アキラの私に対する信用はガタ落ち……。今まで以上に、嫌われることになる。0点どころの騒ぎじゃなくなる。


「……………………」


……この際だからはっきりしよう。


私は、アキラに嫌われたくない。


この事実から目を背けてしまっていたが、いよいよ受け入れるしかなくなった。


いや、というより……受け入れるもなにも、嫌われたくないというのは、別に何も恥ずかしいものではないと自覚したからだ。


だって、私はアキラをほしいと思ってるのよ?ほしいと思う人間に嫌われるのは、不快というか……まあ、普通に嫌じゃない?


だから嫌われたくないと思うのは、至極当然のことなの。


そう、あくまで合理的に考えた上で、嫌われたくない事実を認めた。そういうことよ。


「……………………」


……アキラ、私はあなたがほしいと思ってる。でも私に靡いてしまったら、きっと失望する。


変な感情よね、全く。今まで経験したことのない……極めて非合理的な気持ち。


そのことを、アキラ……あなたに話したら、あなたはバカらしいと言って笑うかしら?それとも、気持ち悪いと言って顔をしかめるかしら?


「……いいえ、違うわね」


あなたは……悲しい顔をして、何も言わずに私を見つめてるような気がする。


そうよアキラ、私には分かってるんだから……。


「……………………」


耳をすますと、グラウンドで朝練をしている野球部たちの声が、微かにうっすらと聞こえる。そのくらい、教室の中は静かだった。


「……だな」


「……ですね。だから……」


ふと、その野球部たちの声に混じって、廊下の方から話し声が聞こえた。小さすぎて確認できないけれど、もしかするとそれは……。


「……アキラ?」


そう、たぶん……アキラだと思う。

アキラと……それから女。おそらく平田だろう。その二人の会話する声が聞こえる。


「……………………」


何を話しているのか興味が沸いた私は、音を立てずに席を立ち、抜き足差し足で、教室の引き戸まで歩いてきいった。


「……としては、そういう気持ち……なのかなあって思うんだよ」


「でも、私はまだ時期尚早な気がします。湯水と近づけるは、やっぱり危険だと思います」


「俺もそう思うんだけど……。うーん、一回柊さんとかに相談してみようかな」


「そうですね、その方がいいと思います」


私が引き戸に近づくにつれ、その声がだんだんと鮮明になってくる。


(私の話をしている……?)


余計に気になった私は、引き戸をそー……と開けて、顔を少しだけ廊下へ覗かせた。


すっと伸びるその廊下の先、おそらく5mくらいの距離の地点で、やはりアキラと平田が会話をしていた。


その場にしゃがみこんで、廊下側からは見えないように、引き戸を背にして聞き耳を立てる。


「それじゃあメグちゃん、またお昼休みに」


「はい、お待ちしてます」


「ごめんね、いつも俺と一緒にさせてしまって」


「いえいえ、私は全然構いません。本当の彼女みたいで、嬉しいです」


そう言われたアキラの、照れ臭そうに笑う声が廊下に響いた。


(……なに?どういうこと?)


私は、彼らの会話の中にあった……とある単語が脳裏に焼き付いた。



“本当の彼女みたいで、嬉しいです”



(なに言ってるのよ平田、あなた、あなたが本当の彼女……でしょ?え?違うの?本当の彼女じゃないの?)


私は額に手を当てて、ぐっと眉間にしわを寄せた。


あの会話をそのまま受けとると、平田とアキラは本当は恋人同士じゃなくて……偽物の恋人ってことになるけれど……。


(まさか、でも……そんなわけ……)


だって、あの平田は……間違いなくアキラが好きだ。それは感覚的に理解できる。


なぜなら、眼差しが違う。あれは本当に、恋をしている人間の眼差し。


(私は、大量の男たちを落としてきた女……。恋を込めた眼差しがどんなものか、熟知している。今日の朝だってラブレターを貰った。この前だって告白された。元カレにも未だに執着される。彼らが私に向ける眼は、まさしく切望の眼差し。心から欲する眼差し。すなわちそれが……恋の眼差し……)


そんな私だからこそ、平田がアキラに向ける眼差しが本物の恋であることくらい、すぐにわかる。


……いや、待って。眼差し云々以前に、あの女は今『彼女みたいで嬉しいです』と答えた。


この言葉からもわかるように、平田は絶対にアキラが好きだ。本物の恋人関係かどうかはこの際置いておいて、平田の好意そのものは、間違いなく本物だ。


(じゃあ、仮にその関係が偽物だったとして……なんで二人は、そんなことをしているの?)


目的はなに?なんのために偽物の恋人を演じるの?なぜ演じる必要があるの?


……今すぐに予測できるものとしたら、おそらく、平田からの要望。



1.平田がアキラに告白する


2.アキラは恋人になることを渋ったので、平田が「少しの間、仮の彼女にさせてください」と要望する。


3.しばらく二人で過ごしてみて、本当に気が合うと判断したら、晴れてちゃんとした恋人になる



……みたいな感じ? いやでも、これでは筋が通らない。


アキラは常々、私にこう言ってる。


『自分はメグちゃん一筋だ』


『湯水、お前とのデートで彼女を不安にさせるのは嫌だ』と。


つまり、アキラの方もちゃんと平田へ好意を抱いてる。よって、きちんと両想い……であるはず。


それに、あのアキラよ?アキラは絶対、人に対して曖昧な態度を取る人間じゃない。 告白されて、その人と付き合えないと思ったら、ちゃんと断る。付き合いたいと思ったら、仮ではなく正式に受ける。


『それが誠実さだろ?』と、そう語る人間だ。


仮の彼女だなんだって、本命以外の女の子をキープして思わせ振りなことをするなんて、あの男はしない。


(なのに、偽物の恋人?まさか、そんなはずはないわ。まさか本当にあの日髙が言ったように、浮気性なの?でも、あのアキラに限ってそんなこと……)


そう、頭で弾き出した理屈では、そういう答えに行き着くのだが、あの平田の言葉が……どうしてもその答えを納得させてくれない。


朝の静かな教室と対照的に、私の胸はざわつきで満ちていた。理解できない、納得できないという思考が、不安と不気味さを呼び起こす。


アキラ……あなた、一体何を考えているの?




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