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64.話をしようぜ

8月15日、午前11時23分。


私、城谷 楓は千秋ちゃんを連れてパトカーに乗り、ある“男”の家へと向かっていた。


私が運転する横で、千秋ちゃんはじっと窓の外を睨んでいる。


「本当に……明くんはいるのかな?その男の家に」


私が運転しながら彼女へそう尋ねる。千秋ちゃんは「正直、いる確率は30%未満だと思う」と、自身の推察をはっきり口にした。


私たちが向かっているのは、『真田 仁』という独身男の住むマンションであった。


明くんの行方が分からなくなってから、早2日。私たちは彼の行方の手がかりとして、明くんが所有していたスマホに眼をつけた。


スマホには紛失時にすぐ発見できるよう、GPSで捜索する設定を付与する機能がある。よって、彼のスマホ端末の場所を検索することで、自ずと彼の居場所も特定できると推察した。


もっとも、ピンポイントでここ!と場所が特定できるわけではない。半径300メートルくらいの誤差は生じてしまう。その誤差を解消するために役立ったのが、千秋ちゃんが澪と喜楽里に作成させた『湯水の元カレリスト』だった。


湯水が自分の身を隠し、その上で明くんを誘拐し監禁するとなったら、ホテルや宿泊施設を借りるというのは難しい。少なくとも共犯者がいて、なおかつその共犯者の自宅を借りることが、湯水にとって最も都合のいい場所だと言える。つまり、スマホのGPS捜索で把握した半径300メートルの中に、湯水の元カレ宅が含まれていたら、その場所が最も怪しいと睨めるのだ。


そしてその元カレ宅こそ、『真田 仁』という男の家だった。


「年齢27歳、職業は美容師……だったよね?千秋ちゃん」


「そう、湯水と付き合っていたのは約2年前……真田が25歳の頃。湯水の行きつけの美容院が真田のところだったって、澪と喜楽里からは聞いてる」


「明くんのスマホ探索によって絞られた範囲と、その範囲の中にあった湯水の元カレの家……。私としては、ほぼ間違いなく彼の家に明くんがいると思っているんだけど、千秋ちゃんは違うの?」


「そうね……湯水が誘導してる可能性も捨てきれない」


「誘導……」


「スマホがGPSにて捜索できることを、あの湯水が知らないとは考えにくい。明氏が外部と連絡を取れないようにするためにも、湯水がスマホを預かり、破損あるいは廃棄するのが普通だと思う。それをせず、敢えてスマホを生かしたまま、私たちに捜索される余地を与えるようなミスを、あの湯水が犯すだろうか?」


「それは……まあ、確かに」


「もし私が湯水なら、そのスマホは囮に使う。自分たちの居場所とは真逆の方向……そこに住む元カレに明氏のスマホを託し、警察の捜索を目眩ましする」


「ってことは、真田は明くんのスマホを所有しているだけで、明くん本人はいないと?」


「おそらく。ただ、明氏のスマホを湯水から預かっている以上、少なくとも今回の事件に関与していることは明白。明氏のスマホが見つかり次第、誘拐の容疑をかけて真田を確保、事情聴取を実施して明氏及び湯水の行方を聞き出す……」


「なるほど……」


「そして、湯水もたぶんそのことを予測しているはず。だから真田は、口が固くて押し黙るか、あるいはでたらめばかりを言う人間だと思う」


「あ……そっか。囮の人間から情報が漏れないようにするために……」


「そう、それを踏まえると、真田から聞き出せる情報はおそらく少ない。だからあまり期待しないでおこう。それより、真田の住所……その付近に湯水はいないと考え、捜査する箇所を新たに決定する。ま、たぶんそんな流れになるかな」


「ふーむ、確かに……。でも千秋ちゃん、そこまで分かっているんなら、どうして今日は千秋ちゃんも真田の家へ行くことにしたの?」


「私の推測が、きちんと確証を持てるものかどうか、真田を観て判断しようと思ったから。現場も観てみたいし、何か他に手がかりを見つけられるかもしれない」


……相変わらず、千秋ちゃんの洞察力は鋭い。知らぬ間に、相手の二手先、三手先まで読んでいる。


「さすがだね、千秋ちゃん。あなたの推理力には、いつも驚かされちゃう」


「……今回の相手は、似てるかも知れない」


「え?似てる?」


「うん」


「似てるって、誰に?」


「私に」


……なんとも要領を得ない答えだった。私は横目でちらりと、一瞬だけ千秋ちゃんを見た。彼女は窓の外を眺めたまま、なんだかじっと考え込んでいた。


「千秋ちゃんに似てるっていうのは……その、真田が?」


「いや、湯水に」


「千秋ちゃんが湯水に似てる?そうかな……?私はそんなことないと思うよ?」


「……………………」


「どうして、似てるって思ったの?」


「……わからない。だけど、直感的にそう思う。仮面を被っていた頃は全くそう思わなかったけれど、今……明氏を必死に愛そうとする奴の行動を観てみると……私の姿とダブるところがあるのを感じる」


「ダブる……ところ」


「私にはひとつのポリシーがある。愛されるより、愛すること。それが生きることだというポリシーが」


「うん、よく千秋ちゃんが話してくれるよね」


「あの湯水も、今……不器用ながらも、明氏を愛そうとしている。だけど、その愛し方がよく分からなくて、暴走している感じ。私も一時……そんな時期があったから、よく分かる」


「……………………」


「城谷ちゃんから学生時代に、いじめのこととか……いろいろ助けてもらった時、私は最初……城谷ちゃんのこと避けてしまった。『自分が愛されるわけがない』『自分が何かを愛せるわけがない』と、そんな風に殻に閉じ籠った。城谷ちゃんには迷惑かけちゃったし、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいになる」


「そんな……気にしなくていいのに」


私は千秋ちゃんの言葉に苦笑しつつ、運転席側と助手席側の窓を少し開けた。


蒸し暑くなってきたので、風を入れようと思ったのだ。 ぶわあーっと外から入り込む風に、私と千秋ちゃんの髪がたなびく。


「でも、じゃあ……今の湯水は、当時の千秋ちゃんと似てるってことなのかな?」


「そう……彼女は彼女なりに、自分の殻を破ろうとしているのかも知れない。今まで死体のような人生だったのが、何かを愛そうとすることで、ようやく生き始めた。そんな風に思える。もちろん、やっていることは最悪極まりないことだけど……なんとなくその感覚が、昔の私を見ているような気がしてならない」


「……………………」


千秋ちゃんのことを、私はまた横目でちらりと見やった。彼女は未だに窓の外を眺めていたが、どことなく哀しそうな……切なげな空気をその瞳にたたえていた。


「湯水、ひょっとしたらお前も……死にたいと思っているのかな」


千秋ちゃんは最後に、そうぽつりと呟いた。 私たちの車は、そのまま真っ直ぐ進み、真田宅へと向かっていった。








……窓の外から見える入道雲が、びっくりするほどに大きかった。


その入道雲を目掛けて、自転車を走らせる日はいつか来るんだろうか?と、そんな風に思う日の午後、私はメグとスマホを介して電話をしていた。


『美結、明さんの行方は、まだ分からない……のかな?』


メグの心配そうな声が、私の耳に届く。


「うん……。柊さんたちがお兄ちゃんのスマホをGPSで探索して、行方を探してる最中なの」


『そっか……。やっぱり、湯水が誘拐したんだろうね』


「……………………」


『……でも、きっと大丈夫……だよ。あの明さんのことだから、きっと湯水のこと上手く言いくるめて、無事でいられるはずだよ』


「……………………」


『……ごめん、美結。無責任に……大丈夫とか、言っちゃって』


「……ううん、気にしないで」


『……………………』


「メグの方は、大丈夫?もう、変なことされてない?」


『うん、澪と喜楽里が捕まってから、SNSの炎上も落ち着いていったし、藤田さんや葵さんへの嫌がらせもぴたりと無くなった。やっぱりあの二人が、湯水の命令を主で受けてたんだと思う』


「そっか、それなら……良かった」


『……………………』


……どうしよう、上手く会話が続かない。


今こうしている間にも、お兄ちゃんが湯水に酷いことされてるんじゃないかと思って……気が気じゃない。 あの湯水のことだから、本当に容赦ないことしてそうで……。


その不安が時間を増す毎に強くなっていって、心臓がバクンバクンって揺れる。


このまま、この場所に留まっているだけでいいんだろうか?何か私は、お兄ちゃんのためにできることはないんだろうか?


どんな些細なことでもいいから、お兄ちゃんのために何か動きたい。そうでなきゃ、気が狂いそう。


部屋で一人悶々と、お兄ちゃんの身を案じている時間を過ごすしかないなんて、頭がおかしくなる。


もちろん、柊さんからは『今美結氏が動くのは危険です』と釘を刺されている。お兄ちゃんを拐ったことで、私のことを炙り出す計画かも知れないからだ。


しかし、かと言ってこのまま何もしないのは、私もいい加減どうにかなってしまいそう。


『ねえ、美結』


「……なに?」


『私たちでさ、何かできること……したいよね』


「!」


『いや……実はちょっと前にもね?藤田さんたちとその話をしてたところなの。美結は立場上難しいかも知れないけど、きっと一番……何かしたくてたまらないよね』


「……………………」


さすがメグ、私の気持ちを察してくれている。


そう、本当に今、居ても立ってもいられない状況にいる。下手な焦りは禁物だけど、でも、でも……。


『確か今、柊さんたちが明さんのスマホから位置情報を割り出して、そこに向かってるんだっけ?』


「そう、柊さん曰く“たぶん囮”だという話だけど、どうなんだろう……?」


『そう言えば、湯水は澪と喜楽里にメールや電話で指示をしてたみたいだけど、湯水のスマホの位置情報は検索できないのかな?』


「いや、それが電話とかは公衆電話から、メールもどこから送信されてるか分からないように、いろんな端末機器から送信されてるみたいなの」


『うーん、用意周到だね』


「うん」


『……どうやってるのかな?湯水の仲間の携帯とかを借りてるのかも?』


「仲間……うん、たぶんそうだよね」


『むーん……』


「……あ、そうだ、仲間って一体誰なんだろうね?澪も喜楽里も確保されちゃってるけど、お兄ちゃんを誘拐できるってことは、まだあと何人か協力者がいるってことだよね?」


『うんうん、たぶんそれが湯水の元カレなんじゃないか?って柊さんは睨んでるよね。自分に依存させてた相手だから、手駒にしやすいだろうって』


「元カレ……」


そう聞いて、一番最初に思い浮かぶのは、立花という男。


私は彼に一度デートに誘われたことがあるし、それがきっかけで湯水に目をつけられるようになった。


そう言えば、立花は湯水のことをしつこくつきまとってたんだっけ?そこをお兄ちゃんが助けたって話を聞いたことある。


それから考えると、少なくとも立花は湯水に未練たらたら……。湯水が一声かけたら、すぐに仲間になりそうな感じがする。


「立花は……湯水の仲間なのだろうか?」


『え?』


「あ、いや、湯水の元カレで私が唯一面識あるのは立花って人なんだけど、その人は湯水にしつこくつきまとってたみたいでね?」


『ふむふむ』


「湯水が仲間にするなら、そういう人間を使いそうだなと思って」


『確かに……。じゃあ、その立花の行方も捜査してみると、いいかもしれないね』


「うん」


そう言って、私は頷いた。窓の外に見える入道雲は、相も変わらず同じ場所に、どっしりと鎮座していた。












「……………………」


虚無感と虚脱感、そして、罪悪感……。


今の俺に襲いかかっている感情は、その三つだ。


「………はあっ、はあっ、はぁ」


湯水は高揚した笑みを浮かべて、俺の腹の上に座って、こちらを見下ろしている。


俺も湯水も、何も着ていなかった。湯水に全て剥ぎ取られて、ベッドの脇に放り投げられている。


ベッドのそばにあるライトスタンドが、ぼんやりと橙色に光っている。その光が、俺と彼女の裸を仄かに暗闇の中から浮かび上がらせている。


ぽたりと、彼女の顎先から汗が落ち、それが俺の胸へと着く。彼女の全身は汗の光がキラキラと光っていて、腹が立つほどに綺麗だった。


「ふふふ……」


湯水が俺の胸を、指先でなぞるようにして触れていく。


胸から首筋にかけて、奴がつけたおびただしいほどのキスマークと、歯の後がびっしりついている。


「……………………」


俺は、乾いた唇を舌で濡らした。微かに血の味がした。


「……もう満足しただろ、湯水。いい加減どいてくれ」


「あら、何を言ってるのアキラ?まだ“八回”しかシてないじゃない。このくらいでヘバらないでよね」


「……………………」


「ふふふ、お腹がじんじんする。妊娠したらどうしようかしら?」 「……………………」


「ねえ、アキラ。今どんな気持ち?最低で、気持ち悪くて、私のこと……殺したくなる?」


「……そうだな、心底、お前のことを軽蔑したくなるよ」


「ふふふふ……」


湯水は、前髪を左耳にかけた。


彼女の鋭い眼差しは、交尾した後にオスを殺す蜘蛛のことを思い出させた。


むせ返るほどにキツイ汗の臭いで、思考回路がぼやけてくる。今起きていることが、まるで他人事のように思えた。現実に実際起きているはずなのに、どこか心はここになくて……映画のワンシーンを撮影しているかのような、そんな気持ちにさせられた。


「好きよ、アキラ」


湯水が顔を近づけて、俺にキスをしてきた。一体、これで何回目だろう?途中で数えるのも面倒になって、もう覚えていない。


(…………美結………………)


ああ、湯水に痛めつけられる度に、君のことが頭によぎるよ。 それは、俺が汚れてしまった罪悪感だったり、君を恋しく思う切望だったり、いろいろだけれど……。


「またあの女のことを思い出してるのね?アキラ」


……湯水が俺の眼の奥を覗き込むようにして、そう告げる。俺はごくりと唾を飲んで、眼を閉じる。


「今は、私を憎むことに集中してよ。あの女のことは、今はいいでしょう?」


「……………………」


「ふう……ま、仕方ないわね。さっさとあの女の居所をつきとめなきゃ。拘束して、何人もの男たちに襲わせて……泣き叫ぶ様を、いつかあなたに見せてあげるから、楽しみにしてて?」


「………それだけは、許さない。もしそんなことをしたら……絶対にお前を殺す」


「本当!?それは嬉しいわ。ぜひお願いしたいところね」


「……………………」


……この堂々巡りなやり取りも、どれだけ繰り返されたことか。もう辟易し尽くしているし、この女の異常さに憤りばかりが募って、いよいよ頭がおかしくなりそうだ。


「さて、アキラ。そろそろ続き、始めましょう」


そう言って、湯水は俺の胸にキスをした。


「……………………」


もう、本当に殺してしまうか?この女。 美結への被害が及ぶ前に、この女を殺してしまえば……美結を守ることができる。


そうさ、正当防衛だよ。この女がイカれてるから、殺してやった。この女も、俺に殺されることを望んでる。迷うことなくWin-Winさ……。


「……………………」


……だが、俺はそれでも……本気で殺そうとはしなかった。


この女に、何か同情でもしているんだろうか?俺にここまで執着してしまうほど、孤独な女だったということに……俺は、奇妙な憐憫を抱いている。 可哀想な女だという思いを……消すことができない。


(……客観的に考えると、俺はもしかしたら……ストックホルム症候群なのかもしれない)


ストックホルム症候群とは、自分に危害を加えようとしている人間に対して親密な気持ちを抱いてしまう、パニック障害の一種。


誘拐された人が、誘拐犯に恋をしてしまったりするのも、このストックホルム症候群が原因と言われる。


自分の命を守るために、危害を加えようとする者にすり寄って、生存率をあげようとする……わりと合理的な、生命本能のなせる技なのだろう。


「……なあ、湯水」


俺は暗い天井を仰ぎながら、やつに向かって話しかけた。


「なに?アキラ」


湯水が俺の首筋を舐めながら、そう答える。


「お前は……どうして死にたいんだ?」


「別に、死にたいわけじゃないわ。ただあなたに殺されたいだけ」


「……………………」


「あなたの憎悪を全部、私にちょうだい?」


そう言って、湯水は肩と首のつながるところに、甘く噛みついた。 ちくっと刺す皮膚の痛みに、思わず顔をしかめる。


「……なあ、湯水。俺と話をしようぜ」


俺がそう話しかけると、湯水は噛むのを止めた。そして、噛み跡にキスをして、「話って?」と、そう訊き返す。


「……俺とお前は、本当に憎しみでしか繋がれないのだろうか?もっと上手に繋がることができるんじゃないか?」


「……………………」


「お前だって、俺から憎まれるために、こんな危険なことを犯す必要なんて、非合理的だと思っているだろ?」


「……ふふふ、なるほどね」


湯水は身体を起こして、俺の顔を覗き込んだ。鼻先が触れ合うほどの距離から、彼女は俺を見つめている。


「守りたいのね、渡辺 美結のことを」


「……………………」


「私と憎悪以外で繋がる方法を示して、私がそれに合意すれば、渡辺 美結への被害を無くせると……そう思っているのね。あなたのことを怒らせて、私を憎ませる必要がなくなるから」


「……ちぇ、バレてたか」


「舐めてもらっちゃ困るわよ、アキラ。私は天才なんだから」


「ホントだぜ、無駄に頭が切れやがって」


「ふふふ」


「……………………」


「先に言っておくけど、たとえあなたと憎悪以外で繋がれるとわかったとしても、あの女をつけ狙うことは止めないから。あの女は、あなたの心を奪った。私がこの世で一番好きな男を先に盗んだ。ナイフでメッタ刺しにして殺したいくらい、罪深い女よ」


……時間が経つにつれて、湯水の俺への想いがどんどん強くなっている気がする。


湯水が美結の名を語る度に、隠れた怒気が口から漏れ出ているように感じる。


(俺へ嫌われたいだけなら、まだ美結を助ける手だてもあったが……単純に美結への嫉妬なのだとしたら、もう……止めるのは難しいかも知れない。美結、なんとか……ずっと隠れていてくれ…………)


湯水の視線を真っ直ぐに受けながら、俺は美結の身を案じていた。


「アキラ、私はね……悔しくて悔しくて仕方ないのよ」


「……………………」


「渡辺 美結とあなたが出会う前に、私があなたに出会えていたら……きっと、きっと、私は絶対に幸せだった」


「!」


「あなたとのデートを思い出す度に、胸がきゅっと苦しくなる。あんなに楽しかったことなんて、今まで一度だってなかった。私があなたとのデートを、頭の中で何回反芻したと思う?最初に待ち合わせした時から別れ際の挨拶まで、細かく細かく、味の薄れたガムを噛むように、楽しかった記憶を身に染みさせていったのよ」


「……………………」


「ああ、アキラ。いっそのこと、あなたと出会いたくなんかなかったわ。出会わずに居られたら、こんなに……こんなに苦しい想いをせずに済んだのに」


……眉をひそめて、己の本心を語る湯水は、本当に寂しそうだった。 あんなデート二回を、何度も思い出していたなんて、知らなかった。そんなにお前は……楽しかったのか。


「……………………」


ちくしょう、まただ。また俺は湯水に同情してる。


この八方美人め、いい加減にしろ。この女は、俺たちに散々酷いことをして、あまつさえ美結のことを殺したいと言った女だぞ。それなのに……。


「……湯水」


俺は……自分の想いとはまるで真逆の言葉を、いつの間にか口走っていた。


「デートを、しよう」


「……え?」


「あと一回、デートをする約束があっただろ。それを……しよう」


「……ふふふ、バカなこと言わないでよ。あなたを外に出せるわけないじゃない。隙を見て逃げ出して……私を警察に通報する。その魂胆が見え見えよ」


「いや、そんなことしないよ。きちんとデートする。約束した回数以上はできないが……約束の範囲内でなら、許容する」


「なにを言って……」


「俺のことが、信じられないか?」


「……………………」


彼女は、俺から眼を逸らした。かなり狼狽えているのだろう、視線が泳いでいるし、瞬きも多い。


「なあ湯水、なんでお前は……俺を好きになったんだ?」


「なんでって……」


「今さら恥ずかしがるなよ。ゆっくりでいいから、話してみろよ」


「……………………」


湯水は、口をへの字にして閉じた。頬を赤らめて、チラチラと俺を見る。俺をガッツリ犯したくせに、なんでこういうところはウブなんだか……。本当に変な女だ。


「……上手く言えないけど、いい?」


「いいよ、言ってみな」


「………………あなたの前だと、自然体でいられるから。本当の私をさらけ出したら、それに対して、全力で応えてくれる気がするから」


「全力で、か」


「私の嫌なところは、嫌だと言ってくれる。本当に本心からそう言ってくれるから、安心するの」


「なるほどな。じゃあ、“本当の私”ってなんだ?」


「……………………」


「お前、まだ俺に隠してるんじゃないか?」


「……………………」


「それをきちんと、俺に見せてみろよ。俺から嫌われようとしてるのは……本当の自分を見せることから逃げてるからじゃないか?」


「!」


湯水の顔が強張った。図星だったようだな。


……なぜ、俺はこんなことを口走っているのだろう?頭で考えるより先に、言葉が喉を通って出てきてるみたいだ。


「……………………」


湯水は、ゆっくりと俺の方へ顔を向けた。


その瞳には、恐れと迷い……そして微かな切望が、込められているような気がした。




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