私の名は蘇夏琳。父は上級官吏で、母の実家は都でも指折りの商家。
一人娘である私は、どこに嫁いでも恥ずかしくない女性になるため、両親には幼い頃から厳しく育てられました。
今となっては甘やかしが過ぎる両親へと変貌してしまいましたが、あの頃の私は習い事や所作、言葉遣いに至るまで、教えていただいたことはすべて完璧でいようと必死でした。
それもこれも姚妃様のおかげであり、父はさらに出世し、母は心底喜んでいました。そんな中、第一皇子である青藍様の花嫁探しの儀式の話が舞い込んできたのです。
青藍様といえば、三人の皇子の中でも聡明で優し気な面立ちという印象があり、私は迷うことなく承諾しました。
姚妃様が言うには形だけの儀式で、すでに候補は数人決まっているとのこと。その中のひとりに、私を推薦してくださったのだそう。所謂、やらせ。けれども候補の中で残れるかどうかは自分次第とのこと。
しかし儀式が始まってすぐ、ある事件が起こってしまいます。
皇子の命を狙った賊が紛れ込んでいたという事実にも驚きましたが、なによりも、暗殺されそうになった皇子を庇って、倒れた花嫁がいたのです。その者は美しい白銀髪の小柄な少女で、青藍様が率先して指示を出していました。
そんな中、花嫁候補の中に自分は父親が元医官だと名乗る者が現れ、姚妃様も治療に対して許可を出してくださった様子。
私は血に染まっていく少女の右肩を見つめたまま、怖くて動けずにいたのです。まさか目の前でこんなことが起こるだなんて、誰も予想していなかったこと。
青藍様はその者を抱き上げ、医者の心得があるらしい娘と共に行ってしまいました。海鳴様は青藍様が指示した、集まった花嫁たちの身の安全を確保した後、主の許へ。
花嫁候補たちは一旦解散させられ、儀式自体が延期となってしまいました。あんな騒ぎがあったのだから、仕方のないこと。私はほんの少しの間でも夢を見させてもらった幸運に感謝し、侍女たちと共に邸に戻りました。
――――数日後。
「お茶会、ですか?」
父が言うには、姚妃様から直々にお誘いをいただいたとのこと。
「私が、皇子様の花嫁のひとりに?」
顔合わせも兼ねて、紹介してくれるという。こんな僥倖、この先あるかどうかわからない。両親も思わぬ提案に驚いた様子でした。私に拒否権などありませんし、寧ろ光栄なこと。とびきりのおめかしをして、お茶会に臨みました。
しかし、またもや問題が起こります。青藍様があの少女を連れて来たのです。後にそれが姚妃様が仕組んだのだと知りましたが、あの時の私は多少ムキになっていて、暗い顔で佇む彼女に対してキツく当たってしまいました。
「私は、蘇夏琳と申します。お言葉ですが、やはり素性の知れない者を傍に置くのはどうかと思います。しかもご自身の宮殿内に住まわせているとか。特別扱いが他の花嫁候補たちの耳に入れば、その子に対して非難の声が上がるかもしれません」
青藍様はその素性も知れない子を花嫁にするなどと言い、姚妃様もそれに対して好い印象をもっていないご様子。第二皇子の蒼夏様はいつも通り、
「母上、兄上の花嫁が駄目なら、俺の花嫁にするのはどう?」
などと、ふざけたことを言う始末。
「蒼夏様、笑えない冗談はやめてください」
私も呆れ半分で、あんな言い方になってしまいましたわ。
「なんにせよ、その子を花嫁にするなら、素性を確認する必要があります。いくら身分の格差が花嫁には関係ないといっても、誰とも知れない者を次期皇帝陛下の正式な花嫁にすることはできません」
姚妃様の正論に対して、私もそれに同意し頷きます。
「そこで、提案があります。この蘇夏琳をもうひとりの花嫁として迎えるのはどうですか? もちろん、その子の素性がわかるまでは、花嫁候補として傍に置いておいてもいいでしょう。しかし万が一にでも相応しくないとわかった時は、私が選んだ彼女を、花嫁として認めてもらいます」
姚妃様は初めから用意していたかのようにその件を持ち出しましたが、青藍様の答えは····。
「いえ。私の花嫁は、今生でただひとり。心から愛している、彼女だけです」
そう言って、呆然と立ち尽くしているその子の手を取ると、見たことがないような甘くて穏やかな笑みを浮かべて、はっきりと自分の気持ちを口にしたのでした。その言葉を真正面からかけられた彼女は、みるみる顔が真っ赤になって、超絶可愛らしかったのを憶えています。
「な、な、な、なに言って····るん、ですか? あい······は? ええっ⁉」
その時、私の中でなにかが弾けたような音がしました。
(なんて可愛らしい方なのでしょう!)
今まで、誰かに勝つことしか考えていなかった自分が恥ずかしくなるくらい、その純真無垢な姿に感動した私。それは私だけでなく、姚妃様も同じ気持ちだったようで····。
「こほん! そこまでです。私たちはいったい、なにを見せられているんです? とにかく、この件は一旦保留です。せっかくのお茶会ですから、楽しみましょう。誰か、もう一脚椅子を用意して頂戴」
その後のお茶会は本当に楽しい時間でしたわ。
「ハク様。もしよろしければ、今度一緒に刺繍でもしませんか? その後は私が用意したお菓子とお茶で、おしゃべりをしながらお茶会というのも素敵ですわ。今日のような豪華なもてなしはできませんが、市井でもすぐに売り切れてしまう、人気の菓子がありますの。母の知り合いの店なので、持参致しますわ」
白銀髪の少女の名は、ハク様。宝石のように赤くて綺麗な瞳が特徴的な彼女は、本当に可愛らしくて。このまま眺めていたい気持ちになりました。
「え····そんな、わざわざ申し訳ないです。私なんかのために夏琳さんの手を煩わせるわけには、」
「私がそうしたいのです。お暇な時でかまいませんから、ぜひ」
「でも····私も居候の身で、」
ハク様は遠慮がちに隣に座る青藍様に視線を向けると、青藍様は「かまわないよ、好きにするといい」と許可をくださったのでした。
「えっと····じゃあ今度、一緒に遊びましょう」
遊ぶ?
「夏琳さんと友だちになれて····すごく嬉しいです」
友だち?
「あ、すみません迷惑、ですよね。私みたいな素性の知れない者と、夏琳さんが友だちになんてなれるわけ、」
「つまり、親友ということですね! 素敵ですわっ」
「え? あ、えっと······親友、ですか?」
その時の私は、胸の前で手を合わせて笑みを浮かべ、喜びで震えておりました。青藍様がなぜかジト目でこちらを睨んでいるようにも見えましたが、きっと気のせいでしょう。
こうして楽しいお茶会は終わり、帰路に着く。両親には申し訳ない気持ちになりましたが、皇子様の気持ちを変えることなど誰にもできないでしょう。事情を話してなんとか納得してくれました。
さらに数日後、青鏡殿から使いの者が招待状を持って邸にやってきました。こんなに早くハク様にお逢いできるなんて、夢のよう!
けれども、この時の私は知らなかったのです。
ハク様の隣には、あの者がいたということを。
番外編1 蘇 夏琳の誤算 前編 ~完~