あれは、間違いなくキラさんが描いただろう、同人誌。しかも開いているページが最悪だ！ ど、どうする？ 白兎はくとはなんでこんなもの持って来たんだ？

（ってか、いつの間にあんな完成度の高いBL本作ってるんだよっ）

　開かれているそのページに描かれているのは、青藍せいらんが白煉はくれんとまさにいたして・・・・いる、ものすごくえっちなシーンの捏造だった！

（あんな描写、BL初心者の白兎はくとが見たらトラウマになる！）

　なんなら、俺自身はめちゃくちゃ好み····ってキラさん、本気出しすぎっ！

「········海璃かいり？」

　もぞもぞと俺の腕の中で、白兎はくとが苦しそうに見上げてくる。無意識に抱きしめていた腕に力が入っていたようだ。

「ああ、ごめん····白兎はくと、あの薄い本って、もしかしてキラさんが？」

「あ、そうだ。俺、どこにやったっけ？」

「いい！ 大丈夫！ あとで俺が拾っておくからっ」

　白兎はくとの頭に「？」が浮かんでいるのがわかる。

「キラさんが海璃かいりに、って言ってたよ？ 確認しなくてもいいの？」

「問題なし。全然、気にしなくていい。ただのイラスト集みたいだし」

　俺は嘘を付いた。あんなの、ただのイラスト集なわけがない。しかし、俺は言葉のチョイスを完全に間違ったことを思い知る。

「キラさんのイラスト集⁉ 俺も見たいっ」

　白兎はくとはこんな時に限ってオタクの血が騒いだらしく、その瞳はキラキラと光が宿って見えるほどだった。しまった····と、俺は引きつる。同時に、油断した俺の腕が緩み、白兎はくとがするりと抜けていった。

　白煉はくれんの身体能力がこんなところで発揮されるとは、思いもしなかった。

　白兎はくとは床に落ちている薄い本を手に取ろうと腰を屈め、開かれたページを視界に映した瞬間。案の定、全身を氷にでも覆われたかのように固まってしまった。

「あ····白兎はくと？ 一応、言っておくけど、俺が頼んだんじゃないからな？ キラさんが勝手に作ったんだからな？」

「······これ、青藍せいらんと白煉はくれん？」

　ぽつり、と呟かれた声はふるえている。

　どう見てもふたりで間違いない。でもあえて確認する白兎はくと。俺は居たたまれなくなって、顔の上半分を右手で覆った。隠したところでもはや遅い。

「······あの時・・・も俺、こんな顔····してたの」

　あの時、とは。

　皇帝との謁見の日の前夜。ふたりの気持ちが通じ合って、キスをして、触り合った時のことだろう。そのページに描かれた白煉はくれんは、キラさんが描いただけあってオリジナル作品そのままの絵柄。青藍せいらんと繋がっているそのページの白煉はくれんの表情は、ものすごく可愛くてしかもエロい。

（あの時は、超絶エロかったな····再現度がヤバい····って、違う！）

　上手い言い訳を考えようとしたつもりが、あの時の白兎はくとの表情を思い出した俺は、一気に耳まであつくなるのを感じた。

「俺····こんなえっちな顔、してた、の····？」

　ぷつん。

　拾い上げた薄い本を胸に抱き、恥ずかしそうに見上げてきた白兎はくとを直視してしまった俺は、理性という細くて脆い糸が切れた音がした。

　気付いたら、白兎はくとから薄い本を取り上げ、無意識に笑みを浮かべていた。見下ろし見下ろされる形で、俺たちは見つめ合う。

「一緒に読んでみる？ 白兎はくと、知りたいってさっき言ってただろ？」

「い、言ったけど····でもそれ、えっちな本でしょ？ 俺自身は十六歳だし、白煉はくれんだって実年齢十五歳だよ？ 内容的に駄目なんじゃ」

　俺はぱらぱらと二十ページほどの薄い本を捲って確認する。BL本のR指定と全年齢版の違い。部分的な修正があるかどうか。そこはさすがのキラさん。微妙に際どいがこれは全年齢版といっていいだろう。あれのシーンの局部などは見えないように描いていて、ふたりの表情だけで表現している。

　ただ、そういうシーンは数ページだけで、同人誌らしくふたりの気持ちが繊細に描かれていた。俺が好きな、物語重視のBLだった。

「内容は問題ないみたいだよ？ 嫌じゃなかったら、初体験してみる？」

　薄い本を白兎はくとの前に差し出し、俺はわざとそんなことを言った。

　だって、その通りだし、ね？

「····が、頑張る」

　頑張るんだ。

　白兎はくとらしい答え。

「じゃあこっち、来て、」

　白兎はくとの手をとって、俺は寝台の方へと向かう。内心は拒絶することなくついて来る白兎はくとに安堵する。

　白兎はくとを先に座らせて、俺はその左隣に座った。皇子の寝台だけあって広いのだが、現実セカイのベッドのようにふかふかではない。

「き、緊張する······あ、表紙、綺麗だね」

　青い厚紙を捲ると、白煉はくれんの左手首に青藍せいらんがあの腕輪を通しているシーンが描かれていた。俺たちは昼間だったけど、このイラストのふたりは月夜に花窓の前という美しい構成になっている。

　白兎はくとは自分の左腕を飾る薄青色の半透明な腕輪を見つめていた。それは、現実セカイでいうところの指輪のようなもの。本来のシナリオ通りだと、婚姻が結ばれた後で青藍せいらんからちゃんとしたものを贈るのだが、白煉はくれんは「これがいい」といって、皇太子妃になってからも身に付け続けるのだ。

「俺ね、本当に青藍せいらんが一番好きだったんだよ？ 本編の青藍せいらんは優しくてカッコ良くて、でも雲英うんえいの前でだけはちょっと抜けてたりするギャップがいいんだ」

「ギャップね····あれ、白兎はくとの前での俺だよ？ 全然格好良くない」

　白兎はくとの前だと、どうしてか上手く立ち回れない時がある。そいういう時は、もうひとりの幼馴染が羨ましく思えてくる。あいつはいつでも冷静で、なんでもそつなくこなすから。

「そんなことないよ？ 海璃かいりはいつもかっこいい」

「それはどうも、」

　おそらく、なんの考えもなしに白兎はくとはそんなことを自然に言っている。俺は照れを隠すように口元を覆って、「次のページ捲って？」と促した。白兎はくとは頷いて丁寧にページを捲る。

「青藍せいらんって、本当に白煉はくれんのことを想ってたんだね。初恋だったんだ····でも白煉はくれんは攫われちゃて、死んだことになってて。でもひとりだけ諦めなかったんだ····何年も、」

　そこには青藍せいらん視点で白煉はくれんを想う気持ちが描かれていた。隣にいる白煉はくれんを見つめるその瞳は、どこまでも優しい。ふたりの想いが通じて、寝台の上で手を取り合っているシーンだ。

「か、海璃かいり····これはちょっと、」

　青藍せいらんが言葉攻めしながら、白煉はくれんの身体に触れている。耳元で囁いているその台詞のふきだしに、白兎はくとは真っ赤になっていた。

「＂白煉はくれん、君を離したくない＂」

「————っ⁉」

　俺はページに視線を向けながら、白兎はくとの耳元で悪戯っぽく囁いてやる。思った通りの反応が返って来て、思わず笑ってしまった。俺は続けて残りの台詞もついでに口に出して読み上げることにした。

「＂ごめん。これから私がしようとしていること、嫌なら今の内に言って？ じゃないと、止められないから＂」

　あれ？ 似たようなこと、俺も言ったな。

「······＂い、嫌じゃない、から。最後まで、してください＂」

「白兎はくと？」

　じっと見上げてくる白兎はくとの真意に、俺は気付いてしまった。もしかしなくても、キラさんが作ったBL本に影響されてる？

「無理しなくていいよ。ハッピーエンドのクリア条件を聞いたんだろ？ あんなの、真に受けなくてもいい。フリだけすればいいはず。俺に良い考えがあって····って、どうしたの？」

「海璃かいりは、俺と····その、したくないって、こと？」

　白兎はくとは涙目でそんな破壊力抜群の言葉を音にした。逆に言えば、それって俺と本気で＂したい＂ってこと？

「俺も最初に聞いた時は無理っておもったけど、でも、海璃かいりとなら、この本の中のふたりみたいに、」

　どうやら白兎はくとには、この薄い本は早かったかもしれない。全年齢版だとしても、自分たちとそっくり、というか自分たちがそいういうことをしている想像をするために十分な内容が、この本には詰まっていた。

　それは、もはや自分たちの生き写しで、感情移入しても仕方がないわけで。

「ちょっと、待った····ほら、まだ最後のページが残ってる」

「····うん、キラさんのあとがき、かな？ ん？ 注意事項？」

　最後の一ページであるあとがき・・・・には、こう書かれていた。

『ここまで読んでくれてありがとう！ ここからは注意事項だよ～。作中では簡単にふたりは合体しちゃってるけど、実際はこんなの無理だから、実践しないこと！ BL漫画あるある。するっと入る受け。ないない。これを読んでしまったそこのあなた！ もし自分の大切なひとと＂する＂時は、ちゃんと慣らしてからするんだよ？ 個人差があるらしいけど、数日は準備が必要だって、知り合いが言ってた。準備っていうのは――――、』

　これ以上はとてもじゃないがお見せできません。

　キラさん、上から下まで最後まで読んでしまった白兎はくとが固まってます。

　俺は袖の中の重みを思い出す。

　蒼夏そうか、お前って····なんでも知ってるんだな。

　そこまで考えて、俺は静かに薄い本を閉じた。