男二人でルームシェアを始めてちょうど三年目の今日。ずっと言えずにいたが、今日こそは言わねばと、いつもより勢い良く家のドアを開けた。
「ただいま!……あれ?シュウ、いないの?」
リビングに入ると、いつもソファで寛いでいるシュウが居なかった。珍しくシュウがまだ帰っていなかったのだ。折角、意を決したのに。と肩を落としていると、ハルの携帯が鳴った。実家からの電話だった。
「ああ、母さん。どうしたの?」
「ちょっと、連絡くらいしなさいよ。いつ帰れるのよ。相手の子の仕事とか引っ越しとかあるじゃない。入籍日も決めたいし……」
やはり、盆休みに決められてしまったハル自身の婚約の事だった。実家にも連絡せず、シュウにも言い出せず、十月中旬の今日まで先延ばしにして、逃げていた。
「あー、今週末に行くよ。結婚の話はそこで決めよう?」
「ハイハイ。必ず帰って来なさいよ。」
念を押すような電話越しの母親の声に圧倒されながら、通話を切る。
「結婚、ってなに?どういうこと?」
その声に振り向くと、シュウが真後ろに立っていた。いつもと違い、少し眉間にシワを寄せて、怒っているようだった。当然だ。同居人といえども大きな隠し事をしていたのだから。
「あ、いや、あの……」
なぜか後ろめたい気持ちになる。しかし、言わなくてはいけなかったことだ。電話を聞かれたという、不甲斐ないキッカケに背中を押される。
「オレ、結婚するんだ。実家からの縁談で……」
「うん。わかった。おめでとう。いつ?」
シュウはいつもの無表情のまま、アッサリと返事をした。こんなにアッサリと終わるなら、早めに言えば良かった。ハルは胸を撫で下ろすと同時に自分への執着が無いシュウに悲しさを覚えていた。
「黙っててゴメン。でも、オレは来週には出ていくよ。シュウの時間を無駄にしちゃいけないし……シュウなんてすぐに彼女出来るって……イケメンだし、大手勤めだし……」
本当はシュウと同居を解消したくないし、シュウに彼女なんか出来て欲しくない。けれども、こう言わなければ自分に踏ん切りが付かない。
「そうか。」
シュウは持っていた紙袋をテーブルに置いた。棒立ちのままハルをじっと見つめる。
「クッキー買ってきたけど、食べる?」
「いや、要らない……」
とても何かを食べられるような精神状態では無かった。ハルは自室に戻ると、枕を濡らしながら、目を閉じた。
ハッと目を覚ますと、ハルはシュウのベッドで横たわっていた。
「なんでオレ、シュウのベッドに……?」
ハルは身体を起こして周囲を見渡す。紛れもなくシュウの部屋だった。
「外が明るい……そうだ、今、何時?」
枕元にある時計は昼過ぎを示していた。ハルは飛び起きると、自室に戻り着替えて玄関に飛び出す。
「ヤッバ、仕事!遅刻じゃん!」
玄関で履き慣れた靴を履く。慌ててドアを開けて飛び出すと、急に視界が歪み意識を失った。
再び目を覚ますと、ハルはまたシュウのベッドに横たわっていた。
「あれ?またシュウのベッドにいる……」
身体を起こすと、ベッドの端にシュウが腰掛けていた。風邪を引いて寝込んだときには、こうやってベッドの端で看病してくれていたなと、遠い過去を思い出す。その時はシュウを独占している気になって少し嬉しかった。
「おはよう。もう夜だけど。」
シュウはチラッとハルを見て微笑みながら近づくと、熱を確かめるように額や肩、手首に手を押し付けていた。発熱などしていないはずなのにおかしいと思いつつも、シュウが自らハルに触れてくれるのが嬉しくて顔が綻ぶ。
「あ、そうだ。オレ、確か、お昼に家を出て……」
ふと、昼過ぎの事を思い出し、目を泳がせながら自分の手を見つめる。もし、家を出たときにそのまま倒れてたとしたら、シュウが玄関からベッドに運んでくれたことになる。
「もしかして、シュウがベッドに運んでくれたの?」
シュウはハルを強く抱き締める。急に何があったのだろうか。シュウから伝わる体温に困惑と緊張を覚える。やっとシュウがハルから離れたかと思うと、眉間にシワを寄せながら口を開く。
「『病気』なんだから、部屋で大人しくしててよ。」
「病気?オレが?昨日まで元気だったのに?」
ハルは自分の身体をペタペタと触り、首を傾げる。熱も無ければ、身体の痛い部分も無い。けれども、シュウが抱き締める程には深刻な病気なのかも知れない。
「……いや、自分じゃ気が付かないだけで。家から出られないんだよ。ハルは。」
「え、なんで?」
「そういう『病気』。だから、療養が先。仕事も休職だし、ハルの結婚も何もかもを延期だ。」
シュウはいつもの無表情でハルを見つめた。全てを一旦停止に出来てしまったことに少しの安堵を感じた。
(いや、シュウは本気で心配してるんだ。なんでホッとしてるんだよ、ダメだろ。)
罪悪感を隠すように深刻な顔を作って、シュウを見つめ返す。
「……わかった。」
シュウはハルが再びベッドに横になったのを確認すると、部屋を後にした。
扉の向こうでシュウが何を隠しているのかなど、ハルは知る由も無かった。