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第9話

エレベーターの扉が閉まるのと同時に階段から入れ違いに雨芽あめがやって来た。ふと自分の家のドアにかかっているバッグに目を留めて手を取った。

『おむすび?』

両手に持ちきょろきょろと辺りを見回すも誰の姿もなく、バッグに手を突っ込むと中はまだ暖かかった。もしかして…れん先生?

ドアの鍵を開けて家に入るとキッチンの机にバッグを置いて手を洗う。以前教えてもらったとおりにお茶を作りバッグに手を伸ばした。

タッパーはまだ暖かく、蓋を開けると美味しそうな匂いがした。

『毒…とか、入ってないよね?』

そう言いつつも雨芽はおむすびに手を伸ばして一つ齧る。丁度良い柔らかさの米が程よく零れて中の梅干が顔を出す。

『あ、これ…。』

一度だけだというのに美味しい記憶というのは頭にも舌にも残っているようだ。

煉喜治れんよしはるの家で食べたご飯だ。雨芽は何故かホッとして一つ平らげるともう一つに手を伸ばす。

『美味しい…。』

お茶をすすりながらタッパーを空にすると、ふうと一息つく。わざわざこれを届けてくれたのかも知れない。そう思うと胸がぎゅうと痛くなった。お父さんもお母さんもそんな風に気遣ってはくれないのに…。

タッパーを流しにもっていきスポンジで洗う。一人きりの部屋はただシンクの水音が響いているだけだ。

水を止めてタッパーを水切りに置くとシンクを背にして部屋の中を見渡した。キッチンだけ電気がついているせいでリビングは暗い。姉の日向がいた頃は部屋の電気は全てついていたのに、いなくなってからは雨芽がいる場所しかつけなくなった。

昔は暗闇が怖いと思っていたのに、いつからこんなに無関心になったんだろう?

少しでも暗い場所があると日向にすがり付いてトイレにすら付き添ってもらっていたのに。

雨芽は溜息をつく。お姉ちゃんがいたら…こんな風にはならなかった?

思い返しても何も良い案は浮かばず部屋の隅に置かれた電話が点滅しているのに気がついた。最近は携帯電話が主流だが、家の電話も健在である。

点滅しているボタンを押すと、ピーと言う音がして見知った声が喋りだした。

『お父さんです、雨芽、もうそろそろお父さんかお母さんと暮らさないだろうか?少し考えてもらいたい。雨芽も高校受験だろう?少し…。いや、またそっちへ行きます。風邪をひかないように。』

父の声が途切れるとピーと音がして点滅が消えた。

『心配…してくれてるんだよね?』

父と一緒に暮らす、それは父の両親、祖父母と暮らすことになる。正直あまり会ったことがない人たちで小さい頃に正月に数度会ったきりだ。母のほうも同じで。

今更一緒に暮らしてもうまく行くんだろうか?きっと迎えてはくれるんだろうけど。

小さな溜息が出る。その時、耳元で同じように溜息が聞こえた。

『え?』

ふと後ろを振り返る。キッチンから漏れる光で多少は明るいが雨芽の周りは暗闇だ。

『誰かいる?』

キッチンのほうへ向かって問いかけるも雨芽の問いに答える者はない。

『気の…せい?』

雨芽がホッと息をつくと、その肩に冷たい手が触れた。懐かしい感触に雨芽は振り返る。真っ白い手だけが肩に乗っている。

『お姉ちゃん?』

白い手は優しく肩先を撫でると背中に消えていった。

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