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最終話 生者・巴

私は中学を卒業した。

四月からは下田の高校に通うことが決まっている。

まだ少し肌寒いが陽射しは暖かくて心地よい。

いつものファーストフード店で桂木先生と落ち合うと、二人でお墓参りをした。

鶯が鳴くのどかな空の下で、あの悍ましい呪いによって亡くなった人たちのお墓へ花を供えるために。

お墓の掃除も終えると、桂木先生を下田行のバス停まで送って行った。

「本当に行っちゃうの?」

お墓からバス停までは歩いて十分もかからない。

話せることは限られている。

私はなにを話そうかと、あれこれ考えたが、出てきたのは既にわかりきっていることへの確認だった。

「ええ」

バッグを持った桂木先生がうなずく。

「いつ決めたのさ?」

私は露骨に不満の色を顔に出した。

「前にも言ったでしょう?あの事件の後、少ししてから東京に戻るって決めたって。それでも今日までいたのは、あなたが卒業するのを見届けたかったからよ」

そうだ。大分前に私はそのことを桂木先生本人の口から聞いている。

「やっぱり辛いから?たくさん亡くなったから」

「そうね。もう私に残された家族は東京にいるお母さんだけだから。向こうでまた教員の職を頑張るつもり」

「私だって友達を亡くしたのに、先生がいなくなったら一人になるじゃん」

「あなたには御家族がいるでしょう?高校に行けば新しい友達だってできるわ。やりたいことや熱中したいことに巡り合うかもしれないしね」

「そうだね」

私が春から高校という新しい世界へ行くように、桂木先生もまた、東京という新しい世界へ行く。

それをいつまでも不貞腐れているのは、いかにも不細工だ。

話しながら歩いていてバス停に着いた。

「まだバスが来るまでちょっとあるわね」

桂木先生は時計を見ながら言う。

私は近くの自販機に行くと、ペットボトルのお茶を買ってきた。

「これ。バスの中で飲んでよ」

そう言って差し出す。

「ありがとう」

お金を払おうとする桂木先生を制した。

「いいよ。餞別だから。友達の新しい門出の」

「じゃあ、遠慮なくいただくわ。この時期は窓から桜がたくさん見えるから、お花見にちょうどいいわね」

桂木先生はそう言うと、バッグから一枚のメモ用紙を取り出した。

「これ。諏訪式さんたちの連絡先。もしなにか思ったり考えるようなことがあれば連絡くれって私に教えてくれたの。あなたにも渡しておくわ」

諏訪式姉妹の連絡先が書いてあるメモを受け取った。

双子の巫女の顔が鮮明に頭に浮かぶ。

「忘れられない人たちだったね」

「そうね」

「あの殺し屋も――」

言いかけたときに桂木先生が「シッ!」と、私の口に人差し指をあてた。

「殺されるわよ」

「そうだった」

私たちは笑いあった。

バスが来た。

もうお別れだ。

「いつか東京に私も行くから」

「そのときは連絡して」

「先生。元気でね」

「うん。巴も元気でね」

私のことを初めて名前で呼んだ気がする。

桂木先生はそのままバスに乗り、真中くらいの位置にある席に座った。

私は急いでその窓の下に駆け寄る。

桂木先生が窓を開けると私は「瀬奈!ありがとう!」と、思いの限りを込めて言った。

バスは発車して、私は見えなくなるまで見送った。

涙が頬を伝う。

東京なんて、電車で三時間じゃない。

会いたくなればいつでも会えるよ。

そう自分に言い聞かせて涙を拭った。


気持ちを切り替えて、私は海岸へ行った。

春の日差しを受けてキラキラと光る海、どこまでも続く青空。

風に流される白い雲、沖の消波ブロックに群がる海鳥たち。

生の目で見るこの世界は、こんなにも美しいのか!

素晴らしい……! なんて素晴らしい世界なんだろう!

外の世界は生きている! 生命に満ち溢れている! 咽返りそうだ!

靴を脱ぐと、裸足のまま砂浜へ降りた。

潮風が頬を撫でる中、まだ冷たい海に一歩踏み出す。

波の感触と、波に引かれていく砂の感触が足の下から伝わってくる。

潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

私は生きている。

死んだら味わえない、生きているからこそ味わえる。

生きた体があればこそ。

死にたいなんて思う子に、そんな子にはこんな贅沢必要ない。

生きている体も必要ない。

生の素晴らしさを渇望する者にこそ必要なものだ。

両手を広げて全身に風を受けながら空を見上げると、止めどなく笑みが溢れてきた。

太陽の温もりを肌で感じる。


私が求めて止まなかったものはこれだ!

何者からも解放された自由な生がここにある!




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