それにも、永都は冷静に対応した。
この妖蟲はまだ実体を持たないが、それ故に用心しなければならない。何故ならば、障害物も難なくすり抜けるからだ。油断していると物陰から襲いかかってくる。
実戦経験の浅い隊員は、これに引っかかる事例が多い。死角から襲い来る妖蟲に惑わされ、集中を乱される。そして、すり抜けるという特性を勘違いしてしまうのだ。
もし攻撃を喰らっても、外見上は身体をすり抜け、打撃や裂傷を負う事はない。そのせいで、多くの新人は攻撃を避けなくなってしまう。だがそれは物質面だけであり、実際には触れただけで霊力を喰われている。それに気付かずやたら滅多らに斬りかかり、いつしか喰い尽くされ命を落とすのだ。
永都はそれを十分に理解していた。
気を
永都を中心とした意識の糸に、獲物がかかった。
それは背後から襲い来る。物陰に隠れていたのだろうその妖蟲は、長い舌を振り回し、永都に肉薄した。
しかし、永都は瞬時に対応する。左足を軸に反転し、その勢いを乗せて切り裂くと、妖蟲は霧となって消える。それに続き、影に潜んでいた妖蟲も動いた。
死角に入った妖蟲は、
口元は大きく弧を描き、眼光が
その様に、優斗は息を呑む。
この陰陽寮にあって、唯一常識人だと思っていた永都の異様さが浮き彫りになり、改めて現実を突きつけられた思いだった。
永都も闇を抱え、この場所に辿り着いたひとりだ。自衛隊を去った理由も表向きのものであり、その真相は実戦への耐え難き欲望、血への渇き。武術訓練では何度も教官が止めに入り、実戦を想定した模擬訓練では幾人も瀕死に追い込んでいる。
ある種、鬼に近い人間だと言えた。
だが、それは誰しもが抱える本能だ。
野生動物は常に、死と隣り合わせに生きている。草食獣は勿論、捕食する側である肉食獣も、一歩間違えば死の淵に立たされるのだ。多くの草食獣は群れを成す。子供や傷ついた獲物を狙い近付くと思わぬの反撃に遭う。他の肉食獣や仲間とのいざこざで怪我を負い、密猟者の罠で命を落とす。時には牙に骨が挟まり、飢えて死ぬ事さえある。これらは昆虫や魚介類、爬虫類、微生物に至るまで、逃れる事のできない宿命だ。逆に言えば、危機本能があるからこそ生きていけるのである。
しかし、人間はこの危機本能が薄い。その反動は醜い行動となって現れる。生物の頂点を
そんな行き場のない衝動は、遊園地の絶叫マシンや、高所からのバンジージャンプ、お化け屋敷といった疑似的な恐怖で補っている。動物園も同様だ。すぐ傍に獰猛な肉食獣を置き、安全な場所から眺める親子は、果たして微笑ましいと言えるのか。
今の優斗なら違うと断言する。信じられるのは、目の前に広がる光景のみ。血肉を喰い、喰われ、人は人間と成るのだと。