空が赤みかかってきたころ、僕は夏祭りの舞台である犬前神社の近くにある街灯の前で適当に暇を潰していた。言うまでもなく真絹と待ち合わせをしているのである。
「にしてもなんで待ち合わせなんてしてんだろ?一緒に住んでるんだから家から一緒に出ればいいのに……」
そんなことを考えながらスマホでマンガを読んでいたのだが、流石は夏祭り当日と言うだけあって多くの人が和気あいあいとしながら露店が並ぶ場所へと歩いていく。小学生と思しき集まりから初々しいカップル、そしてもちろん家族連れまで本当に色々だ。
「お待たせしました詠史さん」
真絹の声が鼓膜を揺らした。いつもよりほんのりと艶っぽい声色だ。
「いや、さほど待ってないぞ……」
真絹の方を見た時……僕は一瞬声を詰まらせた。夏祭りらしい浴衣姿の真絹がそこにいたのだ。上品な白を基調にした浴衣にはアジサイや鶴といったものが刺繍されており、美的感覚がさっぱりないと自負している僕の心でさえ打つものがあった。
「綺麗だな」
「え?そうですか?うふふ、心の底から嬉しいです」
かんざしを挿した髪の毛を愛おしく撫でながらほんのりと頬を赤くする。
「羞恥のどん底で頑張ってお金を貯めた甲斐がありました」
「え?」
「あっ、すいません失言をしました。これから楽しいお祭りデートだって言うのにお金の話をするなんて野暮ですよね……でも、詠史さんから綺麗って言われただけで全部報われます。
さ、行きましょう詠史さん」
真絹が手を差し伸べてきたのでそれを握る。優しい暖かさと柔らかさが僕の手に伝わってくる。
「うふふ……まずは何をしましょうか詠史さん」
夏祭りと言う特別なイベントのせいだろうか、それとも普段は薄着や露出度高めの格好しかしていないのに、今は浴衣にかんざしと言う美しい装いをしているギャップのせいであろうか……なんとも今日の真絹はいつにもまして美しい。
そして僕たちはまず王道の焼きそばを買い食いした。真絹が僕にあーんをしようとしてきたのであるが、流石にこんな衆人環視の中でしてもらうのは何となく恥ずかしくなりそれを断ったり、射的でどうでもいいお菓子を取ったり……なんともまぁ普通で、代わり映えもなく、そして尊く面白い夏祭りを過ごした。
「うふふ。詠史さんと過ごす時間はいつも楽しいですが、今日はいつにもまして心が弾んじゃいます♪」
「そいつは光栄だな」
もはや真絹と手を繋ぐのも当たり前になっていたころ、聞き覚えのある威勢の良い声が聞こえてきた。
「へいらっしゃいですわ!!」
「ん?あれ?犬前さん?」
「やぁやぁやぁ、やっぱり来てましたのね和倉さん、真絹さん!!夏祭り楽しんでますか?」
鉢巻きを頭に巻き、法被を着ており、胸にはさらしを巻いているのがちらりと見える。まさしく夏祭りガチ勢と言った装いだ。
「ここでは射的はもちろん、型抜き、わっかなげ、おみくじ、金魚すくいまでご用意してますよ。どうですか?遊んでいきませんか?」
「それは良いんですけど………それは何ですか」
僕が指をさした先にいた…いやあったのは、簡易的なベンチにへばりついている僕の姉、和倉詩絵と言う怠惰の化身である。本来こんな暑い場所にくるタイプでなくそのせいで体力を消耗したせいなのか、それともそんなもの全く関係なくそういう性分だからなのか……多分後者……ぶっ倒れているではないか。
「見て分かりませんこと?わたくしの尊敬する詩絵先輩ですわ!!」
「どう見ても尊敬できる格好じゃないですよ。座布団にしてもいい格好ですよそれは」
「詩絵先輩はお疲れなのです。だからわたくしにヘルプ要請をしてきたんですわ」
「ああ、そういうことですか。うちの姉がご迷惑かけて申し訳ありません」
「良いんですわよ。詩絵先輩から頼られるなんて至上の喜びですわ!!」
この人は一体過去姉ちゃんに何をしてもらったというのか……実弟である僕ですら姉ちゃんから頼られてこんなに喜んだことないぞ。
「詠史さん、せっかくお声がけいただいたことですし遊んでいきましょう!!」
「ま、そうだな、じゃあ金魚すくいでもしようかね」
「一回200円ですわ」
「はいよ」
200円と引き換えにポイを受け取る。
「詠史さん、良ーく狙いをつけてください……繊細かつ大胆に、金魚さん達の動きを読み、ポイを大切に扱うんです」
「分かってるよ」
ゆっくりだ………ゆっくりと……よし、隅に追い込んだぞ…………いまだ!!
そしてポイの上に金魚をすくいあげ、そして後は器に入れるだけになったところでにわかに金魚の動きが激しくなっていったそのせいで少し手元が狂い金魚が宙に跳びあがった……そして。
「ひゃんっ!!」
真絹の胸の中に吸い込まれてしまったのである……やべっ。
「きゃっ、ダメです……こそばゆい……まきゅぅぅ!!」
「真絹ストップストップ、落ち着けよ」
「ああダメです!!詠史さん、おっぱい揉んでください!!」
「こんな時にも挟み込んでくるな!!」
「挟んでいるのは金魚です!!おっぱいで挟んでるんです!!!
そして揉んだついでに金魚さんもリリースしてください!!」
「いやぁ、相変わらず元気ですわね………うふふ、見ているだけで青春を感じますわ」
どこか和やかで楽しい時間が流れていくが…倒れていた姉ちゃんの瞳が開いた。滅多に見ることがないガン開きモードだ。真絹の胸に挟まった金魚のことを瞬間的に忘れてしまいそうな衝撃が僕に襲い掛かってきた。
「どうした姉ちゃ……」
ゾクゥゥゥ
「こ……これは………?」
全身に氷で冷やしたナイフを突き立てられたような悪寒が走る。それは真絹や犬前さんも感じたようで身をこわばらせている。真絹の胸から金魚が勢いよく跳びだしていき群れの下に戻った……金魚の群れが何もしていないのに隅の方に集まっている、まるで何かから逃げようとしてるかのように。
「なんだ……これは………この恐ろしい気配は一体………」
恐る恐る気配の発生源の方に目をやる……すると、近くにいた人たちも悍ましい気配に恐れおののいたのかその発生源から離れているようだ。
そしてその発生源にいたのは。
「あの野郎……殺す。あの手を切り取って犬の餌にしてやるわ」
「止めてむーちゃん!!殺しちゃだめだから!!縁和くん、何にも悪いことしてないから!!こっちゃんから手を握ったでしょ!!」
「それ関係ある?ないわよね。お姉ちゃんの清い御手を握ったことには変わりないわよね。恋人つなぎしていることに変わりはないわよね」
「お願いだから落ち着いてよぉぉ」
歴戦のシリアルキラーのような冷たく恐ろしい気配を纏った怒り心頭といった夢邦とそんな夢邦を必死になだめている紫髪の少年だった。
「ひぃっ!!夢邦ちゃんが……夢邦ちゃんが怒っています!!大変です!!!このままでは辺り一面が血の海に」
「ならねーよ。ちょっとなだめてくるわ」
すると姉ちゃんがむくりと起き上がった。
「詠史……死ぬんじゃないわよ」
「起きたと思ったらなんでシリアスな顔でトンチキなこと言ってんだよ……ったく」
僕は取り合えず夢邦の下に向かった。