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第37話 いざ、王都へ

 ルイスが王都へ行くと口にしてから六日後、二人の姿は二頭立て馬車の中にあった。王都へは数時間といった距離らしく、早い昼食を終えてから屋敷を出た。比較的のんびり進んだとしても夕食までには宿泊先に到着できると、馬車の中でルイスが説明する。嫁いだ日にくぐったのとは別の大きな門を抜けた先には田園風景が広がっていた。向かう先を見てものどかな景色が続いている。


「街の外ってどこもこういう景色なんですね」


 外を見ながらそう口にした慧人に、窓に映るルイスが首を傾げた。


「どういう意味だ?」

「丹下公の屋敷を出たときも、こんな風景が続いていたなぁと思い出して」

「それはそうだろう。どの領地も中心街の周囲は農地であることが多い。第五爵の領地あたりは少し違っていると聞くが、精霊の恵みの違いによるものだろう」

「中心街の周囲……?」

「壁で囲まれたところが中心街だ。藤桜香山とうおうかざん香山かぐやまを中心とした場所が中心街になっている。丹下青鏡たんげしょうきょうは青々とした泉を中心とした街だと聞くが?」

「そうなんですね」

「見たことがないのか?」

「え? あー、見たことは……あったかなぁ」


 ベルサイユ宮殿のような屋敷を出たときのことを思い出すが、泉があったかどうか記憶にない。「あはは、どうだったでしょう」と誤魔化すように笑うと、途端にルイスの表情が曇った。


「見ることさえ叶わなかったのか」


 ぽつりとつぶやかれた言葉に「あー……」と頬が引きつる。どうやら本気で「ケイト」が不自由な生活を強いられていたと思っているらしい。いつか誤解を解かないとなと思いながら頬をポリポリと掻いた。


「あ、でも門は覚えてますよ。丹下公のところよりこっちの門のほうが立派ですよね」

「門は領地の豊かさを表している。そういう意味でも王都の門がもっとも大きく美しい」

「へぇ」


 王都や門と聞くと一気にファンタジー感が増してくる。そういえば丹下青鏡はいかにも西洋風といった建物や服装だったが、藤桜香山は和洋折衷のような街並みで歩く人たちも和風洋風が混在しているように見えた。領地によって建物や服装が違うのも精霊の影響なのだろうか。

 窓の外に広がる農地には青々とした葉っぱが揺れている。稲に似ていなくもないが、パン食だから麦なのかもしれない。ドローンで見たら広大な農地に壁で囲まれた街が点在しているような感じなのだろう。そこまで思い描いたところで、ふとあることに気がついた。


「そいえば領地の境目には何もありませんよね?」

「境目?」

「普通、柵とか壁とかで領地を区切ったりしませんか? ほかにも関所を作ったりとか」

「そういった話は聞いたことがないが……」


 眉をひそめるルイスに、慌てて「あ、いや、そんな話を本で読んだだけです」と答える。


「変わった本を読んでいたんだな」

「あはは、そうですね。でも中心街は壁で囲まれてますよね? それに門まであるし」

「あれは昔の名残だ。精霊とうまく共存できなかった時代、人は外敵から身を守るために壁を作り集団で生活せざるを得なかった」

「外敵?」

「まだエレメターナが国として一つになる前の話だ。当時は中心街が一つの国のような状態で、周囲には農地どころか植物もほとんど生えていなかったと言われている。こうして豊かな農地が広がっているのはすべて精霊の恵みのおかげだ」

「へぇ」


 戦国時代のような感じだったということだろうか。それが一つの国家になり、そうできたのも精霊のおかげということなのだろう。そうやって豊かになることができたから人々は精霊を神様のように考えているのかもしれない。


「今のエレメターナ王国があるのは占術師が精霊の声を正確に聞き取るおかげだ。占術師はもっとも多く精霊が棲んでいるといわれる王都に在り、精霊の声を聞き、何かあれば各領地にその言葉を伝えている」

「精霊ってどのくらいの数いるんですか?」

「目に見えないものを正確に数えることは難しいが、複数存在することは歴代の占術師が伝えた言葉から推測できるな」


 慧人の頭に「八百万やおよろずの神々」という言葉が浮かんだ。もしかするとああいう感じなのかもしれない。


「占術師が現れたことで今のエレメターナ王国ができた。中心街は昔の名残のままになっているが、領地の境に柵や壁などは必要ない」

「でも、それだと盗みとか心配になりませんか? とくに藤桜香山みたいな豊かな土地だと狙われそうな気がするんですけど……」

「略奪の心配はない。すべての領地は精霊によって明確に分けられている。人の往来は自由だが、その土地に由来するものは行き来させることができない。だから境界線を設ける必要もない」

「土地に由来するもの……もしかして農作物のことですか?」

「そうした食料を含め土地に根付くものすべてだ。移動手段に欠かせない馬車や生活のための道具類などはある程度移動させられるようになったが、昔は身に着ける最低限の衣服しか許されていなかったらしい」

「それは大変そうですね……」

「今でも食料を持ち込めば腐り、精霊が過剰だと判断した道具類は灰になる」

「それって、たとえばどこかが不作だったとしても隣の領地から食べ物をわけてもらうことができないってことじゃ……」

「そうだな」


 思ってもみなかったこの国のシステムに慧人は小さく唸った。


(なるほど、だから第五爵だった丹下公は「ケイト」を使ってでも第二爵になりたかったのか)


 王都から離れるほど精霊の恵みが薄くなるということは収穫高や内容も変わるということに違いない。流通という概念どころか流通させることすらできないなら、あとは領地替えで豊かな場所へ移動するしか豊かになる術がないということだ。


(でも、それじゃあ王都から離れた土地からは人も離れるんじゃ……)


 人の往来が自由ということは、より豊かな土地に住み替えができることになる。それでは豊かでない土地は人の数が減り寂れる一方じゃないだろうか。そう考えた慧人だが、言い換えればその土地が養える人数に最適化されるということかもしれないということに気がついた。


(そもそも、そう簡単に生まれた土地を離れられない人も多いだろうし)


 上京してから帰省しなかった自分でも、ふと地元を思い出すと郷愁に駆られることがあった。そうした感情はこの世界の人たちも持っているだろう。それに飢えることがないなら、わざわざ知らない土地に引っ越そうとは思わないかもしれない。


(それも含めてこの国のシステムってことか)


 あらゆる面で精霊が関わっているのだとしたら、人の生殺与奪権を精霊が握っているということになる。そんな精霊の言葉を唯一聞くことができるのが占術師であり、今回その占術師が精霊を閉じ込めることに関わっているかもしれないということだ。


(改めて考えると、とんでもない大事件だな)


 そして、そのことに気づいているのはおそらくルイスと自分だけだ。ほかにも気づいている人がいるかもしれないが、その人たちは敵側の人物ということになる。そうでなければ国の根幹を揺るがすような出来事を放っておくはずがない。


「門が見えてきた。あれをくぐると王都、光天栄地こうてんえいちの中心街になる」


 ルイスの声に窓の外を見た。やや日が落ちかけている中で、少し離れたところに巨大な建物が浮かび上がっている。あれが門だとすれば藤桜香山の門より相当大きく立派なものだ。


「それじゃあこれ、着たほうがいいですね」

「門が近づけば人の往来も増える。馬車の中を覗き込まれることはないと思うが、念には念を入れたほうがいい」


 そう言いながらルイスがこげ茶色のフード付きマントを羽織った。慧人も同じ色と形のマントを羽織る。これは出発前にルイスと相談して決めたことだ。


(そうでもしないとルイスは確実に目立つからな)


 次期当主として何度も王都に来ているというルイスは間違いなく顔を知られている。それに王都で学んでいたときの知り合いに会うかもしれない。そうでなくてもこれほどのイケメンが街中を歩けば絶対に噂になる。


(犯人にとって精霊が感知できるルイスは厄介な存在のはずだ。王都にいると知られたら何を仕掛けてくるかわからない)


 だから顔を隠せるフード付きの上着を用意した。こうした上着は王都へやって来る人たちの定番だそうで、遠い昔、初代の占術師がそうした格好をしていたことにあやかっているらしい。一方、領主やそれに近い身分の貴族は煌びやかな格好をすることが多いのだと聞いた。自分たちの領地がどれほど豊かなのかを示すためだとルイスは話していたが、そのときも「こうしたものは灰にならない」という一覧を確認しながら身に着けるらしい。


(嫁ぐ日に身一つだったのはそういう理由だったのか)


 もしくは身に着けられるものを選別するのが面倒だったか。「後者っぽいな」と思いながら窓の外を眺める。


「ファントスからの手紙では、万事滞りなく準備できているということだ」


 つねにルイスのそばにいるファントスだが、今回はハントを連れて一足先に王都に入っていた。歴代の藤桜公が馴染みにしている屋敷は使わないほうがいいだろうということで、代わりの滞在先を整えていたのだという。今載っている馬車も中流貴族がよく使うものらしく、そういえばルイスのところへ行くときに使った馬車に比べると少し小さい気もする。


(いよいよ王都か)


 沈む夕日に浮かび上がる田園風景は美しく穏やかで、すべてをコントロールしている精霊に異変が起きているとは思えない。雨期が始まらないことを不思議に思うことがあったとしても、大勢の人はいつもどおりの生活を送っていることだろう。だが、精霊は確実に焦っている。その証拠に昨夜まで「寝ている時間はないんだぞ!」と言わんばかりに鈴が鳴り響いていた。


(それなのにヒントは何も言わないんだから勝手だよな)


 出発するまでの六日間、慧人は少しでも情報を得られればと思い、ルイスが回収した精霊の本を何度も読み返した。しかしどの本も文字や記号が並んでいるだけで読み取れるようなものはなかった。念のために心の中で精霊に話しかけてみたものの、肝心なときに限って鈴の音もしない。

 精霊が書き換えていた本も毎日確認した。だが、最後に鳥籠の絵に変わって以降変化はなかった。


(いや、一つだけあったか)


 鳥籠の上に「早く!」という日本語が現れた。思わず「最初からこうやって書いてくれればよかったのに」と心の中で愚痴ると、そのときばかりは「贅沢を言うな!」と言うかのように派手に鈴の音がしたが、それ以外の追記はない。

 本が入った斜めがけのカバンをそっと撫でる。念のためにと精霊が書き換えた本を持って来たが役に立つかはわからないままだ。


(王都が一番豊かだってことは、ほかよりたくさんの精霊がいるってことだよな……。王都の精霊が親切だといいんだけど)


 できれば楽譜や絵で訴える、なんて面倒くさいことはしないでほしい。そもそもあれはただのこじつけで謎解きとは呼べないものだ。最初の取っ掛かりとしてはよかったかもしれないが、最後まであれで押し通そうとするなんてどうかしている。それに最後に日本語を書き加えたということは日本語で知らせることもできたはずなのに、どうして面倒くさいことをわざわざやったのだろう。


(……これだけ文句を言っても何も鳴らないか)


 いつもなら肯定なり不満なりを示すように鈴が鳴る。ところが馬車に乗ってからというもの何を考えても鈴が鳴ることはなかった。「今朝まではあんなにうるさかったのにな」と思いつつカバンの上から本を撫でる。


「心配することはない」

「え?」

「不安そうな顔をしている」

「不安ってほどじゃないですけど、ほかに精霊が言いたいことはなかったのかなぁと思って」

「占術師のことを伝えて満足したのだろう。だが、王都の中心街に入れば状況が変わるかもしれない。何か変化があればすぐに言ってほしい」

「はい」

「精霊の本のこともだが、おまえ自身のこともだ」

「俺のことですか?」

「王都に来たのは初めてなのだろう? 気になったことがあればどんな些細なことでも言ってほしい」

「わかりました」

「おまえはわたしが守る」

「ははは……頼りにしてます」


 イケメンすぎる言葉に頬を引きつらせながらそう答えると、「頼りにか」と言いながらルイスが優しく微笑んだ。そのままじっとこちらを見つめる。

 薄暗い廊下での一件以来、なぜかこうして見つめられることが増えた。何も言わずじっと見られるのはどうにも居心地が悪い。出発前に「兄様とたくさん仲良くなってくださいね!」と天使の微笑みで送り出してくれたジェレミを思い出し、「うーん」と眉尻を下げながら頬を掻く。


(あの笑顔……勘繰るのはよくないと思うけどさ)


 三人分のまぶしすぎる笑顔を思い出し、なんともいえない気持ちになった。まるで「新婚旅行、楽しんできてね」と言われているような気がして顔が熱くなる。思った以上に自分が「新婚」という言葉を気にしていることに気がつき、尻がむず痒いようなソワソワした気分になった。


「やはり何か心配事があるんじゃないのか?」

「え? あ、いいえ、王都ってどんなところかなぁと思っただけで……あぁ、すみません。遊びじゃないのに浮かれたようなことを言って」


 誤魔化す言葉としてはあまりよくなかった。反省していると、フッと口元を緩めたルイスが「そうだな」と答える。


「せっかくの王都だ。少し散策するか」

「へ?」

「西側に屋台が軒を連ねている場所がある。ああしたところには屋敷では味わえない珍しい料理もある。そこに連れて行ってやろう」

「いや、でも……」


 断ろうと開いた口を閉じた。ルイスが思いのほか楽しそうな顔をしていることに気づき、王都にいたときのことを懐かしがっているのかもしれないと考える。


(息抜きも必要だよな)


 そうでなくてもルイスは働き過ぎだ。


「そうですね。英気を養うってことで、屋台、行きますか」


 途端にルイスの顔がキラキラしたものに変わった。


(こういうところはジェレミに似てるな)


 向こうは天使だが、ルイスは……なんだろうか。神様というには若すぎるイケメンの顔に「大人の天使だな」とおかしなことを考える。


(旅行じゃないんだから浮かれるなよ)


 そう自分に言い聞かせながら、それでも遠足前の子どものようにワクワクしていることに気づき、思わず苦笑してしまった。


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