目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第77話 彼の悲嘆


 悠弥は、立ち尽くしていた。何も、考えられなかった。

 なに、これ。なんでこんなことになってるの?

 悠弥の目から、つっと涙が伝う。そんな自分にかけよってくれる人は、一人もいなかった。みんな扉を出ていく。時折通り過ぎざまに、見ていくものがいるが、優しい色をのせたものはいなかった。あまりの所業に、呆然とする。ひどい。また、自分はひとりぼっちだ。

 どうして、ぼく、頑張ってきたのに。皆を楽しませるために、いっぱい頑張ってきたのに。どうして、皆こんなに薄情なんだろう。

 ふぇ、と泣き声がもれる。くしゃりと顔をゆがめて泣くと、止まらなかった。心と行動がぴったりとはまりすぎて、悲しみは余計に加速した。


「きめえ」


 誰かが、そんな悠弥を見て、吐き捨てた。悠弥は、ひどい仕打ちに、「ううーっ」と悲鳴をあげた。体の底からしびれるようだった。冷たい痛みに泣きじゃくる。本来なら、こんなひどいことをするやつは、ボコボコに殴ってやるところだが、今は苦しくてされるがままだ。こんなカスにさえ――それも、悔しかった。


「リュードー……」


 悠弥は愛しい人の名前を呼ぶ。自分が聞いてもあまりに切ない声で、胸が痛い。こんなになっても、自分は龍堂が好きなのだと実感した。

 ばかだな、ぼく。あんなにひどいこと、ゆわれたのに……まだ、信じたいなんて。


 一年生の時、同じクラスだった龍堂。堂々としてて、かっこよくて……ずっと、友達になりたかった。わざと大きな声で、はしゃいだものだ。龍堂に、自分を見てほしくて。龍堂は、いつも曲を聞いていて、伏せた目が、かっこよかった。

 ある日、思い切って悠弥は、龍堂に話しかけた。


「なー何聞いてんのっ?聞かせてっ」


 龍堂の席に手をついて、龍堂へ耳を突き出して聞いた。龍堂は、伏せていた目をあげ、静かに自分を見た。その静かだけど、射貫くような目に、悠弥は胸が詰まった。


「共有は嫌いなんだ」


 龍堂は静かにそう言った。そして、また遠くを見つめる。その声に、しぐさに、胸が撃ち抜かれたみたいだった。断られたのに、ぞくぞくする。胸がどうしようもなく、高鳴っていた。


「えーいーじゃんっ!聞かせてっ!」


 龍堂に悠弥は、上ずる声で聞かせて、と何度もねだった。龍堂の断る声は心地よく、自分との対話を楽しんでるみたいだった。高揚して、龍堂の肩に手をかけようとして、かわされる。


「むーっ」


 悠弥は不満声を上げながらも、どきどきした。拒絶されたのに、ちっとも嫌じゃなかった。

 別のクラスだったオージがやってきて、流れてしまったが、あまりに温かくて、楽しい時間だった。


 なんだよ、全然普通に話してくれるじゃん。皆、リュードーのこと誤解してる。きっと、リュードーに嫉妬してるやつらが、いつもひとりぼっちにしてるんだ。


 悠弥は確信した。


 それなら、と悠弥は何くれとなく、龍堂の世話を見てやることにした。龍堂はいつもかわしてきたけど、それは人に慣れてないからだと思った。今まで、ずっとひとりでいたから、どうしていいか、わからないんだ。

 だって龍堂は自分を嫌うやつみたいに「うざい」とか「調子乗るな」とかひどい言葉は言わなかった。龍堂は、悠弥を人間扱いしてくれる。人気者の悠弥でも、甘ったれの悠弥でもなく、一ノ瀬悠弥として、接してくれた。


 悠弥が構い、龍堂がかわす。それがふたりのコミュニケーションとして成立するのに、時間はかからなかった。

 悠弥は龍堂のことを考えると、胸がいっぱいになった。ごろごろとベッドを転がる。「リュードー」とつぶやくと、心地よくて仕方なかった。

 クラスで作られたLINEのグループ。そこに龍堂のアイコンがあるのを見て、どれほど嬉しかったか。龍堂のLINEゲット!なんてはしゃいだりした。

 個別のトークルームを開いては、「おはよう」って打って、はしゃいだ。龍堂はスマホを見ないのか、返事どころか既読もつかなかったけど、十分だった。

「LINE返せよな」と注意してやると、「使わない」と返された。

 その時の声音を思い出すたびに、「あ~」ともだえる。冷たい奴。なのに、全然、冷たくない。


 こんな風にドキドキすることなんてなかった。いつも誰とでもすぐに仲良くなれたし、うまくいかないことがあっても、オージが何とかしてくれた。自分は人が大好きで、人を信じすぎるから、嫌な奴にあたることも多かったのだ。

 いつだって、自分は、クラスにいるボッチがいれば、声をかけてやった。楽しい世界を教えてあげたかったから。そんな自分を、オージは「浮気性」だって怒ったけど、龍堂だけはそんな自分を「優しい」と、わかってくれると思った。


 龍堂と自分は、すごく似てる。人が大好きで、優しいのに、誤解されてる。ただ違うのは、自分の周りには、人がたくさんいて、龍堂の周りにはいないってことだ。


 けど、悠弥は思う。どっちにしても、ひとりぼっちでさみしいところは一緒かもしれない。悠弥は、時々、どんなに人に囲まれてもさみしかった。自分のことを、皆が好きじゃない、そんな気がしてならなかったから。

 人気者なせいでやっかまれて、それは悠弥を人間不信にした。けれど、それでも、人とつながることを諦められない悠弥を、誰も認めてくれなかった。

 龍堂なら、わかってくれる。そう、確信していた。


 オージはいつも、龍堂にかまう悠弥を怒った。龍堂だけじゃない、オージはいつも、自分が悠弥の一番じゃないと怒った。

 幼馴染のオージ。いつも、悠弥を「甘ったれ」だと言って指図して、束縛するばかりだ。それはオージがひとりぼっちで可哀そうだから仕方ないと思って我慢して許してきたが、悠弥だって人間だ。たまにどうしようもないほど疲れた。

 好かれるための努力もしないで、与えられることに鈍感で、彼女まで作って、悠弥の気持ちをないがしろにする。オージの方が、よっぽど甘ったれだ。

 そう言うと、オージは傷ついた顔をするので、げんなりした。ケンカさえ、オージとはちゃんとできない。どころか、無理に言うことを聞かされるばかりだ。

 それでも、大切だから、オージをちゃんとかまって甘やかしてやる。でも、最近は特に、悠弥にとって、オージとの付き合いは損ばかりだった。

 自分を誤解してるオージに、優しくしてやる。なのに感謝もしないで、自分が「ユーヤを見てやっている」という顔をしているオージ。

 オージに身勝手に執着されることに、悠弥は疲れていた。だからこそ、龍堂が自分を大切にしてくれることが、嬉しかった。


 どんなに龍堂がいい奴だと言っても、皆の誤解は解けなかった。嫉妬まみれの皆には余計にがっかりしたけど、龍堂っていう宝物を独り占めにしたい気持ちもわいていた。龍堂をわかってやれるのは、自分だけだ。そう思うと嬉しかった。


「ユーヤにだからなんじゃない」


 ある時、龍堂の悪口を言う友人に、優しさを力説すると、ちょっとうんざりしたように怒られた。それに悲しむ余裕もなかった。悠弥は真っ赤になってしまっていた。

 龍堂は、ぼくにだけ優しいの?特別――ぼくのこと好きってこと?

 そう思ったら、もう駄目だった。嬉しくて仕方ない――自分は自覚してしまっていた。龍堂のことが好きだ、と。


 自覚した矢先、二年になってしまって、龍堂とクラスが分かれた。すごくさみしかった。体育でさえ一緒にならなくて、ひどくつらかった。

 オージはというと、すこぶる上機嫌だった。そのうえで、マリヤという新しい彼女を作った。龍堂のことでもめているときは、さすがに控えていたのに。全部、オージの手のひらの上で――最低の気持ちだった。

 それでも、オージのことは、放っておけなかった。オージにはただ執着されてるだけだってわかっていても、幼馴染だから、突き放しきれなかった。悠弥は、オージがちゃんと好きで、大切だったから。

 こんな優しい気持ちも知らずに、オージは、悠弥に不義理ばかりする。調子のいい時だけ構ってきて、いつも自分を馬鹿にする。

 もう、限界だった。


 それでも、毎日――楽しく過ごそう。自分の強さと前向きさが、こんなに自分を追い詰めると思わなかった。けど、皆を楽しませるために無理して笑って、頑張って、頑張って。

 頑張って――頑張ってきたのに。


 今、自分を省みてくれる人は誰もいない。


「うえええ……」


 心がはりさけそうだった。悠弥は天を仰いで、子供のように涙した。迷子が、迎えに来てくれるのを持つように。


「リュードー……!」


 呼べば、きっと来てくれる。そう信じていた。自分には龍堂だけだ。龍堂だけは、わかってくれる。きっと、何かの間違いなんだと、悠弥は信じていた。

 肩をつかまれた。


「悠弥」


 オージだった。引き寄せられて、悠弥は泣く。求めるものはこれじゃない。こんな、自分を傷つけるばかりのやつの腕の中じゃない、悠弥はぼこぼこと殴った。

 ――オージのせいだ。オージが、ぼくを苦しめるから。だから、こんなことになっちゃったんだ――


「うえええん、オージィ……!」


 悠弥はそれでも、オージに甘えた。どんなに自分を傷つける人間でも、優しさをくれるなら、ちゃんと受け取ってあげないといけない。

 そんな自分を、ほかならぬオージ自身が、「甘ったれ」だと言っても、拒絶なんてできない。悠弥は何度もオージの名を呼んだ。そうすれば、オージが喜ぶから。自分を抱きしめるから。


「リュードー、リュードー……!」うわああああああ……!」


 愛しい人の名が、無意識にこぼれ出る。

 助けて。壊れそうな自分には、もはやその意識しか、なかったのだ。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?