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第4話 梅田の喫茶店“れい”

「このお店、ちょっとレトロでいい雰囲気ね」

 紗菜が、玩具店の店員に連れてこられた喫茶店の店内を見回した。

「レトロって? どの辺が?」

 柴本が不思議そうに首ををかしげる。

「普通の喫茶店に見えるけどなぁ」

 橘も、柴本と同じ意見のようだ。

「何ていうか……昭和っぽいみたいな」

 柴本が楽しそうに笑顔になる。

「そりゃそうだ。だって今は昭和だからな」

「じゃあレトロじゃないじゃん」

 橘もニヤニヤしている。

 紗菜はさっき地下街で見かけたポスターを思い浮かべる。

『阪急三番街☆1981年スプリングセール!』

 1981年と言えば……昭和何年だっけ?

 紗菜が生まれる前の話である。

 昭和のことなんて、分かるはずもない。

 だが、紗菜には野口大輔としての記憶もあるのだ。あまりハッキリとはしていないその記憶を探っていくと、なんとなく時代背景が見えてきた。

「1981年は昭和56年よね。確か昭和は64年に終わったはずだから、まだ後8年は昭和じゃん……そりゃレトロなわけないかぁ」

 ぶつぶつと小声でつぶやく紗菜に、心配そうな目を向ける柴本。

「本当に大丈夫か? 今日の大輔、なんか変だぞ?」

 そんな柴本の言葉に、橘が首を横に振った。

「いやいや、大輔はいつも変だって」

「そう言えばそうだな」

 紗菜がつぶやきをやめてパッと顔を上げる。

「私のどこが変なのよ!?」

 そう叫んだ紗菜の顔を、じーっと見つめる柴本と橘。

「今だって女の子みたいな喋り方してるぞ?」

「大輔、いつも自分のこと俺って言ってなかったっけ?」

 あ、しまった。

 今の私は男の子、野口大輔なんだった。

「お、俺はいつもどおりだぜ!特に問題は無いぜ!」

「それなら、まぁいいんだけど」

 ふうっと息を漏らす紗菜。

 柴本と橘は顔を見合わせ、肩をすくめている。

 それにしてもこのお店、本当にレトロで昭和っぽい。

 柴本の言う通り、今が昭和なのだから当たり前なのかもしれないが、現代的なカフェとは違った落ち着いた雰囲気に、紗菜はなぜかリラックスしていた。

 窓の外にはこの店の看板が見える。

「純喫茶、れい?」

 平仮名二文字で“れい”だ。

「れいって何だろ? まさか“霊”だったりしないよね……」

 紗菜の顔に苦笑が浮かぶ。

「大久保怜の“れい”だよ」

 そう言った柴本に、紗菜が首をかしげた。

「おおくぼ……れい?」

 再び柴本と橘が顔を見合わせる。

「まさか、知らないわけないよね?」

「テレビとか出てる大久保怜だよ?」

「はぁ」

「MBSの『素人名人会』の司会とか!」

「“たよし”とか“とんぼり”のテレビCMとか!」

 あわてて大輔の記憶を探る紗菜だったが、どうやら彼はあまり興味を持っていないらしく、ぼんやりとしか浮かんでこない。

 柴本が再び心配げな顔になる。と、突然橘が歌い出した。

「たーんたーんた〜よし〜♪」

「ゴーゴー!」

 なんじゃそりゃ。と思いつつ、謎の歌に紗菜は笑ってしまう。

「この店、その大久保怜さんが経営してるんだよ」

「そうなんだ」

 大久保怜も分からない。

 素人名人会、たよし、とんぽりもサッパリだ。

 だが昭和レトロと、このなんとも言えないローカルな雰囲気を、紗菜は気に入り始めていた。

 1980年代、大阪梅田にはオタクやサブカルに没頭する若者たちが集まる喫茶店がいくつかあった。「れい」はその中でも最右翼の一つである。

 1970年代から営業していた老舗の喫茶店で、場所は当時“阪急ファイブ”と呼ばれていたファッションビル(現在の“HEP FIVE”)のすぐ近く、梅田の一等地にあった。そして80年代前後には、関西のサブカルチャー界隈や演劇関係者が集まる場所として有名になったのである。

 竹内義和をはじめ、岡田斗司夫、山本弘など、関西サブカルのキーパーソンたちが常連だったと言われている。毎週金曜と土曜の夕方頃に、彼らのサロン的な場として存在していたのだ。そして、文化人やクリエイターたちが議論や情報交換を行なう内に、いつしかアニメ、特撮、SF、マンガ好きが集まる場所にもなっていった。

 “れい”は、関西サブカル・オタク文化の重要な拠点だったのである。

「と言うわけで皆さん、せっかく同好の士がこうして集まったのです、まずは自己紹介をしていきませんか?」

 紗菜の思考は、玩具店店員のその言葉で中断された。

 そして始まる自己紹介。

 ここでの出会いは、その後の紗菜の運命を大きく変化させることになるのだが……そのことに、彼女はまだ全く気付いていなかった。

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