目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
ファントムペインの薄明
ファントムペインの薄明
わた氏
現代ファンタジー都市ファンタジー
2025年03月13日
公開日
6,479字
完結済
向日葵の咲く、夏の放課後。 人間がサーモグラフィーのように見える。そんな特異な目を持ち、呪いを司る佐藤の前に現れたのは、ミドウと名乗る少女。 彼女は、自分のオリジナルであるみどうを探していた。 みどうになれたら、消えることが無いから。 ※カクヨムにも掲載しています。 お互いに「化け物」で「除け者」の2人を繋ぐのは——。

ファントムペインの薄明

保健室の網戸を隔てた傍で、向日葵がふわふわと揺れていた。

 青と琥珀の交じる空に、金色の輪郭が浮かぶ。

 斜陽に照る1輪の花を見つめながら、呟く。


「もうこんな季節か……」


 グラウンドを走る生徒は真っ赤だった。

 服や眼鏡を残して、人の皮膚の色だけが紅く色づいている。運動することで、体温が上がっているのだ。現に、走る前は緑色もところどころ交っていたわけだし。

 人間らしくない。僕の目に映るのは、無機質なでしかないから。

 これじゃあ、化け物だ。除け者も同然だ。


 眼鏡を押し上げた僕は、再度大きく息を吐いて翻した。


 保健室にあるのは、2台のベッドと医療用具の入った棚。それから、生徒を診るための机と椅子。

 西日が部屋を照らし、塵を煌めかせていた。


「いないじゃん」


 お化けが出ると言われ、同業者に頼まれて来たんだけど。

 ただの、ごく普通の保健室じゃないか。

 肩からずり落ちた白衣をかけ直す僕は、苦笑いを浮かべていて。

  床に落ちている包帯の切れ端に、独り言ちた。


「空振りかぁ」






 ————何が、「空振り」なの?


 聞こえないはずの声に、思わず振り返る。

 黄金色の陽が差す教室で、そして僕は息を呑む。


 乳白のカーテンが、ひらひらと踊る中で。


 ——黄昏に、少女のカタチが浮かぶ。


 舞い踊るカーテンを背にして、いつの間にか少女が立っている。ベージュ色のセーラー服を纏った、おかっぱ頭の少女。触角のような2本のアホ毛が、そよぐ風に揺れる。


 僕が息を呑んだのは、背後に取られたことに全く気付けなかったからではない。

 少女のすぐ隣で、1冊の手帳がぷかぷか浮いているからでもない。

 ただ、この目に映る彼女が、信じられなかったから。


 淡いミントグリーンの髪色をしたその子は。

 高い声で歌うその子は。


 ——首元や膝下の輪郭がうっすらぼやけていて。


 限りなく人間から遠いのに、どうしてだろう。


 ——に見えたのは。






 窓の柵をふわりと降り、少女はクスクスと笑う。

 床に足はついていない。


「つーかまえた♪」


 その言葉に、無意識に肩が跳ねた。


 遅れて思いいたる。

 この子が、噂に聞くお化けだろうか。


「佐藤……下の名前は、えっと……」


 僕の胸元にある教員証を覗き込む少女。


「ねぇねぇ、これ何て読むの? 木、風?」

「かっ、かえで」


 声を裏返しつつも答えると、彼女は嬉しそうに袖と袖を合わせる。


「『かえで』って読むのね! 初知りだヨ~」


 口元に袖を当てて、ミドウは感心の色を見せる。


「君は……」


 尋ねると、少女はくるりと回って答えた。


「アタシはミドウ」


 そうして、ミドウと名乗った少女はしゃがんで僕を見上げる。

 やっぱり、彼女がお化けなのだろう。

 膝を屈める彼女の脚は床から僅かに離れている。

 その上——ミドウの影は、僕と比べて曖昧で朧気だった。


「貴方が、せんせー?」


 緑青の瞳は、濁り1つない。生まれたてのように、無垢だ。


「え、あ、まぁ……一応、職業上は……?」


 お目当ての「先生」かは分からないけど。

 しげしげと僕を観察するミドウに、聞いてみる。


「どの先生をご所望なんだい? その、先生も色々いるけど」


「さぁ、日記に書いてないもん」


 そう言い終えるのと同時に、脇で浮いている手帳がぱらぱらとページ遡っていた。

 そして、ミドウは手を使うことなく目的のページを見つけて読み直す。


「ほらほらっ、これだヨ」


 4月9日

 今日は初めて、副担任の先生と話した。

 男性は苦手だから最初は緊張したけど、優しくてすぐに馴染めた。ぽかぽかと穏やかな気持ちになったけど、これもトキメキ?

 先生はお菓子を作るのが好きみたい。今度教えてもらおうかな。


「やっぱり名前は書いてないみたい。あーでも、副担任でお菓子を作れるせんせーが良いヨ」

「うげ。僕当てはまってんじゃん……」


 しまった、つい口に。

 後悔するも時すでに遅し。

 ミドウは目を輝かせ、身を乗り出した。


「おお~! すぐに見つかったヨ~」


 朗らかな声で、続けて言う。


「この日のトキメキは達成っと。順調だヨ」


 何やら達成したみたいだ。


「……それで、僕をどうする気? 呪い殺したりでもするつもりかい?」

「ほヨ?」

 きょとんと首を傾げる。


「どうしてコロスの?」


 顔には、微かな困惑の色。確かに殺す気はなかったらしい。


「そんなことできないヨ、アタシはヤサシイもん。だけど折角だし……」


 ミドウが目を細める。


「協力してほしいな、ほらほらっ、放課後が終わっちゃう前に!」

「……何に」


 僕が問うと、ミドウは悪戯に笑った。


探しにっ、だヨ!」






 ————


「アタシはあの子から……みどうから生まれたの。でも、アタシはみどうのことあんまりよく分からなくて……」


 廊下を歩く僕に、不思議少女ミドウは言った。


「だから、日記を辿ったら分かるかなって」

「ふぅん」


 窓の外を眺めながら、僕はミドウの主張を聞いていた。

 地平線付近は黄金色に彩られ、空の青には少しずつ夜が染み込んでいる。雲は銀色に陰り、夕日は柔らかくも眩しい。


「せんせーって、色んなことを知ってるって書いてたの。みどうのこと、何か知ってる?」

「そんな名前の子、聞いたことも無いなぁ」

「そーなの?」

「そーなの。……というか」


 僕は、自分を包囲する黒板消しだのチョークだのを見下ろす。


「いい加減、これを何とかしてほしいんだけど」

「やーだ。だって逃げられたら困るもん」

「逃げないって」

「ほんとー?」


 ジト目で問い詰めるミドウ。


「逃げてもどうせすぐ捕まるだろ? わざわざ疲れるようなことしたくないんだよ僕は」

「その割には、お化けを探しに来たんだヨね? アタシを捕まえに来たんでしょ?」

「頼まれただけだよ。……引き延ばすと後々面倒そうだし。人畜無害なら、適当に誤魔化すつもりだったしさ」

「ホント~?」

「ホントホント。平々凡々な平和主義者なもんで」

「ほヨ~。でもせんせー、他の人とは違うよね?」


 その言葉に、踏み込んだ足の裏がほんの一瞬力む。


「……分かる?」

「なんとなく。やっぱり、違ったんだね」


 自分が負うモノを確かめるようにして、僕は口を開く。



「僕は、を扱う一族の人間なんだよ」


 声音は冷たく淡白だと、自分でも感じる。


「呪い……ってことは、すごい技とか出せたり?!」

「いやぁ、無理無理。できたら凄いけどねぇ」

「見てみたかったヨ〜。じゃあ、精神操作に暗示、回復とかもできないの?」

「君は呪術をなんだと思って…………」

「運命の人と結ばれるとかは?」

「どーだか。……というか、呪いなんて無い方が良い」


 人を呪い、天使を殺し、世界の摂理を変えるための一族。

 いつのことかは分からないけど、神による災いを鎮めるために色々なコトをやっていたらしい。もちろん、代償はつきもの。

 痛みも伴うし、結果として……語れないことだってある。

 世界を変える救世主は、人間の皮を被った孤独な化け物でしかない。

 そして、その呪いに溺れている僕もまた——。


 僕はポケットから教室の鍵を取り出し、扉の鍵穴に差し込んだ。


「僕の目は少し変でさ、人の身体の温度が分かるんだけど。……あんまり好きじゃないし」

「どうして?」

「……自分だけ違う景色を見てるって、なんか……寂しいじゃないか」


 僕は、どこにも行けないみたいじゃないか。

 鍵を回す僕に、ミドウは問うた。


「だったら、アタシのこともサーモグラフィーみたいに見えるの?」


 ミドウはいつの間にか顔を近づけている。純粋に興味があるのだろう。真っ直ぐ僕を見つめていた。


 答える僕の声は、自分でも驚くほど優しかった。


「なんでか君は普通に見えるんだよねぇ」


 言って、ゆっくり教室の扉を開けた。




「ここが最後。1年5組ね」


 鍵を開けると、ミドウが先んじて教室に入る。

 宙を浮いて室内を彷徨く様は、幽霊みたいだ。

 だけど彼女に言わせれば、幽霊ではないらしい。


「騒霊だったっけか……」

「そうそう、別名ポルターガイストだヨ!」


 それゆえ、ミドウは校内の物を自在に動かせる。さっき黒板けしやチョークを僕に纏わせたのも、その力によるようだ。

 今だって、手を使わずして生徒名簿のページを開いてしまった。


「みどう、みどう……どこにもいないヨぉ」

「言っただろ? 過去の記録にも無かったしさ、みどうって子はここの生徒じゃないんだよ」

「うーん」


 納得できないらしい。


「でも、何かヒントがあるはずだヨ!」


 そう言いながら、机の中を1つずつ覗くミドウ。僕は適当な椅子に腰掛け、その様子を眺めていた。


「……喉渇いたなぁ」


 そういやさっき、ミルクティー飲めなかったんだった。

 この新校舎から、旧校舎の生徒会室までは距離がある。何より……


「みどー、どーこー」


 帰らせてもらえそうにない。


「ミドウちゃん、食堂に行かない? ひょっとしたら、そこに何かあるかもだし」

「行く行く! 急ピッチで捜索だヨ!!」


 あそこには自販機がある。そこで何か買おう。

 僕の後を行くミドウのアホ毛は、ぴょこぴょこと跳ねている。

 そして、気のせいだろうか。ふっと、ほんの一瞬消えたような気がした。



 人の居ない食堂に足を踏み入れる。

 部屋の大部分を占める3台の長い机と、各テーブルには十数脚もの椅子が乗っていた。

 テーブルに潜り込んで、みどうの手がかりを探すミドウ。かと思えば、一瞬ですり抜けてしまった。これも、ポルターガイストの力だろうか。


 一方僕は、テラススペースにある自販機で、飲み物を決めていた。

 自販機会社に物好きがいるのか、なぜかラムネ瓶がある風変わりな自販機だ。

 出てきた紅茶のペットボトルを持って、テラス席に腰掛ける。


「夏と言えば、甘いものだよねぇ」


 歌うように呟き、白衣のポケットからガムシロップを取り出した。ボトルの口からシロップを入れ、軽く振って一口。

 地平線に朱を残した、夜の始まる紺の空を眺めて、癒しの一杯だ。


「沁みるなぁ」

「せんせーサボってるヨ」

「うわっ」


 僕の顔を、逆さになって覗き込むミドウ。

 口をへの字に曲げ、眉をしかめて僕を睨む。


「いいだろ、休んだって。君も何か飲んだら?」


 僕の言葉に、ミドウは自販機に顔を向ける。ラムネが気になるみたいだ。


「1本ぐらいなら出したげるけど」

「……」


 何か考えているのだろうか。

 しばらく黙っていたミドウだったが、


「ありがとね、せんせー。……でも……」


 ふるふると、静かに首を横に振る。

 緑青の瞳は、微かに揺れていた。


「これじゃあ、飲めないから」


 痛々しいはずの笑顔が、夏の空に染み込んで。

 薄く、淡く、曖昧になっていく。


 無いけど痛む。無いから痛む。


アタシは、光がないと居られないもの」


 夕日を背にしたミドウの顔には、濃い影が刻まれていて。

 辛うじて居座る太陽に、少女の身体は少しずつ溶けていく。


 ——もう、ただ1人の彼女の貌さえはっきりと見えない。






 生徒会室へと続く廊下を、僕らはゆっくりと歩いている。

 ミドウはみどうの日記に目を凝らし、ヒントを探していた。


 空になったペットボトルを手に、ミドウを一瞥する。


 日が沈むにつれ、ミドウの実体が無くなってきている。

 理由は分からないけれど、胸騒ぎが止まない。

 体温と同化しそうな生暖かい微風が、不安を掻き立てる。


 はっきりと見える顔も、少し大きいセーラー服も、今やほとんど透明。

 廊下の壁や窓の外の濃紺が、当然と言わんばかりにミドウと混ざる。

 はっきりと輪郭を持っているのは、みどうの日記だけだ。


 触れてしまえば砂塵のように消え失せそうで、少し離れて歩いていた。

 顔を合わせるのが気まずくなって、目線が下がっていく。


 この子は気づいているのだろうか、知っているのだろうか。


 探りを入れようと顔を上げた僕に、ミドウの声がかかる。


「せんせーは物知りなんでしょ?」


 諦めたような、それなのに縋るような貌。

 さながら、太陽を見つめるだけの向日葵だった。

 次の言葉を待ちながら、どうにも息がつまる。胸がツンと痛む。


「みどうになるには、どうしたら良いかな?」


 騒霊の身体は、今にも世界に打ち消されそうだ。

 化け物と言われ、除け者にされているよう。


「今日も明日もその次も…………消えたくないよ」


 ……どうして、この子に限って見えてしまうのだろう。

 自分に似た貌を、こんなにも鮮明に見てしまうのだろう。


「明日になったら、また会えるよね?」


 とも、呟いた。

 浮かべているはずの笑顔が、沈みつつある闇に翳っている。

 この子が原本に縋るのは、消えるのが怖いから。

 日が昇ればまた生まれるけれど、なんて保証がどこにもないから。


「みどうになるには……ねぇ」


 僕は踵を返す。

 ポケットから鍵束を出し、1つだけ先を突き上げる。


「せんせー? どこ行くの?」

「んー、探し忘れた場所」


 首を傾げるミドウだったが、階段を降りる僕を追うようにふわふわとついてきた。






 電気をつけると、2台のベッドと医療用具の入った棚が目に入る。

 もうじき、日は完全に落ちる。

 窓から見える向日葵が、恋しそうに空を見上げていた。


「保健室?」

「そ。ここはまだだったろ?」


 言いながら、棚を開ける。

 救急箱を取り出して、椅子に腰かける。


「包帯?」


 救急箱の中から現れた医療用品に、きょとんとするミドウ。


「ああ。ちょっと手出して」


 そう言いながら、僕は包帯の先を伸ばす。

 まだ大分あるみたいだ。これなら、十分足りる。


 ミドウは戸惑いながら、左手をおずおずと差し出した。

 手と言っても、ほとんど透明で輪郭も曖昧だ。


「教えてあげる。僕が知ってる、たった1つの呪い」


 呟いて、包帯を一噛みする。

 すると苦い繊維の味とともに、口の奥から熱が迫り上げてきた。


「せ、せんせー……? 何して……」


 不安そうな、ミドウの声。

 それもそうか。突然人が包帯を噛みだしたら、誰だって驚くだろう。


 ——あつい。


 全身を焼く熱を、貌を焙る呪いを、口を伝わせて包帯に移す。

 この痛みは、知らない方が良い。

 この呪いは、独りよがりだから。孤独でありたいから。


「おまじないってやつだよ」

「……痛い?」

「痛くないよ」

「ホントに?」


 その先は、聞こえないふりをした。

 ひとしきり熱を込めた包帯を、ミドウの手に巻く。

 触れた包帯に肩をぴくりと跳ねさせたミドウだったけど、すぐに力を抜いてくれた。


「ふしぎだね」


 ミドウは囁いた。


「あったかいよ」


 柔らかく微笑んで、巻き終えた掌を見つめた。

 愛おしげに、嬉しげに。

 身体に熱が巡り、ゆっくりとミドウのカタチが蘇っていく。緑青の瞳も、薄緑の髪の毛も、セーラー服も、元の色を取り戻していく。

 そんな自分の変化に目を丸くしたミドウだったが、やがてしみじみと浸るように零した。包帯を巻いていない方の袖を、胸に当てて。



「トクトク言ってて、ちょっと擽ったくて……変な感じなのに、うっとりしちゃうの」


 ミドウの手が徐に、僕の手に合わさる。朱くなった指先に白い手が絡まる。


「やっぱり物知りだヨ。すごいヨ、せんせー。……でも」


 そして哀しげに、見上げる。


「ホントは、痛いんでしょ?」


 その言葉が、合図だった。

 僕の身体を焦がした温度の波が、少しずつ引いていく。


「もしも消えちゃうなら、一緒が良いの」

「なんだよ、それ」

「アタシの、おまじない」


 消えやしない。明日も会える。そういう、おまいない呪いなんだから。

 そう思っていると、ミドウが無邪気に笑った。そして、僕の手も纏めてぎゅっと力を込めた。


 ——あたたかい。


 この手に伝わる体温は、僕のものだろうか。

 それとも、君が痛み分けをしているのだろうか。

 おまじない呪いを、互いにかけているのだろうか。


 力を注ぎ終えると、熱が皮膚を通して外へと逃げていく。脱力感と、後から節々がじわじわと痛む。

 夕暮時と言っても暑いからか、それとも込めた力が熱いからか。汗が額に滲むのを感じた。

 それを白衣の袖で拭う僕に、


「ねぇせんせー、明日はどこを探す?」


 ミドウが身を乗り出して聞いてきた。待ち遠しそうに、アホ毛を弾ませている。

 僕と同じように疲れているはずなのに、これが若さというヤツだろうか。


「結局やるんだね、続き……」

「もちろん!」

「明日は休みにしない? ついでにその次の日も……」

「やーだ、みどう探しは年中無休だヨっ」

「……はいはい」


 2人繋がるぬくもりが、呪いおまじないに溶けていく。

 そうして僕らは、ここに浮き上がる。

 普通じゃないのに、普通だって


 ——薄明の終わり、幻肢痛をこの身に宿して。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?