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第3話

SNSで多くの人が言いたい放題つぶやいている。

いたるところで見る『不倫報道』の文字。

そう、MellowDearz.メロディアスの1人である小椋 純恋おぐら すみれの不倫報道が報じられたのだ。

相手は国民的アニメキャラクターの声もしていた有名声優で既婚者だったため、彼の叩かれ方は尋常ではなく、おそらく声優としての仕事は今後ほぼなくなると言われている。

人気絶頂のアイドルと人気声優による不倫。2人は番組の共演をきっかけに不倫関係になり、内密に交際していた。

最初は黙秘していた双方の事務所だったが、週刊誌も不倫相手のインタビュー報道を記載したことで瞬く間に広がった。

来月には全国ツアーも控えていてチケットはすべて完売していた。

小椋はメンバー内でかわいい担当であざとさを武器にとくに男性ファンを魅了していた。

ダンスにも定評があったため、『踊るステージを間違えた』とメディアに揶揄され一瞬にして芸能界から干されるかたちとなった。

海外でも報道されるほど悪い意味で話題となった。

突然グループとしての活動休止を余儀なくされた彼女たち。

椎名は今後どうなるのだろうか。

報道以来、連絡をしても返ってこないし電話にも出ない。

こういうときってマネージャーがつきっきりで送り迎えをするって訊いたことがあるけれど、もしかしたら連絡ツールの制限がかかっている可能性も大いにある。

マネージャーの忽那くつなさんに訊こうかと思ったが、僕にそんな権限があるのだろうか。

恋人ならまだしも幼馴染というわけでもないしクラスメイトでもない。

僕にできることはあるのだろうか。


ふと瓊子の言葉を思い出す。


「あなたはクローンで、本当の新羅 皓月くんじゃないの」


何度耳にしてもいい気分じゃない。

僕が人工的に作られた存在であれば、僕は一体何者なんだ。


音沙汰のないまま数週間が経過し自分の無力さに悲観していたころ、猫にキスしているアイコンから通知がきた。

いつもならすぐには既読せずに返す言葉を考えてから返事をするけれど、心配すぎて今回はすぐに既読した。


「いままで連絡できてなくてごめんね」


どうやら報道陣を避けるため、それぞれのマネージャーがつきっきりで送り迎えしていたそうだ。

椎名の所属するメロディーラインは創設してから日も浅く、零細れいさい企業から一気に中小企業に登りつめたため、今回の報道に対する対応に追われ多事多端たじたたんとしていた。

ツアーのキャンセル対応やスケジュール変更に伴う取引先へのお詫びにメディア対応など休み返上で働いていたため、彼女たちも下手に動くことができず、SNSでの連絡も制限されていたため缶詰状態になっていたそうだ。


「連れてってほしい場所があるの」


ドラマのようなワードにすぐに返事せずにはいられなかった。

人目につかない場所で待ち合わせると、笑顔で「さ、いこ」と言って僕の自転車の後ろに横向きにちょこんと座った。

自然と二人乗りの状態になったことで脈の鼓動が早くなる。

帽子を被った彼女からは表情が読み取れなかったが、背中からは暗い重い空気を感じた。

ステージの上で踊るオレンジに輝く彼女からは想像できないほどに暗く重い空気。

頭の良くない僕でも察しがつく。

例の事件でグループ活動ができなくなった彼女たちは多くの制限がかかった。仕事もプライベートもすべて。

事務所側に落ち着くまではあまり大きな動きはしないように言われていたことは、わかっていてももどかしかったようで久しぶりに浴びる夜風が彼女の気持ちを少しだけ和らげた。

夜空を照らす星の光と街灯が無言の僕らを目的地まで誘う。

ゆるやかな上り坂に入るとペダルを漕ぐ足が一気に重くなった。

身体が左右に揺られハンドリングがうまくできない。

急な坂でもないのにどうしてか気になって一瞬後ろを振り向く。


「なぁ、椎名」


「なーにー?」


上り坂に入った瞬間、横殴りの浜風で身体が反対方向にあおられた。びゅーびゅーと吹く風で声が上手く通らない。


「その足を落ち着かせてもらっていいか?」


風に飛ばされないよう帽子を手で抑えながら横に出した両足をぱたぱたさせている椎名はどこか楽しそうに見えた。

さっきまで重かった空気はいつもの明るい煌びやかなものに変わっていた。


「なんか言ったー?」


風が強すぎて声をかき消される。


「足をバタバタさせないでくれるかー?」


「ごめーん、聞こえなーい」


どこか楽しそうな声を出す彼女だったが、僕は落ちないよう結構必死だった。

手汗が止まらない。

右から吹きかける気まぐれな風が強さを増し、僕たちを吹き飛ばそうとする。


「やばっ」


ハンドル操作が効かずそのまま横に倒れた……。


「新羅くん、大丈夫?」


そう言って椎名が倒れている僕に向かって手を差し伸べてくれた。


「うん、大丈夫。椎名は?」


「全然大丈夫」


椎名が足を出していた方向に倒れたため、彼女は倒れずそのまま着地した。

倒れる直前でブレーキを強く踏んでいたため、怪我をするほどの大事には至らなかった。


「怪我なくてよかった」


「身体が丈夫なのだけが取り柄だから」


我ながらに悲しくなった。

残念ながら顔も頭も良くない。

歌が上手いわけでもないし、手先が器用なわけでもない。

僕の魅力は足が早いこととテキトーなところだけ。


「もう、皓月くんがうまく運転してくれないからだよ」


「椎名が足をぷらぷらさせるからじゃないか」


「そんなことしてないもん」


「ハンドル操作大変だったんだぞ」


「皓月くん、昔から自転車の運転苦手だったもんね」


そんなことあったっけ?

腕を組み、左上を見ながら思いだそうとするが出てこない。


「覚えてないの?」


僕が自転車を乗れるようになったのは5歳になってから。

椎名と過ごした半年間は乗れなかった気がする。


「昔、補助輪付きの自転車に乗る練習してたときあったでしょ?」


思い出した。

あれは4歳のときの夏、この日は父さんが休みだったから自転車の乗り方について教えてもらっていた。

椎名が乗っている姿を見てそれに憧れたことがきっかけだった。

いざ乗ってみると、足が宙に浮くことがすごくこわくて大泣きしながら家に帰った。

それをケタケタ笑いながら母さんが椎名に話していたことがあった。

それにしても、たった数10分足らずのことをよく覚えているな。


「女の子はね、過去のことをけっこう覚えているものなんだよ」


どこかで聞いたようなワードだが、誰がいつ言ったか思い出せなかった。


「恥ずかしいからいますぐに忘れてくれ」


画面越しに見るクールな彼女と違い、今日はなんだか子供っぽい。

でも自然と軽口を言い合えることが嬉しかった。


「さ、行こっか」


「今度はじっとしててくれよ」


「はーい」


どうしてちょっと不服そうなんだ。

自転車を起こし再出発する。

今度は正面に向いて座った椎名の柔らかく細い腕が僕の腰を通して全身の神経を刺激する。

さっきまで普通に会話していたのに、急に何も言わない椎名に戸惑う。

待て待て。

不可抗力とはいえ、相手はあの椎名 美波だ。

冷静になれ、冷静になるんだ。そう思えば思うほど頭痛がひどくなる。

いまは運転に集中するんだ。


……無理だった。


広大な海も星屑ほしくずの夜空も神経はすべて腰にいっている。

感情のない機械のようにただただ両足を動かしペダルを漕ぐ。

そうしていないと理性という感情すらどこかに行ってしまいそうだから。


椎名のガイド通りやってきたのは岬にある灯台の下。

ここに来るまで椎名はずっと手を腰に回していた。


会話はない。

でも気まずさはなかった。

むしろ居心地がよかった。

無言のまま自転車を降りると、灯台下にある床に腰かけた。


「私ね、辛いことがあったときたまにここに来るの」


どこか遠くにいる人を想うような切なくはかない表情の彼女をじっと見つめる。


「ずっとアイドルになりたくて、望んでこの世界に入った。まだまだだけど、お仕事も少しずつもらえてるし、大好きな歌も踊りもできてる。でもね、たまにふと思うの。他の子たちは青春を謳歌おうかしているときに私は学校の行事も季節のイベントも全部仕事で、休みの日だって外に出るだけでスマホのシャッター音が聴こえてくる。行きたいところに行くにも気を遣う。わかってるの。どっちも手にいれることはできないって。他の人たちからしたら羨ましいとか憧れるとか言ってもらえるし、こういう世界で生きることを選んだのは私自身だってことも。それでもたまにすべてを投げ出したくなるの。そんなときここに来て夜の海を眺めるんだ」


光と闇の世界を行き来する彼女にとって自分をコントロールすることはすごく大変なことなのだろう。

いろいろなものの代償の先に待つ光輝く世界。

そんな世界で活躍する彼女も普段はごく普通の女の子なのだ。

こういうときに気の利いたことが言えるほど僕は器用じゃない。

でも自分なりに考えた精一杯の言葉で伝えたかった。


「椎名は椎名だよ。アイドルとして活躍している姿はかっこいいし、それが自分のやりたい道なら応援する。辛くなったらまたここに来ればいい」


「ありがとう。新羅くんにお話訊いてもらったらスッキリした」


ほっとした途端、お腹がぎゅるると鳴った。

恥ずかしくて穴があったら入りたい。


「なんか私もお腹空いてきたな」


その恥ずかしさを打ち消すように彼女も乗っかってくれた。

くすくすと笑ってくれても良い場面だったけれど、これはこれで良いのかもしれない。


「ねぇ、もうひとつ行きたいところがあるんだけど」


待ってくれ。

僕にはオシャレな店で支払えるようなお金もなければ度胸もない

それに相手は有名アイドルだ。

この大事な時期に勘違いされるようなことをすればいろいろ問題になる。

二人乗りして向かった先は学校の方だった。

まさか、学校でつまみ食いをするつもりか?

もしかして事務所から給料が支払われていないとか?


「ちょっと寄り道してもらっていいかな」


近くのファストフード店でハンバーガーのセットをテイクアウトする。

杞憂きゆうに終わって良かった。


袋は開けずに自転車に乗ると、そのまま学校の裏側に回る。

この時間はもう先生も生徒もいない。

いるとすれば巡回している警備員くらい。


「椎名、一体どこに?」


「こういうの一度やってみたかったんだよね」


足取り軽く裏口のフェンスをさらりと飛び越えた。


「おい、椎名」


全然杞憂で終わらなかった。

こんなことがバレたら芸能生活に影響が出るぞ。


「こういうときじゃないとこんなことできないもん。それに、いざってときは皓月くんが身代わりになってくれるものね?」


振り向きざま、満面の笑みの彼女にドキドキしながらも本当にバレたらどうしようか不安になる。


「どうなっても知らねぇからな」


彼女に続くように飛び越えようとしたが、テイクアウトした2人分の袋を持っていたので片足ずつゆっくりと越えていく。

前を歩く椎名はすごく楽しそうな顔をしていたが、こっちはヒヤヒヤして仕方なかった。

屋上でテイクアウトしたハンバーガーを食べながら他愛のない会話をした。

一瞬目を離した隙に椎名が僕のポテトを勝手に食べたと思ったら一口ちょうだいと言って飲みかけのジュースを全部飲んだ。


「全部飲むなって」


うふふと言いながら微笑んだそのいたずらめいた笑顔が可愛くてドキドキが止まらない。

でも椎名と2人だけで過ごす特別な時間が楽しかった。

このまま永遠に時が止まればいいのに。


ここから眺める夜景はとても綺麗で、秋のあたたかな夜風が心地良い。


たまたま会話が止まった瞬間、階段の方から足音が聞こえてきた。

こちらに向かってどんどん近づいてくる。


「椎名、誰か来る」


「こっち」


左右を見渡した後、椎名が僕の手を握り給水タンクの裏側に身を潜めた。

死角になっているかはわからないけれど、見つかれば停学処分になる可能性もある。

何より彼女の芸能生活に支障が出る。

徐々に近づく足音が、扉の開く音と同時に消えた。

誰かが屋上にやってきた。

時間的に警備員だろう。

こちらに向かって足音が近づいてくる。

少しでも音を立てれば居場所がバレてしまうので、僕たちは身を寄せ合いながら音を立てないよう息を呑む。

真横にいる彼女の甘い香りが風を伝って全身を刺激し、僕は気が気でなかった。


足音がすぐそこまできた。

これ以上近づかれたらまずい。

そう思ったそのとき、校庭の方から大きな物音がした。

給水タンクから音のする方向が見えなかったが、足音が遠ざかっていくのがわかった。

周囲を警戒しながら裏口まで駆け降りた。

肩で息をしながら自転車まで戻ったとき、椎名の表情はとても楽しそうに見えた。

僕自身もこんな経験したことないからすごく楽しかった。

あの音の正体は一体なんだったのかはわからないが救われた。


今回の報道でやりたいことを制限され、抑圧された鬱憤うっぷんが少しでも晴らせたのであれば良かったと思う。



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