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「あら、また金運の話をしてるの?」


 背後から声がかかって、小夜は「おはようございます!」と二度目となる挨拶をした。微笑んで挨拶を返してくれた素子の顔は、起き抜けに見た時よりずっと良いように見える。いわゆるナチュラルメイクという奴を施したようで、チークにはほんのりと血の色が差していた。時間がかかったのも納得の出来映えだ。


「おはようございます。飲み物はどうされますか? コーヒーならキューブ、紅茶ならティーバッグになってしまいますが。あとは低脂肪の牛乳があります」

「おはようございます。ええと、でしたらコーヒーを」

「承知しました。ミルクと砂糖は?」

「砂糖だけお願いできますか。すみません、いろいろお任せしてしまって」

「いえ、こちらこそありがたいです。キッチンを自由に使わせて頂いて」


 ダイニングテーブルの上を見て、素子はパッと笑顔になった。白いお皿にはベーコンが乗ったホットケーキ、その横には木製の器に盛ったサラダとたっぷりのメープルシロップ、これで中央に花でも飾ってあったら完璧だったろう。


「すごい。ホテルの朝食みたい」


 弾んだ声を聞いて小夜は嬉しくなった。どうやら水漏れには気付かれなかったようだ。


「今や料理が趣味なんだそうです」

「今や? ……え? もしかしてお子さんがいらっしゃるの?」

「あーまあ、お子さんといえばお子さんかも。ものっすごく手のかかるのがひとり」


 客用寝室の方向を指で示すと素子は途端に声を潜めた。


「ケイレブさん? ええ? もしかしてお二人で暮らして?」


 フラミンゴに聞かせたくないというふうである。理由はわからないながら、小夜は口元に手のひらを添えて答えた。


「別々みたいです。だけど、あんなの半同棲ですよ」

「まあ!」

「ケイレブって生活破綻児なんですって。それでフラミンゴがあれこれ面倒見てるとか」

「まあまあ!」

「……素子さん、なんで嬉しそうなんですか?」

「ああ、いえね、仲良きことは美しきかなってね」


 おほほ、と往年のアニメキャラじみた笑い声をあげて素子はあからさまにごまかした。


「ていうか、ケイレブの能力が問題ありすぎなんですよ。どー考えても」

「それは昨日、少しだけ伺ったわ」

「あいつ、スーパーの野菜売り場にも近づけないんですよ? 前に見た時は救急車のランプから逃げてたし。あの強面でですよ? 想像したら笑っちゃうでしょ」

「苦手なことは人それぞれだし、仕方ないわよ。それに、その引き換えが可能性を見る超能力だと思えば、差し引きでプラスじゃないかしら。それも大きなプラスね」


 素子の前にコーヒーとスティックシュガー、小夜の前にお湯の入ったケトルとティーバッグが置かれた。去って行く大きな手を見送りながら、小夜は真面目に答えるべきか、茶化してしまうかしばらく悩んだ。ともかく、食べましょうと声をかけながらフォークを手に取る。素子はコーヒーを一口含んで嬉しそうに言った。


「粉から淹れたのなんて久しぶり」

「それ、マイブームなんですって。キューブ型に固めたコーヒーの粉ってのを最近見つけて、いろいろ取り寄せてるらしいですよ」

「ああ、それでキューブって言ってらしたのね」


 そうそうと頷きながら小夜はホットケーキを一口頬張った。途端に広がるベーコンのしょっぱさとメープルシロップの甘さは格別である。おかず系だからとがっかりしたのも忘れ、小夜はフラミンゴに拍手を送りたくなった。なんて朝にぴったりの味、シェフを呼んできてくれたまえ。


 そのシェフはと言うと、脱いだエプロンを小脇に抱えてキッチンから出てきたところだった。片手で盆を持っていて、小夜と目が合うと唇だけで『たのむ』と言う。オーケーの返事代わりに片目を瞑って、小夜はリビングから出て行く後ろ姿を見送った。素子は不思議そうに首を捻っている。


「暗闇の中のお食事会ですよ」小夜はサラダをつつきながら説明した。「ケイレブがこっちに来れないから」

「ああ、そういうところにも不便はあるのね」

「正確には来れるんですけど。いろいろ面倒がってじゃあ食べないとか言いだすもんで、ああやってフラミンゴが面倒見てやってるわけです。ほんと、子どもなんだから」

「あなたにそう言われては形無しねえ」


 くすくすと笑いながら素子はホットケーキを口に運んだ。どうやら食欲はあるようだ。良いことである。


「気持ちはわかる部分もあるんですけどね。私だって余計なものが見えちゃって、テンション下がったりするし。遊園地行って、これから遊ぶぞーって時とか。遊園地だからやっぱり人がいっぱいいるわけじゃないですか。そうすると見たくないものが見える確率、上がるんですよね。そしたらもう気分は土砂降りですよ。ひとりでファイナル・ディスティネーションですよ」

「飛行機事故を回避したのに一人ずつってアレね。だけど、悪いことだけでもないでしょ?」


 ふっと味が舌の上から失せて、小夜はフォークの先を噛んだ。


「……もしもですけど。超能力をあげるよって言われたら、素子さんは欲しいですか?」

「それはもちろん。永遠の憧れだもの。私が本当に小さい頃から、ええと、地下鉄事故があった辺りまでかな。当時はすごかったのよ。雑誌には超能力者が大活躍するマンガが必ずひとつは載ってたし、バラエティ番組に超能力者がゲストで呼ばれたりもしてたわ。大人が見てるつまらないドラマが終わった次の週には二時間特番があったりしてね。有名なスプーン曲げが流行ったのはもう少し上の世代だったけど、それでも試してみたものよ」


 素子の声には熱がこもっていた。本当に好きだったのだろうと小夜は思い、なんとか唇を閉ざそうとしてみたが、駄目だった。


「スプーンって。曲げたらなにかすごいんですかね」


「え?」と、なんでもないように素子はホットケーキから目をあげた。


「大人が褒めてくれる以外に、なにか良いことってありますかね。超能力が本当に役に立ったこと、社会全体が認めてくれたこと、これまでにあったんでしょうか?」


 戸惑ったように素子は食べる手を止めて、それでもにこやかに言った。


「小夜さんは時代が違うから知らないかしら。アメリカでは超能力者が大事件の捜査に加わってるのよ。行方不明の人や事件の犯人を探すのに重宝されてるんですって。超能力捜査官って聞いたことないかしら?」

「聞いたことはあります」と言って、小夜は思い当たる番組名を挙げた。そうそうと素子は笑顔で頷いている。すなら今だと思った。サラダ菜をざくざくとフォークで刺してみて、けれども気持ちはまったく収まらない。


「そんなに上手い話があるなら。今ごろ日本にもたくさんいますよ。超能力捜査官」

「どうかしらねえ。そんな話は聞かないけど、もし本当にいたら大変なことよねえ。だって、どんな犯罪も九分九厘解決しちゃう。だから、秘密にされてるんじゃないかしら」

「本当にそうでしょうか。日本の警察は優秀だって聞きます。そんなのいなくても犯人なんていくらでも検挙されてるじゃないですか。それに、そんな人がいるのなら世間が放っておくはずありませんよ。特にマスコミなんて。メシのタネじゃないですか」

「……小夜さんは否定的なのね?」


 素子はそう言ってじっと小夜の目を覗きこんできた。


「はい、そうです。超能力者は存在しないのが常識とされてるのは、そもそも偽物が多すぎるか、能力に波があるからです。これはフラミンゴが言ってた話ですけど、野球って三割打ったら名選手、四割打ったら大スターなんでしょ? でも、超能力者はそうじゃないんです。ホームランを打つことが得意なパワーヒッターですって言ったら、十回に十回ともホームランを打たなきゃいけないんです」

「でも、人間なんだから。無理なときってあるんじゃないの?」


「ありますよ。だけど、素子さんみたいに好意的に受け止めてくれる人ばかりじゃないんです。口ではすごいねって言いながら、目をギラギラさせてトリックを探してる、そういう人のほうがずっと多いんです。だって、そのほうが面白いから。整形疑惑と同じですよ。美人だねって言いながら、どこかにアラがないか探してる。完璧な美人よりは欠点のある――いいえ、欠点だと信じられる隙のある美人のほうが面白いからです。そういう人に今は無理だとかできないとか言うとね、手を叩いて喜ぶんですよ。


 例えばケイレブですけど。あいつはむっつりしてて面白みなくって必要なことも言わないような奴です。でも、見えないことだけは見えないって正直に言うんです。それにはちゃんと理由がある。可能性がないもの、未来がひとつに定まってしまったものは見えないから。太陽が出てるとか眩しいものがあるとか、そもそも光を見られる状況になければ見れないから。ケイレブが能力に関して正直なのはね、そこに責任があるからです。あいつが十割バッターじゃなきゃいけないからです。でも、ケイレブを貶めたい人はそうは思ってくれない。そして、あまりにも簡単すぎるんです、誰かのことを信じないってことは」


「でも。悪魔の証明って知ってるかしら? ないことを証明するのは難しいってことなんだけど、あなたたちには実際に超能力があるわけでしょ? だったら、それを証明すればいいだけじゃない」


「そうして必死に築いた実績が、たったひとりの偽物によって崩されることって、素子さんが思ってるよりずっと多くあるんですよ。最も悪意のある人は偽物を立てることすらしない。トリックを自分の手で作り上げて、ほら見ろって笑うんです。そしてそういう人たちも、超能力を認めてくれる人たちでも、超能力が実際なんなのかってことまでは考えてないんです。


 ある人にとっては神様よりずっとたしかな御利益をくれる人間、ある人にとっては自分の正しさを証明する為の踏み台、ある人にとっては遠い憧れ、ある人にとっては絶対に自分には降りかからないショー。


 超能力なんて本当は、足が速いとかお裁縫が得意とか、そんな程度のものだと思うんです。そして、足が速くてもインターハイに出れない人がいるように、でもそのおかげで遅刻しなくて済んだりするように、それを理由に悩んだり喜んだりする――いわば自分を形作る要素のひとつでしかないと思うんです。悩みが重い人も、喜びのほうが多い人もいるでしょうが、でもそんなの普通のことじゃないですか。要はたったそれだけのものだと思うんです、本当は」


 素子はしばらく小夜を見つめたまま動かなかったが、やがてふうっとほろこぶような微笑みを浮かべた。


「そう。あなたはそういう女の子なのね」


 必死に話したのに突き放された気がして小夜が戸惑っていると、素子は一口コーヒーを飲んでから続けた。


「ごめんなさい。本物に会えて浮かれすぎてたのかもしれないわ。だって、これまで騙されてばかりだったから。朝起きてきてね、そこの窓が段ボールで塞がれてるのを見たら嬉しくなっちゃったのよ。あなたたちがどう思うかなんて考えずにはしゃいだりして。昨日、フラミンゴさんにも言われたのにきちんと咀嚼もしなくて。本当にごめんなさい。でもね、ひとつだけ誤解しないでほしいんだけど」

「はい」


「超能力があるかないかで言うと、あるって私は信じてきたの。それはあなたたちに出会ったからでも、あの段ボールを見たからでもない。それが希望だったって人もいるのよ。当人にしてみたら身勝手に聞こえるかもしれないけど、本当にそうなの。それだけなの。あなたが超能力を理解しない人たちにがっかりしている気持ちは、なんとなく理解できたと思う。でもね、きっとそれと同じくらい――って言うとオーバーに聞こえるかもしれないけど、あなたの正しさに救われる人もいるの。上手く言えなくてごめんなさいね。でも、本当にそうなのよ」

「それはわかってるつもりです。だから、このバイトをしてるし――」


 と、そこでチャイムの音が聞こえた。振り向いた背後で素子が腰を浮かせた音がして、続いて遠くの方で扉が開いた音がする。明石が来たのだ、そう思った直後にチャイムが再度鳴った。その次のチャイムが、今度は前の余韻が消える間もなく聞こえてくる。びっくりして小夜は目を瞠った。あの彼がこんなふうに連打することがあるだろうか。素子を見ると、彼女の方でも尋ねるような目で小夜を見ている。思わず小夜は首を横に振ってしまった。彼ではありえない、直感的にそう思ったのだ。

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