ダミアンは激怒した。
必ず彼の
ダミアンには男女の機微は解らぬ。解らぬが、嫌がっている男に迫るのは、どう考えても嫌がらせだとしか思えない。しかし、それを面と向かって伝えれば、大概のご令嬢はゴブリンもかくやというほどの金切り声で威嚇してくる。あの金切り声、きっと前線であげれば大概の男は怯むはず。むしろ自分は怯むし逃げる。
カサンドラ騎士団に入団してから、ダミアンは、ヒステリックゴブリン令嬢(ダミアンが名付けた)とナルシストオーク令息(これもダミアンが名付けた)の存在に疲れ切っていたのだ。
カサンドラ騎士団は、王女であるカサンドラが弟であり王太子であるエーミールを支え、国を守るために作った騎士団である。
カサンドラは弟を溺愛しており、もうすぐ成人するエーミールを姉として助けていきたいと思っていた。
そんな王女が騎士団長のカサンドラ騎士団は王家の覚えもめでたく、美男美女で由緒正しい貴族の出身の騎士たちが揃っている。
ダミアンは騎士学校の座学は首席ではなかったが、そこそこの成績を残しただけでなく、剣技では断トツの一位という成績で卒業し、花形のカサンドラ騎士団の騎士の一人になった。
黒い髪に褐色の肌というこの国ではよくある色彩で、顔立ちも平凡で、平民の出身。そんなダミアンは貴族の子息令嬢に逆らうことができず、騎士団の友人たちに恋文の橋渡しをさせられていた。
それが、ダミアンには許せなかったのだ。
つい先日も、ダミアンはきつい香水の匂いの臭い令嬢から、その香水を振りかけた恋文を受け取った。
「ライムント様にこの恋文を渡してください」
「申し訳ありませんが、それはできません」
「きぇぇぇぇぇ! 平民が何を言っているか分かっているのですか? わたくしは貴族なのですよ! あなたとは身分が違うのです!」
ヒステリックゴブリン令嬢はダミアンが名付けた通りに、恋文の橋渡しを断ろうとすると奇声を上げてダミアンを威嚇してくる。正直、耳が痛い。できればお近付きになりたくない。
それなのに、ダミアンが平民だというのをいいことに威嚇してくるのだ。
ちなみに、ナルシストオーク令息は、発情期のオークがごときむさ苦しく荒い鼻息と臭い息とキツい体臭なのに、自分を三国一の美形と勘違いしている幸せな脳みその持ち主たちだ。
ヒステリックゴブリン令嬢は、手に持っているだけでぷんぷんと香水の匂う手紙を押し付けて、ダミアンを怒鳴りつけた。
「あなたから渡された恋文には返事をなさると聞いています。さっさとお渡ししてきなさい、この平民!」
はい、平民です。
騎士団では剣技に優れた最強の騎士と呼ばれても、貴族の地位には勝てない。
仕方なく受け取って、ダミアンはため息をつきながら宿舎に帰った。
カサンドラ騎士団の宿舎は王都の中心にあって、王宮からも程近く、食堂の料理も非常に美味しくて設備も整った美しい場所だった。
重い足取りでライムントの部屋をノックしたダミアンに、ライムントはすぐに出てきてくれる。
「ライムント、すまない。また断れなかった」
「ダミアンに恋文を書いたものがいるのですか?」
「まさか。おれのことを好きだなんていう貴族はいないよ。ライムント宛てだよ」
「あぁ……またあなたを無理やりに使ったのですね。わたしのせいで嫌な思いをさせてすみません。その手紙にはきちんと断りの返事を書きますから、安心してください」
褐色の肌に黒髪で平凡なモブに過ぎない顔立ちのダミアンに対して、ライムントは辺境の出身なので白い肌に金髪で澄んだ青みがかった輝く緑色の目をしていて、とても顔立ちが整っていて美しい。
騎士学校からずっと一緒だったライムントは、貴族の身分があるのにダミアンにとても親切で、いつも物腰柔らかで礼儀正しかった。そんな紳士なライムントをまた困らせてしまった。
ライムントだけではない。他の騎士たちにも貴族の子息令嬢から恋文を届けるように命じられる。
ダミアンが恋文を届けると、普通は了承する気持ちのない恋文は返事も書かず無視するのだが、ダミアンの顔を立てて騎士団の仲間たちは丁寧なお断りの返事を書いてくれる。
平民のダミアンが貴族に逆らって恋文を届けるのを拒否したと思われないためなのだ。
そこまでしてくれる仲間にいつも悪いと思っていたし、ダミアンは断り切れない自分にも憤っていた。
ライムントは何も悪くないのに謝らせてしまった。
それもこれも、ヒステリックゴブリン令嬢と、ナルシストオーク令息のせいだ。
本当の魔物ならば退治してしまえばいいのだが、相手が貴族で人間であるからたちが悪い。人間なのに魔物よりも話は通じないし、ダミアンに対する圧もすごくて、近寄ると香水だの体臭だので臭くてたまらないし、魔物の方がずっとましだ。
そんなものを相手にするのに、ダミアンはほとほと疲れ切ってしまっていた。
「ダミアン、次の御前試合はエントリーしましたか」
「それは……考えているところだ」
「久しぶりにダミアンと手合わせがしたいです。エントリーしたら、正々堂々と戦いましょうね」
カサンドラ騎士団は王家の覚えもめでたいので、カサンドラ王女やエーミール王子の前で戦う御前試合が年に一度開かれる。十六歳で騎士学校を卒業し、従騎士としてカサンドラ騎士団に入団し、二十歳で正式な騎士に任命されてから、ダミアンは毎年御前試合にエントリーして優勝してきた。
それも、全てたゆまぬ毎日の鍛錬の結果だった。
平民として生まれてきたダミアンは、弟妹と一緒に狭い部屋でぎゅうぎゅうになって生活していた。
騎士を目指そうと思ったのも、優秀な弟を学校に行かせてやりたかったし、美しい妹にいい結婚先を探してやりたかったからだった。
ダミアンには双子の弟妹がいたが、弟のカスパルは優秀で、平民でも六歳から十二歳まで通える学校で一番の成績を取っていたから、高等教育も受けさせてやりたくて、ダミアンは騎士になってカスパルに援助をした。美しい妹のディアナは裕福な商家の息子と恋仲になっていたので、少しでもいい服を着せてやりたいと思っていた。
カスパルとディアナは共に十九歳になって、カスパルは去年高等学校を卒業したし、ディアナは今年結婚した。
そろそろダミアンは自由になってもいいのではないだろうか。
疲れた頭にそんな考えが浮かんだ。
カサンドラ騎士団の給金はかなりの額で、弟と妹を援助してもまだ残っていた。それを使うことなくダミアンは貯めていた。
その額もそれなりになっているはずである。
そうだ、出奔しよう!
疲れ切ったダミアンの頭に天啓のようにその言葉は降ってきた。
辺境に行こう。
辺境は十数年前までは魔物が多く出現し、隣国との関係もよくなくて一触即発状態だったが、今は落ち着いているという。
騎士団を退団するまでに貯めた資金で、辺境で静かに暮らそう。
貴族と関わることもなくなる。
そう決めたダミアンの心は明るく軽かった。
ダミアンがいなくなれば、貴族出身の優秀な騎士がカサンドラ騎士団に新しく入団してくるだろう。その騎士は恋文を取り次ぐのを断れるかもしれない。
平民のダミアンにカサンドラ騎士団は騎士学校を卒業してから九年間もいい夢を見させてくれた。
給料も非常に高く、弟妹のために使っても余った分は貯めていたので、辺境で小屋の一軒でも借りられるだろう。
そこでジャガイモを育てよう。
ジャガイモは寒冷地でもよく育ち、栄養価が高い。
育て方もそれほど難しくないと聞く。
ジャガイモを育てて、森で獣を狩って、ゆったりと暮らすのも悪くないだろう。獣の肉の処理は、騎士団で演習のときに習っていたのでできないわけではない。
そうと決めたダミアンの行動は早かった。
部屋に帰り荷物を纏めると、退団願いを副団長のラルスに差し出した。
「ダミアン、辞めるのか? どうして、こんな急に……」
「もう疲れたんです……。ゴブリンのような金切り声でヒステリックに怒鳴る令嬢と、発情したオークのような鼻息と臭さでおれに橋渡しをするように迫ってくる令息……」
「あぁ……」
ラルスもダミアンに同情的だった。
ダミアンがどれだけ嫌な思いをしてきたか、ラルスは分かってくれるだろう。
「それに、おれが恋文を渡せば、みんなは断りの返事を書かなくてはいけなくなる。おれはそれにもう耐えられないのです」
「ダミアン、考え直してくれないか?」
「弟も無事高等学校を卒業できましたし、妹も無事結婚できました。おれはもうここにいなくても大丈夫なんです。九年間、お世話になりました!」
深々と頭を下げて言葉を失っているラルスに退団願いを渡して、ダミアンは騎士学校時代からずっと使っていた剣と少しの荷物を持って乗合馬車に乗った。
乗合馬車は数日をかけて辺境まで行くようだ。
「おれは元騎士だ。この馬車の護衛もしてやろう」
「それでしたら、少し値下げしますよ」
「そうこなくっちゃ!」
辺境へ向かうダミアンの心は軽かった。