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第59話 転生

 首領がいなくなって久しくも、未だ情報統制が敷かれて喪に服することすら許されない社において、狭量な権力者達が円卓を囲み、歓談に興じている。


 首領健在時には特権を行使できず、自分の意志に反して真っ当に働かせられたことがあまりに気に食わなかったのか、社の重々しい雰囲気と相反して彼らの表情は明るい。


 悪徳商人、腐敗役人、メディア関係者、反社勢力構成員、カルト教団幹部と、首領という処刑人の刃を舌先三寸とプライドを捨てた命乞いで凌いできたゲス連中は、今こそがこの世の春と活気に湧いていた。


 しかし、外部から入ってきた情報が参加者全員に伝わるや否や、彼らの表情は一転して曇る。


「あの小僧め、目障りなクズ共をまとめて処理する機会を不意にしよって。 汚い臓器しか持ち合わせていない人間もどきに生きる価値などないというのに」

「何、あの化け物が人間社会で生きようと思っている限りいくらでもやりようはある。 肝心なのは細かい勝機を逃さぬことさ」


 オービタルリフターが引き際に撮影したドラグリヲの姿をモニター越しに眺め、忌々しいと誰かが吐き捨てると、また違う誰かが機嫌を損なったメンバーを宥めつつ、不敵に笑ってみせる。


「それに今の我々は切り札がある。 ヤツがいる限り我々が一方的に狩られることはない」

「本当にヤツだけであの小僧を抑えられるのか? 私にはあれが未だ信用ならんのだが」

「焦っても仕方あるまい、我々は我々が出来る仕込みを粛々と続けるだけの話よ」


 首領すらも欺いた我々をあの小僧如きが殺せるはずが無いと、メディア役員の腕章をつけた男が不敵な笑みを浮かべながら他のメンバーを見渡す。


 そうして互いに安心を分かち合った後、彼らの注視はサラリーマン然とした痩せぎすな狐目の男に向けられる。


「ところで砂原君、君に用意させたミュータントの様子はあれからどうなってる?」

「特に目立った異常はありません。 ただ自分の思い通りに事が運ばなかったのが相当気に食わなかったのか、多少荒れております」

「ならいつも通り女をたんとあてがって機嫌を取ってやれ。 信念やら矜持やらくだらないものに酔っていない者は御しやすくて助かる」

「まったくだ、彼こそ我々が真に待ち望んだ番犬だよ。 やはり人間欲望に素直になることが一番だ。 下等猿共は我々の臓器ストックや玩具として生きていればそれでよろしい」


 ただの人間であるにも関わらず、まるで自分達がヒト以上の存在であるのだと言わんばかりに増長しながら、狭量な権力者達は首領や戦地で死んでいった大勢の隊員達を揶揄する。


 だが、名指しされた狐目の男は彼らの余裕に反して、不健康な顔をさらに青ざめさせると、頬を伝う冷や汗を拭いながらおずおずと口を開いた。


「その話なのですが……、その大変申し上げにくいのですが……」

「あぁまたやったのか、お望みのハーレムとやらを造ってやったのに舌を肥やしおって……」

「おたくらの用意するミュータントはいつもそれだ。 以前発注した愛玩用ミュータントも君らが調整ミスしたせいで手の付けられない戦闘狂になってしまった。 見た目はブロンド巨乳で最高にいい女だったというのに」


 この有様を見ろと、権力者の一人が肉食獣にでも噛み千切られたような腕の付け根の痕跡をこれみよがしに見せ付けながら詰る。 もっとも、首領が身罷って以来権勢を取り戻せたことが皆内心嬉しくてしょうがないのか、砂原への詰問はそれまでだった。


「もういい、欠員分の女はまた派遣してやる。 君はあの馬鹿者に教育というものを叩き込んでやってくれ」

「はっ、全ては人の世の安寧のために」


 さっさと失せろという権力者達のジェスチャーを見て、砂原は深々とお辞儀をすると、そそくさとその場を後にして自らがいるべき場所へ早々と足を飛ばす。


「人の世の為……にしては、最初にやることがよりによって内ゲバとはみっともないな。 首領も草葉の陰でさぞかし諦観しているだろう」


 ビジネス用の臆病な仮面を脱ぎ捨て、賢しい本性を剥き出しにする砂原。


 彼にとって、権力者達の機嫌などもっぱらどうだってよかった。


 今唯一彼が気がかりだったことは、己が管理を任されたものが正常に機能しているかの一点だけ。


 頼むから面倒を起こしてないでくれと願いつつ、それに与えられたハーレムの扉を開いた瞬間、砂原の耳元を割れた酒瓶が掠めて飛び、痩けた頬に赤い傷が浮いた。


「おいおいおっさんよぉどこ行ってたんだよ。 俺があれだけ酷い目に遭わされたってのにさぁ!!!」

「気にするな、強くて天才で尊敬されるべきイケメンの君がわざわざ手を下すまでの問題じゃない」

「ふざけるな!!! 何もかも許容されるべきこの俺がどうしてビビらなきゃいけないんだ!!!」


 気後れも無く血を拭う砂原の目の前で怒り狂っているのは、体格、筋肉の付き方、髪質、そして顔つきと何もかもが恵まれ、美という概念そのものが受肉して存在していると形容されても過言ではない青年。


 だが、その限りなく恵まれた外見と反比例して、その言動と行動はあまりに醜悪で酷薄極まりないものだった。


 激昂寸前だった男を傍らで宥めていた容姿端麗な女の首が、男が癇癪を起こした瞬間に問答無用にへし折られ、自分が何をされたのか理解する暇すらなく絶命させられる。


 その無惨な姿を見て生き残った女達はたまらず震え上がるが、傲慢な男は何故そんな態度を取られるのか理解できずさらにイライラが募り、不幸にも目が合った女の上半身と下半身を泣き別れにして、飾り立てられた部屋をさらに赤く汚す。


「究極に優れた肉体に入れ替われば誰もが無条件に崇め奉ってくれるって言ってたじゃないかよ!!! それなのに何なんだアイツは!!! ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく!!!!!」


 絶対的な存在であると思っていた。


 この世に今の自分を制圧出来る人間などいるはずがないと。


 そのはずが、たったひとりの顔も知らない男に一方的に殺されかける。


 その事実は、見た目に反して異常に幼稚な男のプライドをズタズタにしてしまっていた。


「まぁまぁ怒るなって。 “その身体同様”次に乗る機体はもっと上等で強いのを用意してやるから機嫌直してくれよ。 首領に成り代わる我らが新たなる救世主、伏野英雄君」

「救世主……、そう今の俺は救世主だ! 四六時中発情した美女に求婚され、一挙手一投足全てを褒め称えられ、気に食わないヤツをぶっ殺すことが許される絶対的存在なんだ!!!!」


 砂原から心の篭もっていない慰めを受け、名を呼ばれた外道はあっさり機嫌を直すと、またしても幼稚に笑いながら怯えきった女達を腕の中へ無理矢理誘い入れる。


 既に女達の正気は極限まで擦り切れ、接待どころかまともな受け答えすら出来ない状態になってしまったが、伏野は一切気にも留めない。


「さて、明日は海外を含む大勢のメディアの取材が入る。 それまでに機嫌を直しておいてくれ。 女はなるべく殺さないでくれよ。 でないとせっかくのハーレムが没収されるぞ」

「そんなの俺にも分かってる。 でもさぁ、こんな下心ありありの非処女なクソビッチ連中じゃなくてさぁ、そろそろ心も体も顔もスタイルも抜群で清らかな乙女も連れてきてくれよ。 やっぱスーパーヒーローにはそれに釣り合うヒロインが必要だって」

「……あぁ、もし見つかれば速やかに君へ献上しよう。 私はまだやるべき仕事が残っているので今日は失礼させて貰う」


 あまり羽目を外しすぎるなと気休め程度に釘を刺すと、砂原は女の気が狂ったような悲鳴に背を向けて帰路に就く。


 勤務先に申請しておいた住居とは全く異なる、廃墟が立ち並ぶ暗がりの中へと。


「やれやれ、神輿は軽くて馬鹿が良い……とはいえ、まさかここまで清々しいゲスだとは思わなかったが」

 一切人の気配の無い闇の中、砂原が愚痴りながら虚空に手を翳すと、奇妙な次元の裂け目が顕現する。


 それは、カルマやグレイスどころか星海魔にすら感知されていない特殊なリンボへの門。


 別に大した用もないが、新たなお楽しみの一環として星海魔のカバーにひっかからない程度の雑魚を街の中へ引き込もうと、砂原は門の中に手を突っ込んだ。


 ――刹那、闇の中を複数の閃光が煌めき、砂原の肘から先が綺麗に千切れ飛んだ。


『アンタはそれが楽しくてしょうがないだろう? 人類種を二度も瀕死に追い遣った外道“サンドマン”』

「……何の話かな? 俺には全く分からないなぁ」


 突然、鋭い殺気に晒された砂原。


 否、サンドマンは大人しくホールドアップの姿勢をして見せながらも、ニタニタと挑発するように笑いながら襲撃者へ茶々を入れる。


 その視線の先でステルススキンを解除し姿を現したのは、消音式対獣拳銃を近距離戦用の小さなスタンスで構えたジェスター。


 彼は喋った拍子で微かに動いたサンドマンの耳たぶへ即座に発砲し、さらなる動きを牽制する。


『お前の話はアルフレド神父から聞いている。 今さらどうはぐらかそうと無駄な足掻きだ』

「おーおー怖い怖い、自分を曝け出せない臆病者は何考えているのか分からなくて怖いなぁ」


 ジェスターの脅しにも一切堪えず、サンドマンはただ目の前の人間をひたすら煽り続ける。


 今ここで残機を落としたところで困ることは無いからと、厳つい仮面を被ったまま応対を続ける相手を貶しに貶す。


 しかし、そんなサンドマンのふざけきった態度とは裏腹に、ジェスターの声色は冷静だった。


『だが、場合によってはお前の邪魔を止めてやっても良い』

「……なに?」


 自分の予想に反した相手の言葉にサンドマンが怪訝な表情を見せるも、ジェスターは構わずトリガーに指を添えたまま対話という名の脅しを続ける。


『別に難しいことじゃない。 どうしようもない社会のクズすら英雄に仕立て上げられるその不条理な力を私に使え。 未だに自分をかわいそうだと思い込んでるエゴイストの殺人鬼を惨たらしく殺すために“転生”の力を』

「それは、君が話している相手がどんな存在であるのかを承知で話しているのかい?」


 たかが悪魔の猿の分際で、真の霊長たる自分相手に交渉の真似事とは生意気だと、サンドマンが人類に仇為す存在としての本質を露わにして迫ると、対するジェスターはその返事とばかりに体格に不釣り合いだった頑健な仮面を外し、誰にも見せなかった素顔を自ら露わにする。


 その瞬間、サンドマンは両手を叩きつつ心の底から朗らかに笑った。


「ほう!そうか君は! 素晴らしい! やはり人の情念とは素晴らしいものだよ!」


 自らも予期もしていなかった新たな駒の誕生に、サンドマンは誰かに聞かれるかもしれないという危険も無視して小躍りしながら叫ぶ。


 そうして昂ぶった感情を発散した後、サンドマンは身も凍るような低い声を喉の奥から絞り出して応えた。


「いいだろう、君が望むものを十分に授けよう。 互いが大いなる利益を享受出来るようになぁ」


 無表情のまま黙って返答を待っていたジェスターに、サンドマンは馴れ馴れしく擦り寄りながら嘯く。


 嬉しさのあまりにぐしゃぐしゃに歪んだ、清々しく悪辣な表情を浮かべて。


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