輸送機から降ろされた難民達が、鐘楼街に属する兵士によって次々と搬送されていく。
もっとも、蓄えられていた薬品や食料が限られている以上、全ての人員に満足な治療が行き渡ることはない。
死の恐怖におののく悲鳴が、治療を後回しにされたことへの怒声が、そしてこの世ならざる者へ祈る囁き声が、絶望の感情を湛えた人混みの中に満ちる。
「自力で歩ける奴や元気に文句吐ける奴の治療は遠慮なく後回しにしろ! 女子供や重傷者は身体検査の後、鐘楼街内の医療施設へ! 欠損のある奴は欠けた部位を体細胞から急速培養後、すぐに接続手術だ!」
輸送機を引き連れて鐘楼街まで戻ってきた大黒やミシカと入れ替わり立ち替わり、兵士と医療従事者を率いて鐘楼街の外まで急行してきたのは、白いネズミ型の小型アーマメントビースト。
その機体の中から激しい口調で指示が飛ぶと、赤十字やらヘルメスの杖やらの記号が横っ腹に描かれたハツカネズミ型アーマメントビースト達が医療品やら患者やらを背に担ぎ、それらをあるべき場所へと運んでいった。
簒奪者子飼いの外道共によって散々に痛めつけられたのか、身を強張らせたまま動かない子供や、何を問われても一切反応を返さない女性達。
そして遊び半分で不随にされた人々が運び出される度に、微かな動揺が医療班を襲う。
「笑えるな。 賊や化け物が出ない安全圏で平和だの人権だの上から目線で偉そうにほざいていた連中が、権力を握って最初にやることがこんな蛮行とは」
「無駄口叩いている暇なんてありませんよスクナさん。 さっさと重傷者を連れて行かなければ大将に叱られてしまいます」
愚痴る暇も惜しんで手足を動かす部下に窘められ、名を呼ばれたアーマメントビーストのパイロット“スクナ”は器用にも愛機に頭を掻くモーションを取らせると、民衆が集まっていないスペースに向かっておもむろにビーコンを射出し、レーダーに映り込んだ機体の誘導を開始する。
直後、複数の巨大なコンテナを軽々と担いだ影が飛来し、その影の主たるドラグリヲが周りを注意深く見渡しながらゆっくりと降りてきた。
その鋼の龍は回収してきたコンテナを内容物ごとに丁寧に並べ、殺到しようとする民衆をやんわりと片手で押し留めると、トラックに乗って集まってきた兵士や医療従事者達に物資を引き渡し、自らは片膝をついた姿勢のまま機能を一時停止する。
「無事に戻ってくれて良かったよ真継君。 ……しかしその資源はどうしたんだ、あの馬鹿げた機体連中に積まれていたものでは無いだろう?」
略奪を阻止されたことに腹を立てた一部の民衆が石を投げる中、スクナは雪兎を労いつつ問う。
常軌を逸した超兵器であるはずのメガリスを複数体相手取ったにも関わらず、かすり傷一つないことに内心驚きを隠せずに。
対する雪兎は別に他愛もなかったと言いたげに肩を竦めると、中継地である廃墟のマップデータをスクナのアーマメントビーストに転送してやりながら口を開いた。
「帰りがけに廃墟化していた複数の要塞都市を漁って少しでも確保してきました。 これが少しでも足しになってくれれば幸いかと」
「……何から何まで済まないな、ここまでやってもらうと申し訳なくて君に頭が上がらないよ」
「礼は不要です。 僕は力を持つものとして、やるべきことをやっているだけですから」
戦前の超技術を用いて建造された特別なシェルターより引っ張り出してきた物資故か、100年を軽く数えた年代物であるにも関わらず経年劣化の痕跡は一切見受けられず、現場の医療従事者はドラグリヲの方へ一度深々と頭を下げて礼を示すと、そのまま積極的に患者へ投与し始めた。
物資の供給元が一時的増えたことによって、物資不足を恐れるあまり狂乱に陥っていた難民キャンプが若干平静を取り戻す。
だが、新たに供給され始めた物資の出所が滅びた要塞都市であることに一部の民衆が目ざとく勘付くと、彼らは自らの現在の立場をかなぐり捨てて好き勝手に暴れ始め、しまいにはドラグリヲに乗り込んでいる雪兎に向かっても罵声を浴びせ始めた。
「ちょっと待ちなさいよ貴方!!!!!!!!! 人の墓同然の場所を漁ってくるなんて強盗じゃないのよ!!!!!! だからお偉方の情夫のロクデナシのクソ野郎は駄目なのよ!!!!!!1!! 私達がこんな目に遭わされるのはアンタのせいなんだから今すぐ死ね!!!! 死んで詫びなさい!!!!!!!」
置かれた環境の悪さに気が違い、ヒステリックに周囲に当たり散らしていた連中は何故か大義名分を得たものと勘違いし言ったもん勝ちの屁理屈を並べ立て、あるものは乱暴に物を叩いて音を立て、またあるものは下品な笑い声を上げて雪兎をあげつらう。
その様は発情期にマウンティングを行う猿以上に醜悪で、どこまでも愚かしいものだった。
『素晴らしい。 首領の影に隠れて船団国家や他の要塞都市相手に散々イキり散らしていた無責任な衆愚が今さらモラリストを気取るとは。 あまりに尊すぎて反吐が出ますね』
「放っておくんだカルマ、彼らはただ不安なだけなんだよ。 これから先どうなるかも分からない以上、ストレスが溜まるのも仕方がないことだ」
『だからと、これでは他の者に対して示しが付きません。 貴方の心はサンドバック等ではないのです。 ……それに貴方は、人が一度増長すればどこまで転がり堕ちるかをまるで理解していない。 故に、口で言って理解して頂けないのであれば、痛みを以て理解して頂く他ありません』
誰かが守ってくれなければ養分として食い散らかされる他ない分際で、誰かの優しさを付け入る隙としか見出せない矮小な人間の存在を看過できず、カルマは独断でダンタリオンの起動準備を開始する。
「カルマよせ! 一体何をするつもりだ!?」
『ご安心下さい、わざわざ死なせて楽にしてやるつもりなんかありません。 ただ、ユーザーが今まで負った痛みを追体験して分かって頂こうかと思っただけです』
「馬鹿野郎! 一般人がそんなもん体験すれば間違いなくショック死するぞ!」
『大丈夫です。 人の傷口に喜んで塩を擦り付けるような畜生が、この程度で死んでしまうほど繊細な心を持っているはずがないのですから』
雪兎の制止も虚しく、搭乗者とそれと同じく真っ赤に染まっていたドラグリヲの瞳が黄金に輝き、今まさにゲス共を纏めて地獄へ叩き落とさんとしていた。
その矢先、コックピット内にグレイスの落ち着いた声が突如響き、その発動を止めさせる。
『その必要はないぞカルマ。 彼らの説得は俺達に任せて大人しくしていてくれ。 遺恨を生まない為にも頼む』
『……一体何をするおつもりです?』
『彼らにとっても、そして君らにとっても悪いようにはしない。 だから大人しく黙って見ているんだ』
『はぁそうですか、分かりましたよ』
その代わり何が起きてもこちらは関与しないと言い切り、カルマは渋々強制的な精神感応を停止させる。
言ったことは責任をもって実行して見せろと言わんばかりに。
すると、今まで声高に唾を撒き散らしていた大衆が何の前触れもなく突然静まりかえり、立ち尽くした。
『これは……』
『いいかいカルマ、時には撥ね付けるよりも受け止めることだって重要なんだよ。 大事な主が痛めつけられるのを間近で見てきた君が、それを許容することは難しいかも知れないけどな』
ダンタリオンの発動が止められたにも関わらず、まるで皆で示し合わせたかのように動かなくなった群衆を怪訝な目で見るカルマへ言い聞かせるグレイス。
彼は人々の異常な興奮が拭い去られたことをきちんと確認すると、自らが細胞を移植した相手に直接声を転送し、後を託す。
それに促され、自然に割れた人並みの合間をゆっくりと歩いてきたのは、所々を血飛沫で汚れた白衣を身に纏った哀華。
彼女は沈黙した人々へ平等に視線を向けると、優しく穏やかに微笑みながら語りかけた。
「落ち着いて下さい、そして何がそんなに不安なのか私に教えて下さい。 今の私なら貴方達の不安を一身に引き受けられます」
哀華が落ち着いた口調で言葉を紡ぐと、固い赤土に覆われた地面を貫いて突然生えてきた草花が青々とした草原を形成し始めるが、無論それが終着点ではない。
哀華とグレイスが協力して地面の中に創り上げたのは、広大な地下茎を利用して形成された植物性の回路。
そこから伸びた柔らかい繊毛がパニックに陥った大衆の一人一人へ密かに接続されると、人々の集団意識を満たしていた不安と焦燥感が回路の中で機械的に処理され、消えていく。
そうして彼らはマイナス感情の底に隠されていた己の性根を曝け出すと、各々が真に抱いていた心の痛みを次々に吐露し始めた。
「違うんだ、我々は楽しんで君達に石をぶつけるような真似をしていた訳じゃない」
「俺達はただ……、こんな運命が受け入れたくなかっただけなんだよ」
「何十年もかけて貯めた財産をまとめて吹き飛ばされた」
「旦那も子供も……、皆惨たらしく死んでいった」
「私達は何もやってないのに……どうして……?」
まるで憑き物が落ちたかのように落ち着きを取り戻しながらも、長い時をかけて築き上げてきた物が、首領の死をきっかけにゴミのように消えていったことを受け入れることが出来ず、彼らは自らに降りかかった不幸を呪いながら膝をつく。
すると、彼らの絶望を受け止めた哀華は姿勢を低くして皆と目線を合わせ、希望を示しながら微笑んだ。
「またやり直しましょう。 どんなに現状が苦しくても、藻掻き続ければいつか必ず何かしらが手足に引っかかってくれます。 それが当人が望むものかどうかも分からなくても、何もかも諦めて死んでしまってはそのチャンスすら掴めないから……」
内心綺麗事だと分かっているためか、哀華の表情が一瞬陰るも、今は一人でも多くの心を救えるようにと彼女の慈愛に満ちた慰めの言葉が止まることはない。
「でも、今貴方達は打ちのめされている。 だから焦る必要なんてありません。 まず最初にやることは、ゆっくりでもいいから前を向くこと。 それを足がかりに少しずつ出来ることを増やしていきましょう」
消沈して膝をついてしまった一人一人に目線を合わせながら声をかけ、力無くぶら下がった手を取って立ち上がらせていく哀華。
彼女の紡ぐ言葉に心動かされたのかは不明だが、先ほどまで狂乱の最中にあった群衆はすっかり平静心を取り戻し、皆が皆兵士の誘導に従って行うべき動きを整然と実行し始める。
困難の中に放り込まれた人間が、一人でも多く生き残るために取るべき行動を。
「哀華さん……」
まるで宗教的な奇跡がそのまま起こったかのような光景に、ドラグリヲの中でその様子を見ていた雪兎は無意識のうちに想い人の名を呼ぶと、強い不安感が胸の中で渦巻いていたことに気が付く。
ずっと昔から知っていた人が、全く違う存在へと変わっていってしまうこと。
それがとてもとても不安で、雪兎は群衆に慈愛の視線を向ける哀華の背中を、ただ黙って見ていることしか出来なかった。